資本家が先か労働者が先か

2月 15th, 2009 Categories: 1.政治・経済

国敗れて山河ありといいます。日本政府がなくなってもそこには依然として日本列島の山河があり、そこに住む人は残っています。ところで、企業がなくなったら、労働者は労働者でい続ける事ができるのでしょうか。

鶏が先か卵が先か、という話しがありますが、資本家と労働者はどちらが先なのでしょうか。小倉氏のメシの種は著作権のようですが、企業がなくなったら弁護士は何を保護すればよいのでしょうか。小倉氏はしきりに労働者の権利を擁護し、企業を目の仇にしておられるようですが、企業がなくなったら労働者はどのようにして賃金を得る事ができるのでしょうか。法律事務所も企業の形態のひとつなのではないですか?

もしも労働者が企業をしゃぶりつくしてしまったら、生存権を盾にして労働者の衣食住を税金で保障せよとでも言うのでしょうか。このような考え方は合理的と言えるのでしょうか。

Facebook Comments
Tags:

16 Responses to “資本家が先か労働者が先か”

  1. pugpon
    2月 15th, 2009 at 22:09
    1

    小倉氏に何を言っても無駄でしょう。階級闘争史観はマインドコントロールと一緒で、市場原理の不備を探しては、「そーれ見たことか」といったことをただただ繰り返し論点が噛み合わない。大事なのは今、目の前にある不況を過去の失敗を繰り返すことなく大局的な視点で対処することなのは自明です。今、世界中で息を吹き返しつつあるケインジアンの影に隠れて、生き返ってはいけない社会主義の亡霊が日本では墓場から飛び出す由々しき事態が進行しています。普通の会社に一度でも就職したなら、小倉氏もこんな陳腐な主張をし続けるほど××とは思わないですが。

  2. 小倉秀夫
    2月 15th, 2009 at 22:24
    2

    労働者がいなければ,いくら資本があっても生産はできません。

  3. bobby
    2月 15th, 2009 at 23:45
    3

    小倉さん、コメント有難うございます。

    >労働者がいなければ,いくら資本があっても生産はできません。

    だから労働者は、企業をしゃぶりつくす権利があるというのでしょうか?

  4. 前田
    2月 16th, 2009 at 00:00
    4

    小倉さん、新自由主義批判なんておいといて、
    あなたがとりあえず今の官製不況を作った司法についての問題でも書いてくださいよ。
    専門外では、枝葉末節の批判しかできないでしょう。
    司法についてなら、みなさん興味を持ってくれますよ。
    実際どう思ってるんですか?

  5. 小倉秀夫
    2月 16th, 2009 at 00:16
    5

    労働者が,労働の対価で,生存し,健康的で文化的な最低限度の生活を営み,あるいは,そのような生活をしつつある程度の資産形成を行い,あるいは,子供を産み育て,あるいは義務教育を超える教育を受けさせ,あるいは,国内外の労働者が生産した成果をある程度消費者として享受することを可能とする程度の賃金を得ることというのは,新自由主義者の感覚では,「企業をしゃぶりつくす」ということになるのですね。「企業をしゃぶりつくさない」労働者というのは,企業の利益を極大化するために,上記のようなことは全て諦める労働者のことをいうということなのでしょうね。さすが,単純労働者なんて月給1万円で十分というだけのことはありますね。

  6. bobby
    2月 16th, 2009 at 00:35
    6

    小倉さん、コメント有難うございます。このような世界的な不況時に、企業の内部留保を吐き出してまで雇用を守れというのは、「企業をしゃぶりつくす」というのと同じではないですか?月次で利益を計上している企業が雇用を維持するのは理解できますが、赤字を出している企業に、労働者の生活保障を求めるのは法律的に言って、正しい理屈でしょうか?

