あえて被災者というタブーを破ってみる

5月 15th, 2011 Categories: 1.政治・経済

4月末から5月6日まで、四国山中の田舎へ帰省していました。1月に亡くなった母の、生前の希望をかなえる為に、お骨を山へ散骨する為です。イベントが5月の連休中であった為、東京からたくさんの親族が集まり、20名近くの親族と友人(そのほとんどは70歳を越える老人)が参加して、山の急斜面の雑木林に穴を掘って散骨し、その上に「クコの木」を植樹しました。クコは秋に赤い実をたくさん付けるので、小動物に好まれます。実のなる植物をたくさん植えて、山の動物を増やしたいというのも母の願いでした。しかしながら慣習やしきたりにうるさい田舎で、様式が確立されていない散骨という儀式を行う事は、えらく気疲れしました。

散骨も終わり多くの親族も出発してひと段落したある日、70歳を越える叔母が朝の茶の間で、テレビに写る東日本大震災の避難民の報道を見ながらこんな事を言いました。

関東大震災や戦時中の大空襲の時には、政府はこんなふうに助けてくれなかったし、そんな事を期待もせず、私らは自力で立ち直って来た。五体満足そうに見えるあの人たちは、いったいいつまで避難所にいて、あそこで何をしているのか?

日本の社会では決して口に出して言えないけれども、被災地(特に福島第一原発の避難民)の人たちに対して、被災しなかった多くの人たちが、心の中で密かに持っている疑問ではないでしょうか。

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