因果は巡る派遣切り

1月 14th, 2009 Categories: 1.政治・経済

小倉氏は自身のブログ記事で、派遣切りを「企業のわがまま」と表現していますが、この理解はまずいのではないでしょうか。そもそも非正規雇用者(派遣社員や契約社員)は、正社員が解雇できないルールの為、景気が悪くなった時の人件費を調整するバッファーとして存在しているわけです。工場では予め与えられたオプションを選択したに過ぎません。また小倉氏が述べている「企業が低い賃金の非正規社員を雇用して人件費を浮かして利益を上げた」という認識もおかしいと思われます。非正規社員の賃金が正社員より低いのではなく、正社員労働者の賃金がその生産性に比して高すぎるという見方が正しいと考えます。日本では生産性の低い職種の人が、高い生産性の職種の賃金を搾取している構図を改めるべきです。

久間さんは自身のブログ記事で、池田氏木村氏の「派遣村」に対する記事を批判しています。「無責任な自己責任論は害にしかならない」のだそうです。日本国国民は憲法で生存権を保障されているので、たとえ怠慢で無気力な人であっても、国は彼らの生存を個別に保障しなければならないようです。

ところでこのこの生存権って何でしょうか。 wikiによれば、以下のようになっています。

* すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。(第1項)

* 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。(第2項)

国は、国民が健康で文化的な最低限度の生活が営めるように、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めよ、といっています。国は国民に義務教育の機会を与え、職業訓練所でスキルを身につける機会を与え、ハローワークで(選り好みしなければ)就職する機会を与え、自分で働けない人には生活保護というセーフティーネットを与えています。このように国が整えた環境の中で、五体満足の労働者が自活するのは、やはり個々人の自己責任ではないかと思うのです。

派遣村に集まった500人に対して、自己責任論で批判する人を「無責任」と逆批判する方は、具体的に何が無責任であるかを明確にすべきでしょう。ある1人の派遣社員が解雇されるケースは、今のような不況でなくても随時起こりえます。個別の派遣社員が、自分の生活を自己責任で守る事ができれば、その規模が1万人になっても10万人になっても短期的(数ヶ月間)には問題にはなり得ないはずです。解雇された人がそれぞれ自分の予定したダメージコントロールプランに従って、状況なりの生活に切り替えれば住む事です。

解雇された人が、もともと不安定な身分であったのに解雇時のダメージコントロールプランも無く、「あー、クビになっちゃった。あー、寮を追い出されちゃった。あー、毎月の給料は小遣いで全部消えちゃうからホテルに泊まるお金もない。あー、コンビニや蕎麦屋の店員はやだな。あー、誰か寮付きのいい職を紹介してくれないかな。」などと言ったら、あなたはどう思いますか。せめて生活保護の申請くらい自分でやってよ、と言うのが普通の人の反応だと思われます。

ところで大量派遣切りの理由を国の責任に転嫁するのは、まったくの筋違いであると思われます。金融恐慌の引き金を引いたのは米国ですが、米国不動産バブルの燃料(お金)を大量に供給したのは日本の円(円キャリー)です。そのおかげで日本円は実際より安い期間が長く続いて、輸出産業がたくさんの利益を稼いで国内景気を維持しました。今回切られた派遣社員達も、輸出企業が稼いだ利益の恩恵で職を得ていたと言えますから、米国のサブプライムローンと不動産バブル問題に対して、一方的に文句を言える立場ではなさそうです。円安時代の終焉と共に、大量の非正規雇用者たちが失職しました。

グローバリゼーションが発達したいまの世の中で、まさに因果は世界をめぐっているといえそうです。

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