会社に人生を預けずに成功した実例

池田氏のブログでは、こちらこちらなどで「解雇規制」を緩和して「雇用の流動性」を高める事に関する議論が盛り上がっていますね。私見ですが、日本の多くのサラリーマンは企業にロックインされているにもかかわらず、残念ながら集団で視野狭窄を起こしていて、その事に気づいていないように思えます。

ところで昨日、現在の話題にぴったりの、非常に興味深い香港人と知り合いになりましたので、彼の「会社人生」について、東莞から深圳へ帰る長距離バスの中で聞いた話しを紹介します。これから「会社人生」をはじめる学生や、まだ「会社人生」のやり直しが効く30前のサラリーマンの、参考にして頂ければ幸いです。

とりあえず、彼の名前をアイバンとしましょう。アイバンはいま、ビジネスコンサルタント会社で、パートナー(Associate Director of I.T.)をしています。歳は40代なかばで、私と同じくらいです。仕事の内容は、これから株式市場へ上場を予定している中国の企業を対象とした業務コンサルです。

私の事務所で、アイバンと仕事の話しをしていた時には、クライアントの事業内容や、これからやるべき事について、自信に満ちた表情で、笑顔を崩さずに熱弁をふるう、いかにも成功した「男」のように見えました。私はてっきり、彼は弁護士か公認会計士で、元の事務所からスピンアウトして企業コンサルの仕事をしているのかと思っていたのですが、彼の「身の上話」を聞いて驚きました。彼の「会社人生」の出発点はIBM System/36を操作するオペレータでした。最初の転職でそのSystem/36のプログラマに転向する機会を得て、そこから努力と転職を繰り返しながら、知識と能力を向上させ、多少の幸運も見方して、現在に辿り着きました。

プログラマになったアイバンは、何回目かの転職で大手フォワーダーの輸出入管理システムの開発部隊に入る事ができ、そこで(当時は)先鋭的なシステムの開発を経験する事ができました。ところでSystem/36は、当時すでに古いマシンになっており、IBMはAS400を主力機種として販売していました。アイバンはシステムをAS400にするように上司を説得しましたが、会社では機種を切り替える考えはありません。彼は、これからはAS400での開発が重要だと考えて、再び転職を決意しました。

AS400の開発をさせてくれる会社を探し始め、約束を取り付けて入社したのに、結局はSystem/36の仕事をさせられて「辞職」した事も一度ならずあったそうです。そうこうしているうちに、やっとAS400で開発させてくれる会社を得て、そこで再び仕事に没頭します。しばらくして、以前の大手フォワーダーで元の上司から、「やっとうちでもAS400に切り替える事になったので戻って来て欲しい」と声をかけられ、そこでまた転職します。

それからは、彼が開発チームのリーダーになって、システムをAS400用に書き換える仕事を始めました。しばらくしてシステムも完成して安定すると、上司から、シンガポールへ行かないかと言われます。この会社は香港が本社ですが、シンガポール、インドネシア、マレーシア、他多数の国に拠点があり、それぞれの国のシステムをAS400へ置き換えて行く必要がありました。彼は(当時はまだ婚約者である)ガールフレンドとシンガポールへの「転籍」を相談します。彼女から良い返事をもらい、さっそくシンガポールへ移りました。

シンガポールのAS400のシステム切り替えを終えると、そこを拠点として、マレーシア、インドネシア、インド、スリランカなど、沢山のアジア拠点を廻って同様の仕事をこなしてゆきました。彼の肩書きもプログラマからIT部門のマネジャー(部長)に昇格しました。しかし残念な事に、彼の上司とは相性が悪くて、あまり良い関係を築く事ができませでした。ある時、米国ロスへの転勤を上司から「打診」されます。しかし妻(前に紹介した婚約者と既に結婚している)は英語があまり得意ではなくて、ロス行きに不安を感じていました。アイバンはロス転勤を「保留」したまま、米国出張に旅立ちました。1週間の予定で出発したのに、ロスをはじめ各地にある拠点のシステムの問題解決をするはめになり、2ヶ月近くたってようやくシンガポールの事務所に戻る事ができました。

