幸福は個体差の大きなベクトル量である

12月 10th, 2012 Categories: 1.政治・経済

今日は、ちょっとトンデモ系列の記事になりますので、科学的に証明されていない事には関わりたくないという方は、ぜひこの記事をスキップして下さい。

私はかねてより、視覚や聴覚など五感からのインプットに起因する精神的な活動(喜び・悲しみ・怒りなどの感情)は、体内で分泌されるホルモン分泌と関係があると考えています。他にも食欲・睡眠欲・性欲などの生理現象が精神に及ぼす影響というのも、ホルモンによるものであろうと考えています。身体から精神への影響、精神から身体への影響には、ホルモン物質がそのインターフェースの役割を行なっているという事です。しかしながらこれらは今のところ、科学的には十分に証明されていません。故に現在のところはひとつの仮説です。

さて、別の話しとして、人間の脳には快楽中枢というのが’あるそうです。快楽中枢が刺激されると人間は幸福感を感じるのだそうですが、刺激の方法にはいろいろあり、精神的な刺激によるもの、薬によるもの、もっと直接的な方法としては直に電気を流すというのもあるそうです。もちろん、通常の方法で行えるのは精神的な刺激によるものですが、この場合には、先に仮説として述べたように、精神的な活動がホルモンを分泌させ、それにより快楽中枢が刺激されるのであろうと考えます。つまり、人間のいかなる幸福感というものも、極論すればホルモン分泌による快楽中枢の刺激という化学的な現象にすぎません。

昨年でしたか、世界のあちこちで幸福度の調査が行われました。その調査では、中国の方が日本よりかなり、幸福度の順位が高かったと記憶しています。その記事について、日本のネットでは「そんな馬鹿な」という反応がありました。個人所得で日本の10分の1以下の中国人が、日本人より幸福を感じているなんてあり得ないと。しかし、先に述べたホルモン仮説を一歩進めて、人間が幸福を感じる時の感情的な刺激の量と、それが生み出すホルモンの分泌量と、その結果として得る幸福感の大きさに一定の比例関係があるとすれば、これを説明する事は比較的容易です。

私は寿司が大好きです。香港人は一晩の食事に平気で何万円も出す人が多いところで、腕の良い寿司職人が日本から来ており、うまい寿司屋も何軒もあります。そういう店に行き、空きっ腹のところへ、たとえばカワハギの握りの上に肝がちょこっと乗っているやつを一口食べ、美味い酒を一口飲み、口の中で旨味が渾然一体となって混ざり合った瞬間に、「ああ、生きてて良かった」という幸福感を感じる事ができます。私以外にも、うまい食べ物、うまい酒で幸福感を得る事ができる人は少なくないと思います。ところがそういううまいものを毎日たらふく食べ飲みしているといつかは飽きます。飽きてしまうと、先に述べた幸福感を得る事ができません。つまり、普段は食べないうまいものを食べた時、飲んだ時に、そのうまさの差の大きさを感じる事から、その大きさに見合ったホルモンが分泌され、ホルモン分泌量の大きさによって快楽中枢がより大きく刺激されて、その大きさに見合った幸福感を感じたと思う事ができるのでしょう。

上記の例を要約すると、食べ物の旨さのスカラ量(そんなものがあるとすればですが)の大きさと幸福感が比例するのではなく、その食べ物を食べた時に得た旨さの感動のベクトル量の大きさと幸福感が比例するという事です。故に、いくら旨さの絶対値の高い食べ物でも、食べ飽きれば感動のベクトル量は小さくなり、幸福感を得られなくなります。

次にこの例を、日本と中国の幸福感に当てはめてみましょう。日本はアジアの中では際立って豊かな国であり、食べ物は豊富、所得も高く、治安は安定して安全であり、人々は安定しています。つまり生活環境のスカラ量は中国とは比べ物にならないほど大きいと言えます。しかし、日本は経済成長が20年も止まっていると言われており、生活環境がより良くなるベクトル量がほぼゼロであるといえます。対して中国は、生活環境のスカラ量は小さいのですが、主要都市だけでなく地方都市や農村でも経済発展の波が押し寄せており、場所により5年から10年以上に渡って生活が改善するベクトル量が大きくなっていました。人々が自分の生活を考えた時に得る「どんどん良くなる」という感動のベクトル量が大きいので、生活に対する幸福度も必然的に日本より高くなっていると言えます。

幸福の大きさが、環境や経験対する個人的な感動のベクトル量の大きさで決まるものであるならば、人間の生体反応の個体差が大きい以上、ある環境や経験から生まれる幸福感の大きさは個人差があり、あるいは幸福を得ない人もいる筈です。ならば国家や政党が、事前には結果を予測できない政策によって国民の幸福を増す事を行う事は難しい。また、結果として前回効果のあった政策でも、今回も同じ結果を得られるとは限らない。であるならば、国家や政党が政策目標に国民の幸福を掲げる事は単なる政治家の願望であって現実的ではないのではないかと考える次第です。

逆に、国民に長期にわたって幸福を与えられる政策というのは、国民の生活環境をゆっくりと長期に渡って上昇させてゆく事ではないでしょうか。このように考えると、急激な改善というのは、より早くピークに到達するという事ですので、中長期的には良い政策とは言えません。

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