経済は科学である前に、役に立つ「道具」であるべきだ
4月 19th, 2009
Categories: 1.政治・経済
池田氏はアゴラで、「厳密に間違っているより大ざっぱに正しいほうがまし」というケインズ(*1)の言葉を引用して、経済学を科学として成立させようという努力の無意味さを指摘しています。
数式にたよる経済学は、世の中(市場)を非常に単純化して考えようとするようです。しかし市場の予測は、海の波の動きを予測する事とは違います。人間の活動は、自然現象の集まりではありません。人間にはひとりひとりに「感情」があり、感情はつねに非合理的です。だから人間の行動は科学的(統計学的)に予測困難です。そのような人間の経済活動に、科学的な真理を求める事は無意味なのです。経済学は株価予測プログラムのように、「役に立つ疑似科学」に徹するべきではないでしょうか。
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青山矢一著『競争戦略論』の序文に「経営には…唯一絶対の秘策などない。…経営戦略は絶対的な法則がないという点でサイエンスとはいえないが、少なくとも論理はある。ただしその論理は複数存在する」という一節がありますが、経営学を学んだ者ならこれに異を唱える人はいないでしょう。
ところが経営学では当たり前のことが、“国という組織の経営学”ともいうべき経済学(おおざっぱな表現ですが)ではいまだに当たり前にはなってないのが不思議です。
正直、池田さんの「科学である前に~」や「イノベーションが重要」なんて話は経営学レベルではいまさらな話です。経済学者は「経営学は経済学の派生学問」と見下しているのかもしれませんが、経済学者が謙虚に最も学ぶべき学問は経営学だと思います。