自民党はいつから社会主義に転換したか

11月 13th, 2010 Categories: 1.政治・経済, 3.中国ネタ

TPPの問題では、偽の弱者を守る為に新農水族議員が100人もいるそうです。ところで、TPPに加盟したとして、「誰」が、安くて品質の良い米や野菜を日本に輸入すると思われますか?

中国、ベトナム、タイ等の東アジアと日本では、主に食されている米や野菜の種類がかなり異なります。米の種類や品質が違うのは周知の事ですが、野菜にしても、中華料理の野菜は、日本人に馴染みのないものが多い。おなじ種類の野菜でも、見た目の品質がかなり違うものが多い。そのまま輸入しても、スーパーの店頭で消費者に受け入れられるものは少ないでしょう。

しかし、TPPに加盟すれば、そういう問題を克服して、日本の消費者に受け入れられるような品質の米や野菜を輸出する業者がかならず現れるでしょう。ところで、それは「誰」かといえば日本の商社です。

日本の消費者の嗜好を知り尽くしているのは同じ日本人。TPPによって日本の農家を苦しめるのは、外国人ではなく、同じ日本人だという事。そして、安い「輸入野菜」を選択するのも日本人なのです。TPPに加盟しても、日本人が現地で「商品開発」しなければ、中国やベトナムの現地企業だけで頑張っても、商売として成功するには長い時間を要する事は明らかです。日本人が日本人を苦しめても良いものでしょうか。

ここで考えなければならないのは、日本は民主主義国家であり、民主主義の原則は多数決です。人口比で3%といわれる農家の為に、残りの97%の農産物消費者が不利益を受ける事を強いる事が、民主主義と言えるでしょうか。消費者が「国産野菜しか買わない」と態度で示せば、TPPがあろうと、輸入野菜がいくら安かろうと、商社がいくら頑張っても、日本の農家がダメージを受ける事はありません。そういう判断を下すのは消費者自身だという事が重要です。

そして日本は資本主義市場経済の国でもあります。資本主義の主要要件のひとつは生産手段の私有と自由競争です。なのに農業だけは、企業による農地の所有と自由競争が大きく規制されています。これではまるで、中国共産党が標榜する社会主義市場経済と同じではありませんか。それらの社会主義的農業を後押しするのが、自民党と国民新党の政治家達というのが、なんともシュールです。

日本の農業が社会主義を脱して、企業による農地の私有と自由競争が可能になるのは、いつの事になるのでしょうか。

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8 Responses to “自民党はいつから社会主義に転換したか”

  1. boro
    11月 15th, 2010 at 14:59
    1

    「自民党はいつから社会主義に転換したか」

    って,自民党こそが前近代的な封建社会を温存させようとしている張本人ではないですか(除く,小泉構造改革)。

    いうなれば,「自民党はそもそも自由主義政党ではなく,国家型ではない,原始共産主義政党であった」というのが正しい認識ではないかと考えます。

    私に言わせれば,日本には,国家型社会主義と村落共同体型共産主義の左右二つの全体主義政党しか存在しないといいたいですね。

    それと同じく日本には企業は存在しません。一見,株式会社の衣をかぶっているようでも,それは,株式の持ち合いによって既得権益にしがみついた村落共同体の一変種にすぎないとおもっています。

    日本という国が,自由かつ資本主義国家であるという大前提を一旦疑ってみた方がよろしいのではないですか。

  2. brisbane
    11月 15th, 2010 at 18:23
    2

    農業を単なる営利企業の活動として考えてはいけません。治水的効果、地下水の醸成、環境浄化、古き良き景観の保全など、高い公益性があるうえに、万が一、気象変動による世界的飢饉が発生した場合には、日本国民の重要な生命維持装置となることは明白です。

    一方で、全てを競争原理に晒してしまえば、人件費の安い外国産の農作物が、日本の農作物を駆逐してしまうのは、容易に想像がつきます。

    農業を知らない人は、飢饉があれば値段は上がるんだから、またその時に作ればいいじゃないか、と簡単に思われるでしょう。しかし、実際には、一度荒廃させてしまった田畑を、再び耕作できるようにするためには、少なくとも数年間が必要であり、莫大なコストが発生します。

    消費者が安い外国産を選択するのが悪い、農家が潰れたとしてもたかが人口の3%という理論は、資本主義というより、私からみれば、多数派の消費者に迎合しただけの、ただの衆愚政治です。理念や国家戦略が存在しないという点で、民主党の行っている選挙用のバラマキ政策と同レベルです。施策には、日本国民を守るという確固たる理念と、国家戦略が必要不可欠ですが、それを単なる競争原理にすり替えて議論してしまっては、国家は成り立たず、日本には政治は必要ないことになります。

    短期的に採算が取れなくても、長期的な観点で国民を守るという点で、農業の保全は、ダムの建設や、産婦人科医の確保などと同じ次元で重要です。農業を守ることを、安易に既得権益の保持だと論じるのは、全くの見当違いであると考えますが、いかがでしょうか。