事務所に帰って来た彼は驚きました。自分の机には他人が座って仕事をしており、しかも銀行口座には2月分の給料が振り込まれていません。すぐに上司に電話して問い質すと、上司は「お前は米国転勤が決まったからもう机は無い」との返事。彼は怒って、「転勤しないし、いますぐ辞職する。そして今日の昼までに未払いの給料を支払わないと裁判所へ訴えるぞ」と脅しました。給料未払いは、どうやら事務手続き上のミスのようでしたが、アイバンの腹の虫は収まりません。香港の元上司が出てきて調停し、なんとか3ヵ月後に辞職して香港に戻る事ができました。中国でも香港でも同じでしょうが、収入の高いサラリーマンは家庭を大切にします。夫婦はお互いの人生を共有していますが、会社に人生を捧げる人はめったにいません。これは日本の事情とはかなり異なるかもしれませんね。日本の会社で高いポストを目指すには、人生の大半を会社に捧げる必要があるようですから。

さて、香港に戻ったアイバンは職探しを始めますが、すぐにもとの会社(シンガポールで辞職した会社の本社が香港だという事をまだ覚えていますか?)の上司に呼び戻されます。アイバンにはいろいろなオプションがあった筈ですが、2度にわたって、この元上司に呼び戻されている事から、非常に重要な事がわかります。香港では会社への忠誠心は当てにできないが、上司(人間)への忠義は当てにできるという事だと思います。こちらの日系企業では、上司の日本人が帰任して交代すると、部下だった有能な現地人が次々に辞めてしまう事をしばしば目にします。これはもちろん、新任の日本人上司が好きになれないという事ですが、そういう理由でも部下は容易に転職してしまう事を理解する必要があります。

さて、アイバンの会社人生の話しもだいぶ終わりに近くなってきました。香港へ帰ってまた、もとの鞘に収まったアイバンは、累計で15年以上をこの会社(とそのグループ会社)のIT部門で働いてきました。ところが彼が忠義を感じている香港の上司が、病気で会社をリタイヤする事になったのです。彼は会社の役員から、副社長に推されます。しかしこのポジションは、社内の政治的な駆け引きにかなりのエネルギーを要するので、彼の好きな仕事ではありません。彼は、もうこの会社では自由に仕事をする事ができなくなった事を悟ります。彼が会社へ「辞表」を出すのと入れ替わりに、彼の会社で「コンテナ」を扱っている某多国籍玩具スーパーの香港ITマネジャーから電話がかかってきました。「俺は今日で退社するから、あとはよろしく」というのです。アイバンは、「あなたの後任はもう決まっているのですか」と聞くと、ポストは開いており、明日の新聞の求人欄を見ろ、との事でした。早速彼は、その求人に応募して、ITマネジャーの職を得る事ができました。

某多国籍玩具スーパーで楽しく仕事をしていたのですが、米国本社の意向で、すべてのIT関連業務はアウトソースする事になり、再び失業。ちょうど良い機会と感じて、かねてから念願だったMBAコースへ通い始めました。MBAコースを終了した時に、彼のクラスの教授の一人であったR氏から、自分のコンサル会社へ来ないかと誘われて、現在に至ったという訳です。

このように書くと波乱万丈の会社人生のようですが、香港で働くサラリーマンにとっては、大なり小なり、似たようなものです。自分が何をやりたいかを常に考え、どのようにしたら目的(目標の職業、目標の能力)を達成できるかを考え、コツコツと勉強して知識や資格を身に付け、転職しながら目標へ近づく努力は、うちの会社の香港人スタッフも同じです。

日本のサラリーマンは、自分の企業にしがみ付く為に、香港人と同様に(いやもっと大きな)エネルギーを投入していますが、そのエネルギーの大半は、残念ながら後ろ向きの方向に向けられており、業務の生産性を上げる事とは無縁のようです。

アイバンのこれまでの人生をとりあえず「成功」というならば、その秘訣はつねに「会社に人生を預けない」事、つねに自分が「やりたい」と思う方向にむかって転職しながら努力してきた事です。彼が累計で15年間も働いてきたフォワーダーでも、2回の辞職の他に、何度も辞職を「慰留」されました。上司は時に、「会社は貴方にこんなに与えて来たのに、あなたはその恩を忘れて辞めるのか」と言います。しかし、自分の仕事に自信と誇りをもっていれば、「会社から与えられた分は、仕事で十分に返してきた」と切り返す事ができたのです。そしてそのような人だからこそ、会社に使われるのでなく、会社と対等な関係を築く事ができたのだと思いました。

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