温暖化議論、まず視点を明確にせよ

もしも地球が人為的CO2により温暖化傾向にあり、地表温度が100年で摂氏3度、海面が30センチほど上昇するとして、それの何が悪いのか?問題提起の前に、その視点(価値観)を明確にすべきだ。これを曖昧にすると議論は迷走する。(だから迷走しているのかも...)

地球が温暖化傾向にあると仮定し、更にその原因が人為的排出CO2によるものだと仮定して、それの何処に問題があるのかを、まずは明確にしたい。問題点を明確にするには、問題提起者の視点(価値観)をまずは定める必要がある。そこで、以下の2つの極端な視点を用意した。

視点1

人類という「人工物」が「地球の自然環境」に悪影響を及ぼす事が「悪」であり、「阻止すべき問題」と考える地球の自然中心の視点。

視点2

「私」とその周辺の人々の生活に悪影響を及ぼす事が「悪」であり、「阻止または対応すべき問題」と考える人間中心の視点。

視点1は、いわば地表の自然環境の代理人としての視点である。「自然の為に、自然を守れ」である。よって、すべての人為的温暖化が糾明され、抑止されなければならない。この視点は、しかしながら自然を「擬人化」してしまう混乱から生じており、そもそも間違っている。自然に人格は無く、要求する権利も無い。それどころか、人格だの権利だのという言葉は、人間が生み出したもので、自然とは何の関係もない。もし、真に自然の視点から見れば、人間と人工物とその副産物であるCO2排出を含めた全てが、自然の一部として含まれるであろう。人間が生み出したものを「人工物」として、それ以外の自然と区別するのは、人間の視点の中でだけ有効な考えである。

視点2は、「私」中心で利害を考えた視点である。人間中心と言うと、人間を抽象概念化して利害が複雑にりり、議論が迷走してしまう可能性があるので、あえて「私」から見た、私の家や会社や家族のいる街や、地域、国、自分の国と関係ある他国、のように利害関係を狭いところから広いところへと、広げるようにしてとらえる。この場合、温暖化議論は池田信夫blogが地球温暖化についての安井至氏の誤解で語るように、

しかし安井氏が理解していない点がある。それはLomborgも指摘するように、地球温暖化は第一義的には経済問題だということだ。グローバルに重要な問題は山ほどある。いくら地球温暖化が重要でも、それより重要で緊急の問題があれば、まずそれに政策資源を投入すべきである。

経済問題が一番の優先順位だ。異常な大雨が降って床上浸水するとか、浜辺の家が高潮で破損するとか、異常気象で野菜や穀物が値上がりして生活費が圧迫されるとか...温暖化が「私」に及ぼす影響はすべて、経済問題である。この「私」を東南アジアやアフリカの極貧国に住む「私」に置き換えてみれば、100年間で摂氏3度(と30センチの海面上昇)のために1兆ドル使うよりも、いま現在の食糧問題、医療問題、教育問題などなどを、そのお金で解決してもらいたいと考えるであろう。

ところで陸と海に住む生き物のほぼ全ては、地球が温暖化すると暮らしやすくなる。柵で囲われて移動できない家畜を除けば、温度が上がれば、自分の住み易いほかの場所へ移動するだけである。視点1で捉えれば、ほぼ全ての生き物は、生活圏を移動するだけ十分に適応できる。視点2で捉えると、温暖化が意味するものは、陸上でいえば、自分の畑に植える作物の品種改良、海でいえば魚の回遊が変わり漁場が移動するのである。 場所により広い範囲で砂漠化する場所があるかもしれないが、その場合には生活圏を「移動」すれば良い。このような変化への対応は、CO2削減という科学的に証明されていない案件への投資よりも、費用対効果が高い事が明白であるように思われる。
それではどのようなケースであれば、科学的事実をもとに多数の国の政治的判断を求めなければならないのか?

では、温暖化が政治的最優先問題になるのはどのようなケースであろうか?それは、地球の全人口(とくに先進国)のうちの多くが、温暖化が過去数億年の歴史に例を見ないほど極端に進んで、地表の多くの場所が、人間も動植物も居住に不適格になるような可能性が数十年以内に来るような場合である。繰り返しになるが、100年で摂氏3度、30センチの海面上昇は、別に人類存亡の危機とは(今のところ)言えない。
温暖化問題は経済問題だ、という方向性に疑問を抱く方もおられるが、視点がはっきりしていれば、何を問題し、何を優先すべきかはおのずと明白になるであろう。

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