大学院の価値

小幡績氏井上晃宏氏が大学院の存在価値について議論を行っています。最近、アゴラも少しずつ投稿者同士の議論が増えてきた感じです。アグレッシブかつスマートに議論をふっかける小幡績に注目しています。ところで大学院については、実は私も意見があるので以下に述べます。

中国にある私の業務アプリ・チームは私と現地採用の2人だけでしたが、昨年暮れから本格的に人員増強を開始して、いままでに3名を採用。うち2人は大学院卒と大学院在学のインターンです。この期間の経験から、学卒と院卒を比較して感じる大きな点は、専門教科の知識の理解度です。学卒は、専門教科と実務が直結している場合でも、かなりベーシックなところから再教育する必要があります。大学院(在学と卒を含む)の場合には、理論面で教える必要性を感じる事はほとんどありません。

わたしが中国でやっている事は、工場の生産性向上や中国特有のリスク低減の為のコンサルを主目的として、その為の道具としてERPや通関管理ソフトなどの導入を行っています。ですので、担当するコンサルの「知識」の深さは非常に重要です。

知識の応用(≠技術の応用)を職業とするあらゆる業種では、専門教科の教育レベルはより高い方が良いと断言できます。恐らく、工学・理学・化学・農学・海洋学など自然科学を実社会へ応用する分野では、同様の事が言えるのだと思います。

その一方で、自然科学でも実社会で利益向上に直接的に役立たない分野(たとえば蝶の研究)、人文などの非自然科学分野においては、「高度な教育や研究」は個人の道楽の延長線上にあり、就職のアドバンテージも皆無である事から、必要最小限で十分であろうと考えます。

判断が難しいは、臨床医療と弁護士と学校教師(小から高まで)でしょう。

臨床医療は、専門的に高度な診断を行う一部の医師には、大学院の修士あるいは博士課程でより専門的な教育と研究を行って、深い知識が要求されるべきだと感じますが、外来患者と直接対面する一般の意思は、学卒程度の知識に、専門的な臨床経験を上乗せするだけで十分ではないかと考えます。

学校教師はそもそも、非協力的な対象に対して知識を与えて理解させる事を目的する職業なので、「教科」の内容を高度な次元で理解している事だけでなく、対象である生徒・学生の心理や挙動、教育そのものについての最新の知識、深い理解がある事が望ましいと考えます。しかし、すべての公立学校の教師を高度な専門化にする事は非現実的な気がします。私学の場合には、院卒や博士をたくさん採用する事は経営判断に任せて良いと思いますが、公立学校の場合、管理職教師は少なくとも引率か博士レベルであるべきかと感じます。

短く結論を述べると、大学院は存在する価値はある。しかし定員については、各分野が持つ知識を売るマーケットの市場規模に応じて、大学院の定員の増減を行うべきかと考えます。増員して市場を膨らまそうという行政や大学による「根拠のない願望」によるPUSHではなく、市場の求めに応じで増員するPULLで対応するべきです。

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