千葉周作

12月 16th, 2007 Categories: 1.政治・経済

千葉周作と千葉道場は、だれでも知っているのに、以外にも彼を主人公とした小説が少ない。今月になって、彼の登場する小説を立て続けに3冊読んだ。その中でも、津本陽の「千葉周作不敗の剣」は、たいへん面白かった。ただ面白いだけでなく、剣道以外のスポーツや勝負事の参考になる言葉がたくさんあると感じた。そのような言葉を小説中から、ただ抜き出してみたい。コメントは一切つけないので、どう参考にするかは、貴方次第である。
●三州御油の新陰流剣客竹内某の道場に滞在中、難剣を使う松田という若者がいた。師匠の竹内と試合しても五本に三本はとられるほどである。竹内から相談を受けた周作が、長さ一尺の短柄をもって竹内を三十本試合で全勝した後で、竹内に語った言葉。
「およそ剣術者は、達者、巧者、上手というものがいる。この三段の上を越えなければ」、名人の位には到れrぬものだ。達者は試合での当たりがはげしく、巧者は当たりがやわらかい。もっとも、達者といい巧者といっても、勝負では多く打たれた方が負けだ。しかし、勝負とはいっても、その内容は、技量によっておのずから差があるものだ。達者は先々の先を見て取って縦横無尽に打ち込むものだから、動きがはなはだ忙しい。巧者は気合のうえでは、相手に応じて動き、打たれても心は動揺しない。そのありさまを見るに、ゆったりとしていて、達者よりはるかに優れて見えるものである。達者は相手に隙あれば体当たりし、組敷きなどして、強引に勝ちを得ようとする。巧者は、相手の強弱を見切り、駆けひきをして、勝負どころをあきらかに見分けるため、つよくたたみかけては打たないものだ。あまり打ち合わないうちに、先方の癖を知り、三本でも五本でも見栄えのする勝ちをとればそのうえ強引に打ちこもうとしないものだ。いくら数多く打たれても、目立つ技で二、三本とれば、その方がひきたって見えるものである」(31項 他流試合)

●三州御油の竹内の屋敷に滞在中、訪れる近隣の剣術修行者が稽古に際して相手のいずこに眼をつければよいかとの問いに答えて。
「向こうの切先、向こうの拳、この二つの目付けは、常々忘れてはならぬと存ずる。打ち、突く技の出るところは、切先と拳ゆえ、この二つの動きをよく見て防がねば、相手は自由に動きまわり、なかなか防戦もいたしがたきものでござる。たとえば酒樽などの呑み口の栓が抜け、酒の流れ出るのを、栓なくしていかに押さえようとしても、なかなか押さえることはできぬものじゃ。呑み口にはやく栓をいたせば、たちまち留まるものでござろう。剣術もおなじ理屈でござろうよ。相手が打ち、突きの技を出したのちに受け止めようとしても、なかなかに留まらぬおのなれば、まず相手の拳を防ぐことが肝要と存ずる」(49項 旅の災難)

●試合はこびの要領を聞かれて。

「試合をする相手には、得手、不得手というものがかならずある。相手に得手を使わせれば、試合はなかなかにむずかしいものとなる。相手が上段からの面が得手とあれば、こちらのほうがいちはやく上段にとり、面を打ち込んでやるのがよい。先方の得意の技を、こちらから強く仕掛けてやれば、相手はすくみあがり、自由に技を出すことができなくなって、こちらははなはだ立場がよくなる。これを相手の先に廻る、と申すのじゃ。また、相手の動きをたやすく察することができるときには、そうすればこうする、こうすればそうするぞとの、機先を制する動きを見せてやるのがよい。しかし、互角の腕前の者との勝負の際、または他流試合などのときは、先方の狙いどころを読み取っても、わざと知らぬふりで隙をみせ、打ってくれば切り落とし、引きはずして打ち突けば、たやすく勝利をつかめるものじゃ」(49項 旅の災難)

●剣術上達の正道とは、いかなるものかとの問いに答えて。

「上達に到るには、道が二つある。理よりはいるものと、技よりはいるものじゃ。いづれよりはいるのもよいが、理をおぼえるものは上達がはやく、技よりはいる者はどうしても遅れることになる。なんとなれば、理よりはいる者は、たとえば試合の相手がこうきたときにはこう凌ぐ、こうなったときには、こう打ってでようと、その理を種々様々に考え、工夫をこらして稽古をいたす。これにひきかえ、技よりはいる者は、そのような考えもなく、必死に骨を折り、さんざんに打たれ突かれてのちに、ようやく剣の妙所に思いあたるゆえ、上達の場に到るには、理詰めの者にどうしても遅れるのじゃ。されば理を味わい考えては稽古をし、稽古をしては理を考え、必死に修行するのが上達の道といえよう」 (50項 旅の災難)

●中西道場にいたとき、周作がはじめてしないを持つ者にまず教えた言葉。
「剣術に上達するためには、しないを早く振りまわすことが肝要だ。そうはいっても、早く振りまわすのはむずかしい。面、横面、突き、銅、小手と自在に打ち込んで、しかも他人より早く振るには、相応の鍛錬がいる。しないの試合はともかく、真剣勝負となれば、刀を早く振りまわした方が勝つものだ。はじめて稽古をいたす者は、まずしないの打ちこみからはじめねばならぬ」(115項 蟻地獄)

「気は早く、心は静かに保て。眼はあきらかに業ははげしく」(115項 蟻地獄)

「剣術には三声というものがある。ひとつはこなたの勝ち敵に知らせる声じゃ。この声をおおきく掛ければ、敵は恐れて打ち返してこないものである。いまひとつは、敵がこなたを追いこんできて、打とう、突こうとの意気ごみがみえるとき、こなたの敵の考えを悟ったるを知らせる、大声じゃ。この声を掛けられたなら、敵はすくみ迷う。その瞬間をついて打ちこむのじゃ。のこりのひとつは、敵を追い込んでの掛け声じゃ。敵はこなたより声を掛けられたなら、萎縮して無理な手を下してくる。それにつけこんで価値を得るのである」(115項 蟻地獄)

「また三の挫きというものがある。ひとつは太刀を殺し、ひとつは業を殺し、ひとつは気を殺すことである。太刀を殺すとは、敵の太刀を左右に支え、払って切先を立てさせないことをいう。業を殺すとは、敵がなかなかの遣い手であるとき、二段突き、突き掛け、双手突きなどをこころみ、不成功にもかかわらず、手元へ繰りこんでゆくことである。たてつづけに足がらみ、体当たり、捻り倒し、などを三、四度して相手のいきおいを殺ぎ、業を出させないわけである。気を殺すとは、こちらが奮進のいきおいで、連打打ちを発すれば、相手はこちらの気勢に圧倒され、気力が挫けるので、勝負をこちらのものにしやすくなる。」(116項 蟻地獄)

「試合に際し、見逃してはいけない好期が三つある。敵がこなたに打ち込もうとする出ばな。敵が打ってきた太刀を、受けとめたとき。敵の攻めてくる業が尽きたところ。この三つの機をのがさず、手数多くたたみかけて打ち込めば、勝ちを得ることができる」(116項 蟻地獄)

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