スタンドアローン・コンプレックス
スタンドアローン・コンプレックスとは、いったい何の事なのだろうと、ずっと考えていたのだが、Winnyの事件を契機として、ある閃きを得た。そこで、スタンドアローン・コンプレックスについて書いてみた。
Winny事件に関するブログにを読んでいて閃いたといえば、そこにあるのはP2Pの考え方である。
●まずは、現在のネットワークと社会について考えてみる。
現在のコンピュータ・ネットワークは、極小規模なものを除き、サーバーを中心に構築されている。
大きな企業では、複数の部門サーバー(ワークグループ・サーバー)のユーザー管理は、ドメインコントローラーが一括して管理している。ネットワーク・セキュリティーのルールは、ルータやスイッチングハブで管理している。企業ネットワークの構成は、上位から下位へ行くほど、枝分かれして細分化されるピラミッド型の構造となる。
これを人間社会に例えると、難しい事を考えるまでもなく、上記のネットワークが構築されている企業そのものとなる。企業社会におけるサーバーとは管理組織(経営者、役員会、課長・係長などの中間管理職)ではないだろうか。
企業社会における意思決定は、管理組織により行われる。社是は最高責任者が作成し、個別の処理においても、部署の責任者レベルでの意思決定が反映されている。
社会全体の意思の流れは、個々の企業組織の意思を束ねたものと思われる。家庭の中で、首相の政治方針にいくら不満があっても、実際に影響を及ぼすものは、業界団体や労働組合などの、「組織」の意思であった。
●次に、新しい考え方であるP2Pのネットワークと、それを模した社会について考えて見る。
P2Pを狭い意味で定義すると、コンピュータ同士が、サーバーを介さず、1対1でダイレクトにコミュニケーションを行う状態を言う。これを原始P2Pと呼ぼう。
原始P2Pを人間に例えると、2人の個人が(物理的あるいは論理的に)向かい合って、お互いの意思を伝え合う状態を言うと思う。(異存があるかもしれないが、とりあえずそのように定義する)
このような関係を積み上げてできる社会は、方向性の定まらない無政府社会である。つまり原始P2Pには広がりも発展も無い。この状態を打破して、P2Pの世界に広がりをもたらしたのが米国で生まれたナップスターである。
ナップスターは、P2P接続の各PCをサーバーにつなげて、一定の目的を持つ大きなP2P集合体の世界を生み出した。これを、P2Pクラスターと呼ぶことにする。
個別のPCは、ナップスターが提供するMP3ファイル交換サービスという目的により自発的に集まり、だれかの指示を必要とする事もなく、必要最小限のルールにより運用され、P2Pクラスターを成長させる事ができた。
ナップスターが全米レコード工業会により火達磨になったあと、その灰から飛び出してきたグヌーテラは、サーバー無しでP2Pクラスターを形成できる事を証明して、P2Pの世界を更に発展させる事となった。グヌーテラは、P2Pクラスターを管理する法人格がない為に、だれかを法的に攻撃してクラスターを閉鎖させるという事ができなくなった。
グヌーテラ以降、Winnyを含む新しいP2Pソフトが現れた。管理する為のサーバーや組織がなくとも、(ファイル交換という)目的と手段(P2Pソフト)が与えられる事により、P2Pクラスターは自律的な運用が可能となった。
これを人間社会に例えるとどうなるのか。
先ほど、P2Pを個人と個人のコミュニケーションと定義した。原始P2P社会では、自分の意見を多数の人に訴える(反映させる)手段がない。多数の人に意見を知らせるには、サーバー(企業を介して業界団体や労働組合)に所属して多数派になるしかなかった。日本経団連、農協、労働組合など、いずれも政治(政治家)を介して、組織の意思を実現する(自らを守り、あるいは発展させる)事を目的として生まれた団体であろう。20世紀までの社会は、このような理由によりサーバー型社会であった。
原始P2Pから一歩進んだナップスター型P2Pの社会では、たとえば「2ちゃんねる」のようなサーバー型オンライン・コミュニケーション手段により、多数の個人の意見が即時に集められ、「社会の意思」を自発的に生み出す。
北朝鮮拉致家族や、イラク人質家族など、多数の個人の意見が「2ちゃんねる」により集約されて新聞報道され、首相や大臣の答弁にまで影響を与えたのは記憶に新しい。
グヌーテラ(Winny)型P2P社会では、先に述べた「2ちゃねる」のような確固とした中心地点を設けない。多数の個人がクラスター状の関係を保ちながら、仮想中心点が目的に応じて生まれるような状態になると推測する。
このような社会の形態を具体的に思い浮かべる事は難しい。上位下達の世界ではない。