  7. bobby
    2月 16th, 2009 at 00:41
    7

    前田さん、コメント有難うございます。小倉さんには、不況になった理由や、他人の記事の批判などでなく、これからどうしたら良いかというアイデアについて、弁護士の知識と経験を生かして記事にして頂きたいです。著作権法のエキスパートですから、どのようにしたら音楽のダウンロードやストリーミングなどで、内需を拡大したり、更に外国から投資を呼び込んだりができるかとか、そういう建設的な話しをするほうがお互いに楽しいと思いますよ。

  8. yajikita
    2月 16th, 2009 at 05:16
    8

    小倉さん>
    >労働者が,労働の対価で,生存し,健康的で文化的な最低限度の生活を営み,あるいは,そのような生活をしつつある程度の資産形成を行い,あるいは,子供を産み育て,あるいは義務教育を超える教育を受けさせ,あるいは,国内外の労働者が生産した成果をある程度消費者として享受することを可能とする程度の賃金を得る<
    私も日本がこのような社会であって欲しいと思っております。
    日本がこのようになってきたのいつのころからでしょうか。60年代に大学にいくのは一部の人たちでした。小倉さんのお父様も能力があるのに大学進学を断念されたとのことです。私の父の兄弟も父以外大学にいっておりません。母方は高校までです。妻のほうも義父は中卒。その兄弟も高校までです。それでも私も妻も大学を出してもらっています。私の会社でも10年上までは高卒を採用していました。大変優秀で尊敬できる先輩です。その人たちは家庭の事情で大学へいけなかった人たちです。そのように考えてみると、日本でも1世代前までは小倉さんのおっしゃられるような社会ではなかったのです。それが前提なんていうことはないのではないでしょうか。
    そして、日本経済は内需だけではこのような繁栄を維持できません。輸出を行って繁栄してきました。そして、世界は日本だけでありません。日本の会社は中国、ベトナム、タイなどにも工場を持っています。その国の人々は日本の1世代前より貧困な暮らしをしております。小倉さんはその国の人たちも上記のような生活を営んで欲しいと思っているですよね。そうでなければ海外の労働者からの搾取によって日本人の労働者の生活が支えられることになります。企業の内部留保には海外で収益を上げた分も当然含まれます。日本は会社は世界の中で存続しているのです。日本の労働者のコストが高ければ海外へいきます。そうなればますます日本での雇用はなくなりますよ。いままで先進国が海外に作った工場のおかげで発展途上国の人々の生活が向上しました。
    小倉さん、語学がお出来になるのでしたら海外で働いてみたらいかがですか?そうなされば日本がいかに恵まれているかわかると思います。

  9. 前田
    2月 16th, 2009 at 07:03
    9

    同感です。

    小倉さんは、池田先生がおっしゃるとおり、
    まずは、「資源配分」「所得配分」の混同をやめたらいかがですか?

    あなたが言っていることは、資源配分を歪めてまで企業が所得配分をしなければならないとおっしゃっているのですよ。
    高度成長期にはそれがある程度可能でした。
    それは、全体としてのパイが拡大していたからです。
    ですが、今の日本はそうじゃない。

    所得配分は、国家が行えばよい。
    資源配分は市場に任せよ。
    もう一度いいます。
    資源配分と所得配分の違いをもう一度理解してください。

  10. pugpon
    2月 16th, 2009 at 07:43
    10

    >小倉さん
    私はただの一会社員ですが、あなたの労働者を守れといったスローガンは空し過ぎます。超過利潤を労働者で分配するような小倉さんにとって理想的な会社を作っても、そんな会社にそもそも投資する人なんかいるわけないんだから、続く訳がないでしょう。
    法曹界のように規制で守られている業界にいるから現実を直視できないのではないでしょうか?

