アルゼンチンの癌は通貨危機以降の固定相場制だった

小倉氏は新自由主義の失敗例を探す事に熱中するあまり、同様の戦術ミスを繰り返しているようです。先の記事では、チリのピノチェトの虐殺や失業増大と新自由主義を結びつけようとしましたが、この記事で明らかにしたように、新自由主義的政策は、結局は経済を復興させた事を明らかにしました。

小倉氏はこの記事で、「お隣のアルゼンチンも,新自由主義的な経済政策を取り入れたばかりに,経済,社会がぼろぼろになってしまったのです」と述べていますが、この認識も間違いのようです。wikiのアルゼンチンによれば「新自由主義的政策」が導入される直前の1988年にはハイパーインフレによって「富裕層の没落、中産階級の海外脱出が続くなど経済は混迷の度を深め」ていたようですから、そもそも経済ぼろぼろであった国が、新自由主義的政策により経済危機の余波で沈む1999年まで、経済は一旦は立ち直ったのでした。

こちらの記事によれば、アルゼンチンは1960年代以降、ペロン政権のポピュリズム政策によって経済混迷を極め、1988年に経済はどん底にありました。1989年に就任したカルロス・メネム大統領が、冷戦終結という時代の区切り目に「新自由主義的政策」とペソの為替相場を1ドル=1ペソにする為替相場固定化の導入によって経済拡大を図り、「90年代前半には年率8%近い高度経済成長」となって、模範的な経済体制だと言われるようになりました。

ところがアジア通貨危機が1999年に南米に飛び火し、ヘッジファンドがブラジルの為替制度(1ドル=1レアルのペッグ制為替制度)を襲いました。通貨危機の後、「アルゼンチンのペソは無傷で、危機に強いことが証明されたが、問題はその後に起こった。ブラジルもアルゼンチンも、輸出を増やして経済発展することを目指しているが、ブラジルのレアルが大幅に切り下げられたため、ドルで換算したブラジル製品の価格がかなり下がり、その分アルゼンチン製品の方が割高になった。通貨切り下げの後、ブラジル経済は立ち直り始めたが、アルゼンチンは逆に不況」になりました。

再びwikiのアルゼンチンによれば「このようにペロン政権以来、一貫した経済政策が採られなかったツケが周り、2002年には経済が破綻してしまったものの、2002年に変動相場制を導入してから輸出が拡大し、着実に持ち直しつつある」とあります。つまり通貨危機から先に経済が回復したブラジルと、その後更に経済のどん底を見たアルゼンチンの明暗境界線は、「新自由主義的政策」ではなくて通貨制度の差であった可能性が高いようです。

小倉氏はもしかしたら、新自由主義的政策ゆえに固定相場制は必須であったと、両者の強い関係を突こうとするかもしれませんので、あらかじめ両者の関係について調べてみました。1973年以降、先進各国は変動相場制へ移行していますし、南米で先に(ラディカルな)新自由主義的政策を開始したチリでも固定相場制はとっていませんでした。つまり固定相場制と新自由主義的政策に直接の因果関係はいようです。先に引用したこちらの記事によれば、「特にアメリカの投資家が、為替変動のリスクを気にせず、米国内の企業などに投資するのと同じように、安心してアルゼンチンに投資できるようになった」とありますから、主に米国の都合が強く影響したようです。