日本海海戦の勝利は幸運が重なった結果である

4月 9th, 2011 Categories: 1.政治・経済

池田信夫氏は日本海海戦を、「まぐれ当たりで、日本の戦力は長期戦には耐えられなかった」と述べています。坂の上の雲を読んだ事のある人の多くが、日本海海戦は勝つべくして勝った海戦であるという意見をもっていますが、その現場実にいた秋山真之はどのように考えていたのでしょうか。

軍談-秋山真之の日露戦争回顧録の第一章、彼自身がこの海戦を「運」以外のなにものでもないと語っています。以下に本文から抜粋して引用します。

1)黄海海戦の回想
日露戦役の事蹟中で、何が一番不思議であるかといえば、本来、約二倍の兵力を有する露国の三大艦隊が、ほとんど全滅したるに反し、その二分の一に足るか足らざる日本の聨合艦隊が、大部分残存し、あまつさえ戦利艦を獲て、戦役前よりも、その勢力を増加したことである。いかに皇軍の武運がめでたいとはいいながら、こんなことは東西古今海陸の戦例に稀有、否、皆無の出来事で、これを不思議といわなければ、この世の中に不可思議のものはないと思う。(黄海海戦の回想 6頁より引用)

後より回想して見ると、もしその第一合戦中、敵弾に九分九厘まで打ち破られた『三笠』の大檣が舷外に倒れ掛かったならば、我が速力は減り、隊列は乱れて、とても敵に追いつくことは出来ず、対馬海峡に村上艦隊がいたとしても、その浦塩に入るのを食い止める事は覚束ないことであった。あるいはまた、その第二回合戦中、敵の司令塔を破った怪弾が、反対に我が『三笠』の艦橋に中ったならば、その日における勝敗の現象は彼我転倒しておったかもしれぬ。これを唯々砲術の巧拙といえばそれまでだが、現時の人智で作り出した大砲は、一分一厘狙い違わぬように出来ておらぬのだ...たとえ腕に覚えがあったとしても、敵を全滅する代わりに、我も半減せねばならぬ勘定である。(黄海海戦の回想 24項より引用)

この時もし敵を全滅し得て、我が艦隊の三隻を失うたとすれば、後日バルチック艦隊の来た時に、これに対する我が戦艦は唯の一隻であったのだが、今考えてみると、実に持って危険千万な大投機である。(黄海海戦の回想 25項より引用)

2)日本海海戦の回想
この海戦における彼我主力の艦数は、双方ともに十二艦であって、我は戦艦4隻、装甲巡洋艦八隻。彼は戦艦八隻、装甲巡洋艦1隻と装甲海防艦三隻より成り、その勢力は、ほぼ対等であったが、唯較や我が軍の戦術と砲術が優れておったため、この決勝をかち得たので、皇国の興廃は、実にこの三十分間の決戦によって定まったのである。(日本海海戦の回想 31項)

しかし、戦術とか、砲術とか、あるいは勇気とか、胆力というものの、やはり形而下の数字的勢力は争われぬもので、もしもこの対戦において、我が海軍が十二隻の主力船隊を戦線に出す事ができなかったなれば、この勝敗は未だ孰れともいえないのである。実にこの戦線に参加したる我が装甲巡洋艦「日進」「春日」の如きは、開戦間際に伊太利より購入せられ、開戦後に我が国に到着したのであるが、もしもこの2艦がなかったなればと想うと、吾人は今日もなお旋律せざるを得ない。(日本海海戦の回想 32項)

長々と引用しましたが、秋山真之が言いたかった事を下記に短くまとめてみました。

日露互角の戦力で戦った黄海海戦で、日本側が戦艦を一隻も失わなかったのは奇跡のような幸運である。それで日本側は、日本海海戦で主力艦を露側とおなじ12隻を用意する事ができた。もし黄海海戦で常識的な範囲内の勝利(自艦の半数を失う)であったなら、あるいは日本政府が戦艦を少しでも温存しようとしたら、あるいは日進と春日が海戦に間に合わなかったならば、日本海海戦でこのような勝利は考えられなかっただろう。

聨合艦隊の日本海海戦の勝利は、当事者が冷静に分析した結果によれば、かなり運に助けられた勝利であったようです。

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