未だガラパゴス化を撤回できず

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日本人の感性はガラパゴス化しているには、たくさんの反響があり驚きました。ブロゴスへ転載された記事では、27個の「いいね」を頂き、賛同のTwiterやコメントを頂く一方で、その倍以上の否定的なTwitterやコメントを頂きました。特に、私の個人サイトへのコメントでは、みなさんの具体的な考えがわかり大変参考になりました。車両内の通話規制は「日本だけである」という言葉は撤回させて頂きます。しかし携帯通話そのものへの違和感をガラパゴス化であるという事は、撤回するだけの意見にはまだ出会っていません。そこで、頂いた否定的な意見をもとに、これから反論を述べたいと思います。長文になりますがお付き合い下さい。

1)公共マナーは守るべきである。
私の記事では、法律や規則に書いてない事は、何を行ってよいとは「一言も」述べていません。公共マナーは社会生活を円滑にする文化的なコミュニケーション・プロトコルと理解しています。私も日本へ来れば日本のマナーに従います。公共マナーとは、おおげさに言えば紳士淑女の「たしなみ」であり、強制されるべきものでは無いと理解しています。車内での通話規制がマナーであるのならば、社会が生み出した「空気」で強制している状況は異常と言えます。マナー(自発的)と規則(強制的)を混同するべきではありません。

2)規則ができるには理由がある。
日本の電車やバスは、「通話するな」と表示およびアナウンスしており、これは運行会社による強制力を持った規則とも考えられます。これがマナーではなく規則であるとするのならば、その合理性あるいは生まれた原因とは何でしょうか?図書館、映画館、深夜の長距離バスなどでの通話規制は合理性があると理解できます。電車やバスの車内はもともと静寂性は低く、乗客の私語を規制していないので、通話規制の合理性は薄弱です。しかし、社会の中に車内通話を規制しろという「空気」が生まれると、運行会社は「事なかれ」的に規則化します。大手が規則すると、中小の運行各社も「横並び」で規則を導入します。かくして、運行会社が「空気」に「お墨付き」を与え、全国各地で車内通話規制が敷かれたのだと推測します。故に問題は、車内通話規制の「空気」を生み出すドライブエンジンとなった人達の存在かと考えます。なぜ、日本にはかくも大きな「空気」が生まれたのでしょうか?

3)電車やバスの中で大声で話すのはマナー違反。
そもそも車内で大声で話す事は、多くの国で迷惑と認識され得ると理解しています。どこからが大声かというのは難しいが、社内の背景雑音のレベルにより判断は可能でしょう。私語を規制していないのであれば、常識的範囲内の音声での「会話」と「通話」が区別される合理性はありません。携帯電話で話す人が、大声になる傾向があるのであれば、「小声で通話」を呼びかけるのが合理的です。ニューヨーク在住さんと英国在住さんのコメントは、「大声」が問題にされていると理解しています。なぜ日本では、声の大小ではなく、車両内での携帯通話そのものが嫌われるのでしょうか?
 
4)他人は気遣うべきである。
公共空間で他者へ配慮する事は、日本独自の考えではなく、東アジアの国を含む多くの国で文化の中に埋め込まれていると理解しています。私の記事には、本記事冒頭に述べたように、賛成コメントもありました。つまり、日本人の一部は、車両内で、常識の範囲内で普通に通話しても良いと考えている事を示しています。

配慮の原則は、する者とされる者が双方向でフォローする事ではないでしょうか。他人の迷惑にならないように、「大声」での会話は通話を控えるのは他人への気遣いです。一方で、普通の声で会話や通話をする人を「許容」するのも、他人への気遣いです。自分と違う人を許容する配慮が、多くの日本人にもっとあっても良いのではないでしょうか。

お互いが配慮し合う事により、車両内がより多くの人に、今より「居心地の良い空間」になる事を望みます。