●非常に長い前置きになったが、ようやく攻殻機動隊の話しになる。
スタンドアローン・コンプレックスとは、P2Pの事であると結論付けたい。スタンドアローンとは、独立した個人。個人と個人の関係が複合化(コンプレックス)したクラスター化した関係(社会)を、スタンドアローン・コンプレックスと呼ぶのではないかと推測する。
スタンドアローン・コンプレックス下では、そこで生じた事象の原因と結果(の因果関係)を容易に関連付ける事ができない。原因と結果は直線的な関係ではなく、複雑に絡み合っている。
そこで、応用編。
笑い男事件は、ナップスター型P2Pである。
サーバーの機能を果たすのは、セラノ・ゲノミクス社の恐喝を計画した政治家とそのグループである。事件は、恐喝グループの意図とは関係なく、笑い男を産み出す。恐喝グループは、突然乱入した笑い男を事件の構図に取り込み、恐喝事件の再構築を図る。事件の第三者は、最初の笑い男をオリジナルと考えるが、オリジナルは何処にもいない。そして初代の(オリジナルではない)笑い男を模した別の笑い男を捏造した恐喝グループは、最後に、初代笑い男の意思を受け継ぐ草薙素子版の笑い男によって首根っこを押さえられる。
個別の11人の事件は、グヌーテラ型P2Pである。
内閣調査室のゴーダは、事件を直接指揮していないのでサーバーの役割とは異なる。加害者・被害者を含めて、事件に関わる者達を包み込むP2Pクラスターの中で、「動機ある者たち」を事件へと駆り立てたのは、ゴーダ(?)の放った「電脳を犯すウイルス」のようである(物語が進行中のため、あくまで推測)。
『恐喝グループは、突然乱入した笑い男を事件の構図に取り込み、恐喝事件の再構築を図る。』
と記述されていますが、それは間違いではないでしょうか。
まず、笑い男オリジナルというべき企業脅迫メールをアオイが発見しそのオリジナルの媒介者となったわけです。次に、それに目をつけた巨悪(政治家と恐喝グループ)がアオイの模倣をしたというストーリー展開だったはずです。『再構築を図る』という記述はもっともです。
P2Pの2種類の形態について論じる点は非常に新鮮かつ明快でおもしろいものでした。
rushpdxさん、
「突然乱入した笑い男を」をより詳細に説明すると、仰るように、部外者であったアオイが恐喝メールを発見し、恐喝者を模倣する事で事件に「乱入」あるいは介入した、という事です。
また恐喝グループは、アオイによる模倣を更に模倣する事で、事件の再構築を図り、模倣が入子状になる事で状況が複雑化したのだと考えました。つまり私の意図は、rushpdxさんのご指摘と基本的に同じ内容だと思います。
rushpdxさんのコメントを頂き、記事を改めて読み返してみると、当時はなかった状況によって、新しい事に気づきました。
2ちゃんやブログ、あるいはブログを集積化したLivedoorのブロゴスは、記事が特定のブログサイトにあり、コメントがその記事の下にぶらさがる構成である事から、サーバー型のコミュニケーション手段です。
http://blogos.livedoor.com/
ところが昨年から流行りだした、ミニブログと言われるTwitterは、システム構成上はサーバーを必要とするが、各自の発する「つぶやき」は、それを購読者というクラスターの中のタイムラインに表示され、特定の板やブログサイトに集約されず、タイムラインの中で議論や意思が発散と収束を行う事が可能となりました。これはある意味で、コミュニケーションがグヌーテラ型P2Pに近づきつつあるのではないかと感じています。
上記コメントの内容をふくらませて、「国家権力はTwitterを恐れるか」という記事を書きました。
http://bobby.hkisl.net/mutteraway/?p=1870
スタンドアローン・コンプレックスって「集団的無意識」とは違うのでしょうか?
現代社会におけるような程度のコミュニケーションで、「集団的無意識」がはっきりと共有可能か検証することは難しいですが
集合的無意識
biteさん
>スタンドアローン・コンプレックスって「集団的無意識」とは違うのでしょうか?
結果として集団的無意識に近い状態と言えるかもしれませんが、集団無意識そのものであるかというと、違うように思います。相違点と考えるものは以下の通りです。
1)集団的無意識を操作しようという主体がいる。
2)特定の固体が集団全体に大きな影響を及ぼしている。
3)影響を受けた集団的無意識から生まれた行動が、上記1、2で示した操作者や特定の固体へ更にフィードバックのループがある。
私は、個別の意識が大規模に集積される事により発生する「複合的意識」ではないかと理解しています。