  11. tosuga
    2月 16th, 2009 at 15:56
    11

    小倉さん、かつてのターゲットであるモトケンさんからも突っ込みが入ってます。
    反論のための反論で無駄な労力を使うのは小倉さん自身にもならないと思いますけどね。
    それでも印象操作を繰り返して粘着的にエントリをするのが小倉さんの芸風なので仕方ないのかもしれませんが。
    実際、町村弁護士やモトケンさんとの不毛なやりとりが今度は池田さんをターゲットに繰り返されているだけという気がします。

  12. TGB
    2月 16th, 2009 at 19:42
    12

    >小倉さん
    僕も一非正規下流労働者ですが、小倉さんには同調できないですね

    人々が助け合って生きていくのは美しい姿だが、小倉さんと僕が互いに信頼しあって手を取り合うことは、これからもあまりなさそうですね
    あなたがあなたの望む理想社会を実現しようと努力すればするほど、我々はますます理想から遠ざかっていく
    小倉さんの押し付ける幸福は僕の幸福ではない
    それが不幸の始めだった

  13. truf
    2月 16th, 2009 at 23:35
    13

    道徳的に鼓舞された努力の非道徳的帰結

    西洋文明の長期的展望に照らせば、法の歴史は普遍的適応を可能にする正しい行動ルールのゆるやかな出現の歴史であるけれども、過去一〇〇年間の展望のなかで、法律学の学生のなかにさえ「正義」の本来の意味を見失ってしまったものがいるほどに、「社会的正義」によって正義が徐々に破壊されてきた。数人の社会主義者の法律家が熱心に抹消しようと努めている区別ではあるが、その過程がどうして、われわれが公法と呼ぶ組織のルールによって正しい行動ルールを置換するという形態を主にとったのかをここまでは見てきた。これは実質的には、個々人がもはや私的行為の領域を限定するルールにしたがうのではなくて、徐々に当局の命令にたいして従属するようになったことを意味する。その構成員が同じ目的のヒエラルキーに奉仕する社会について仮定される道徳の優位と一緒になって、制御の技術的可能性が成長していくと、これのもつ全体主義的傾向が道徳的外観を見せるようになる。全体主義が潜り込んでいるトロイの木馬は「社会的正義」の概念なのである。
    しかしながら、目的関連的な小集団からなおも生き延びている諸価値は、これら集団の統一には必要であったが、大きな社会における多数の構成員の平和的共存を可能にする諸価値とは、違っているだけでなく両立不可能であることが多い。すべての人間的存在が同等とみなされる大きな社会の新理念を追求する一方で、閉鎖的小社会の異なる諸価値を保持することもできるという思い込みは幻想にすぎない。そんなことを試みれば、大きな社会を破壊させてしまうことになる。

    -F.A.ハイエク 法と立法と秩序II 社会正義の幻想 (136p)

  14. bobby
    2月 18th, 2009 at 09:41
    14

    Yajikitaさん、前田さん、Pugponさん、TGBさん、Trufさん、コメント有難うございました。レスが帰って来ないところを見ると、小倉さんは、とりあえずこの場での議論はギブアップしたようですね。残念です。

  15. yajikita
    2月 20th, 2009 at 22:25
    15

    小倉先生はまた池田先生のブログにかみついてますけど、統計の数字を理解できていないのはむごいですね。住宅着工件数が2008年7月から10月まで大幅に改善してると書いてありますが、それは2007年の落ちみが激しかったためで前年同月ベースで増えているように見えただけ。2006年の同月比だとそれぞれ-8.8%,-12.8%,-13.6%,-22.2%でそのあとの11月、12月も-27.0%,-23.8%と全然回復してません。50%減あとの50%増は1 X 0.5 x 1.5 = 0.75という算数を知らないのですかね。(駄文を失礼しました)

  16. bobby
    2月 21st, 2009 at 01:19
    16

    yajikitaさん、コメント有難うございます。私の今日の記事にも書きましたが、イデオロギーは不要なバイアスを生み出して心を曇らせ、合理的な思考を妨げます。小倉氏自身が「正義」という名のイデオロギーに侵蝕されているような気がしてなりません。

Comments are closed.