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尖閣諸島における合理性

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アゴラに立て続けに投稿された記事を見ると、領土侵犯の問題は、普段は合理的な判断力を持つブロガー達をも、盲目的な愛国心(=間違った愛国心)に駆り立てる危険なエネルギーを持っていると感じています。その中で池田信夫氏は、愛国心とは異なった視点で、船長釈放は「合理的」な判断であると述べておられるのが印象的でした。

以前に愛国心の種類について書いた時、政治的な意味での「国土」を愛国心の対象にする事で、国家という仮想利益団体の「利益」が優先され、人民のリアルな利益が紛争により失われるリスクが高くなると述べました。今回はそれに該当するケースかもしれません。

国益=民益と定義すれば、尖閣諸島を領有する事により生み出される経済的利益が、中国と紛争状態になる事により失われる経済的利益に比較して十分に大きければ、政府は海上防衛力へ投資して、尖閣諸島の領有と実行支配を行う事に合理性が生じます。その逆であれば、日本が尖閣諸島を領有して実行支配する経済合理性は有りません。国家のハードな分裂リスクを有している中国と違い、社会が十分に安定している日本では、国益(=民益)とは経済交互理性の観点から十分に定量的な判断が可能であると考えます。

政府あるいは民間のメディアまたはシンクタンクは、尖閣諸島周辺の海洋および海底資源の市場価値(現在価値)を数値化して、これと防衛力投資 + 遺失利益の総額とを比較して、人民へ提示するべきではないでしょうか。

経済合理的に十分な価値があれば、日本政府は早急に、尖閣諸島に海上自衛隊の基地をつくり、周辺海域を外国船の立ち入り禁止海域にして、「実行支配」を行うべきです。もし自衛隊の基地が人民解放軍の襲撃を受ければ、間違いなく「日米安保」の対象になります。もし十分な価値がないと判断すれば、尖閣諸島を中国と共同管理の提案を行う等、中国政府の面子を立て、日本の経済的メリット(=民益)を重視した政策に転換するできではないでしょうか。


2 comments - What do you think?  Posted by bobby - 2010/09/26 at 22:49

Categories: 1.政治・経済, 3.中国ネタ   Tags: , , ,

政府機能を外国へアウトソースする

表題を単純に説明すると、政府機能(司法、立法、行政、および外交と防衛)を適切な外国政府へアウトソースする事の可能性について考察します。

前の記事で、愛国心を3つの種類に分類し、そのうちで、政治的意味を主体とした愛国心は、人民に戦争という悲劇を与える大きな危険性を有する事を指摘しました。他国による日本侵略は、日本人民の生命や財産や自由が失われる事を意味し、それを防ぐ為に夫や息子達を戦地へ送る事は当然の事であると、一般的には考えられています。しかしそれは本当に正しいのでしょうか。

まず、日本の直近の負け戦である太平洋戦争について考えてみます。負けた日本を待っていたのは、鬼畜米英の日本蹂躙などではなく、進駐軍による平和憲法と、米国政府による経済復興の支援であった事は歴史的な事実と言えます。

私が居住している香港を考えてみましょう。97年に中国政府へ返還されるまで、香港居民は返還に反対し、英国政府による統治の継続を望んでいました。99年間の香港植民地の歴史は、北京政府の面子を失わせましたが、英国政府による安定統治と治安維持、そして経済発展について、香港居民は高く評価していました。いまでも英国パスポートを持つ香港人は多いようです。

国を巨大な企業に例え、侵略戦争を競争相手企業による敵対的買収に置き換えてみましょう。国政を預かる政治家は企業経営者で、人民は雇用者(かつ持株会を通した株主)とします。買収を仕掛ける企業は、現経営陣にとって紛れもない敵です。買収を受け入れる事は、経営陣の失職(あるいは降格)を意味するので、雇用者や株主へ訴えて買収阻止に動きます。しかし雇用者と株主にとっては、現経営陣より上手に会社を経営してくれるなら、給与アップと株価アップをもたらしてくれる可能性があり、必ずしも敵とは言えません。買収を仕掛ける企業が、ハゲタカファンド(北朝鮮)か白馬の騎士(米国)かで、状況は大きく異なります。

国を巨大なレオパレス・マンションに例え、政府をマンション管理組織、人民はアパート住民と置き換えてみましょう。人民にとっては、マンション内の清掃や修繕が行き届き、住民が快適に暮らせるサービスを提供できれば、自国議員による管理サービスを止め、外国政府に管理サービスのアウトソースをする事について、重大な問題があるでしょうか。もしかしたら米国やノルウェー政府の方が、鳩山民主党政権より何百倍も上手く日本国を経営してくれるかもしれません。

いくつかの例を挙げて、国防という文脈における「愛国心」の妥当性について、21世紀の視点で述べてみました。この記事を読んだあなたは、私の事を、政治的に偏向した価値観を持っていると考えるかもしれません。そうかもしれませんし、違うかもしれません。私個人としては、単に、国というものを本質的な視点において合理的に考えた場合に、どのようにあるべきかという事をこの記事で追求してみました。私の考える国の本質とは、政府や国体ではなく、そこに居住する人民とその文化であると考えます。「国敗れて人民あり」です。

現政府を守る事は、いかなる場合にも最優先事項とするべきであるのか。あるいは、社会体制が大きく変わったり、人民の生活が脅かされたり、価値観の変更を強制されたりしない限り、だれが政府をやるかという事は、最重要な事ではないのではないか。その事を、みなさんに問うてみたいと思います。

追記1:国民という言葉には「国」という文字が含まれ、その場合の国の定義は何か、というややこしい問題になるので、文中ではあえて人民という言葉を意図的に使いました。

追記2:日本には天皇制という、政治と文化が融合した制度があります。しかしながら日本国憲法では、主権在民です。天皇制を維持したまま、民が政府機能を外国政府へ委任(アウトソース)する事は可能ではないかと考えています。

追記3:政府機能のアウトソースは、平時における政府機能委託のほか、ブラックな外国から侵略されそうな場合の対抗措置として、軍事的に強力な民主主義国家に政府機能をアウトソースして、防衛と外交交渉をおこなってもらい、侵略を回避するというケースも想定されるかと考えます。

追記4:政府機能のアウトソースには、対価の支払が当然として発生します。支払い方法としては、経済成長時の税収増大分から出来高払いで支払ったり、郵政やNTTのような半国営企業の株式で支払って、経済成長時の株価の値上がり分を成功報酬としたり、当該政府国企業の国内進出を優遇して、間接的な税収で回収する方法など、いろいろな方法が考えられます。

3 comments - What do you think?  Posted by bobby - 2010/03/09 at 21:16

Categories: 1.政治・経済   Tags: , , , , , ,

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