不運な転落事故

12月 25th, 2007 Categories: 1.政治・経済

asahi.comによれば、高速道路を運転中のマイクロバスから、子供が転落したという。子供は後続のトラックにはねられて死亡。本件で運転していたサッカーコーチとトラック運転手が逮捕されたという。

マイクロバスのドアが走行中に開いた事について、走行前にドア・ロックを自動モードに入れていなかった(入っていれば走行中にドアが手で開けられない)事で、運転手は罪を問われているようだ。このニュースを最初に見たときに疑問に思ったのは、ドアが開いただけで子供が社外へ転落するだろうか、という事である。 asahi.comの後続ニュースによれば、

調べに対し、引地容疑者は「いつもは自動にしているが、遠征の際は昼休みなどで子どもの出入りが激しいので、手動にしていた。出発するときに自動に切り替えるのを忘れていた」などと供述しているという。

吉崎さんは、茨城県かすみがうら市でのサッカーの練習試合を終えて出発する際は、前から2列目のドア側の席に座っていた。事故直前はドアのステップ付近にいたとみられる。

県警によると、「ボールがドア付近に転がり、吉崎さんが拾いにいった際にドアが開いた」という、児童の証言もあるといい、状況を詳しく調べている。

ボールがドア付近へ転がった理由はさて置いても、 転落事故の直接の原因は走行中に座席を立つ子供自身の行動である。ハンドルを握っている運転手は、とっさにはどうしようもないではないか。

このように言うと、以下のような反論が予想される。子供は何をするかわからないのだから、それを織り込んだ大人の管理が必要である。確かにまともな理屈のように聞こえるが、これは子供の事をまともにわかっていない大人の発想である。私には小学4年生の子供がいるが、良く観察していると、実はかなりの常識を持っている事がわかる。このニュースをテレビで見ていた息子は、

転落した子供は、どうして後ろのトラックに轢かれたのか?と、車の前後関係を指摘した。高速道路にはいつも、沢山の車が走っているので、すぐ後ろに居たトラックは、転落した子供を避けられなかったのだと思うよ、と説明すると、ああそうかと、すぐに理解を示した。

更にこういう反論も考えられる。コーチが運転していて子供の管理ができないならば、子供の面倒を見る添乗員を乗せるべきではないか。それをしなかったのは大人の管理責任である。うんうん、それも良く聞く話しですね。

ところで子供がサッカーチームへ参加する目的は、サッカーを楽しみ上手になるという事の他に、子供の自主性や責任感を育成するという事があげられるのではないか。親の手を離れた子供に、コーチのもとで責任ある行動をさせるように、親と子供自身が努力すべきではないのか。 そのような状況で、走行中のマイクロバスのドアが開き、子供が転落したのなら、これはもう、誰にも過失を問えない、事故ではないのか。更に後続のニュースによれば、

「サッカーだけではなく、人間形成に必要なマナー、ルールを身に着けるような指導を行うこと」を目標にしており、12月6日付で川越市内の体育祭で3年から6年までの4学年が優勝したことを「偉業達成!」と子どもたちの写真入りで伝えている。

というようになっていますね。子供だから何でも管理せよ、という考え方自体が、子供の成長を阻害しているのだとは考えられないだろうか。
田舎の山中に住んでいる人は、道の穴につまずいて怪我しても、だれも町役場を訴えたりしない。穴に注意しなかった本人の責任だと、すぐに思い至る。自分の不注意で、事故や怪我がどこででも起こり得ると知っているからだ。

この事故は、コーチが意図的に子供を転落させた(運転中だから無理だと思うが)という事でもない限り、子供の不注意から発生した、他人に責任を問えない不幸な事故だ、としか言いようが無いのではないかと思います。

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