    それとも、日本の低所得者層は、アジアの貧困層と比べ、まだまだ裕福ですから、かつての鳩山元首相のように、日本は日本人のものではないという我々には理解しがたい地球レベルの友愛精神で、まずは農民を東南アジアレベルの所得まで低下させ、世界的格差を是正するのが貴殿のいう資本主義国家なのでしょうか。

  3. bobby
    11月 15th, 2010 at 19:01
    3

    boroさん

    >自民党こそが前近代的な封建社会を温存させようとしている張本人ではないですか(除く,小泉構造改革)。

    仰る通り、自民党は右から左まで百貨店のように何でもそろっていましたね。一時に較べればだいぶ抜け落ちましたが。

  4. bobby
    11月 15th, 2010 at 22:00
    4

    brisbaneさん

    農業が経済的に自立しており税金投入も不要なのであれば何も問題はありません。税金投入し続けないと倒れるほど国内農業が弱いのに、97%の国民が蚊帳の外に置かれている状況は、民主主義の原則に反しているのではないでしょうか。

    私は外国の農産物を買え、国内農家は倒れよ、といっている訳ではありません。農業を民主主義の手に委ねよと言っているのです。

  5. boro
    11月 16th, 2010 at 07:40
    5

    資本主義というのは,境界によって限界づけられたコミュニティそのもを解体し,世界を一つの市場に統合していく運動そのものだ。

    だからヘーゲル-マルクス主義者のようなコミュニストは,資本主義及び自由な個人から市民社会を忌み嫌い,諸個人を何らかの共同体(村落共同体であったり,国家であったり,家族的企業であったり,組合であったりする)に強く紐帯させておこうとする。

    だが,そのような閉鎖的な共同体は,固定された人間関係(ひいては身分制社会へ)故に,同質的な人間を再生産し,経済発展の原動力であるイノベーションを阻害する。異質な人間同士が交流し相互に影響を与えあうからこそ新しい産業や技術が創造され経済が飛躍的に発展する。経済が発展するということは,人類がそれだけ豊かさを享受できることを意味する。
    閉鎖的な共同体では,経済は発展しない(せいぜい現状維持がMAX。)から,経済的富の配分は,恣意的な権力関係によって決定されてしまう。能力のある者・より頑張った者がその働きに応じた富を享受しうるという自由主義社会の大原則が通用しない不公正な社会となる。
    (公正な社会と平等な社会は異なる点注意)

    20世紀にたまたま生まれおちた私達は,ともすれば国民国家の並立的存在が所与の生存条件のように考えてしまうが,17世紀の後半以降に偶然発生した制度的枠組みでしかない。

    経済的発展と諸個人の自由を重視する古典的自由主義者は,国家の存在も自由市場を整備・保全する限りで,その存在をしぶしぶ容認する者が多いし,
    そもそも,資本主義と自由市場の発生によって,閉鎖的な村落共同体を解体し一つの近代的主権国家を生成させたという逆説的な関係性さえもある。

    そして今,更なる産業・技術革新が,世界の垣根を縮小させ,かつて自由資本主義という運動がそうしたように,共同体を解体し,人類を更なる経済発展へといざなおうとしていると考えるべきであろう。

    「日本」などという境界を限界づけ,閉鎖的な民族共同体を維持しようなどという考えは捨て去るべきだ。
    それは,資本主義勃興期に,失われた共同体へのノスタルジーからくるヘーゲル・マルクス主義運動,すなわち共産主義運動の焼き直しと同じで,必ずや暗く貧しい社会と相互殲滅を行う戦争へと我々を導くことになるであろう。

    農業を民主主義の手に委ねるのではなく,自由市場の手に委ねるのである。自由貿易が各人の比較優位な商品がなんであるかを自ずと各人に知らせしめ,民族や国民の富ではなく,人類そのものを富を増大させ,世界を幸福へと導くであろう。

  6. bobby
    11月 16th, 2010 at 08:58
    6

    boroさん

    >農業を民主主義の手に委ねるのではなく,自由市場の手に委ねるのである。

    農業を官僚的社会主義の手に委ねるか、自由市場の手に委ねるかを、民主主義によって97%を含むみんなで決め、その結果についてみんなで責任を負えば良いのではないでしょうか。

    私個人としては、自由市場の手に委ねられる事により、農業が海外市場と切磋琢磨して競争力を取り戻し、狭い日本の農地に適した高付加価値農産物を世界市場へ輸出してゆけるようになる事を望むものです。

    逆に、brisbaneさんの言う農業や医療は多数決で決めるべきでないという意見こそ、一党独裁を生む温床となり、民主主義を遠ざけるリスクの高い意見だと考えています。

    >日本という国が,自由かつ資本主義国家であるという大前提を一旦疑ってみた方がよろしいのではないですか。

    仰る通り、明治政府が誕生した時から、日本の民主主義は形式的なものであり、江戸時代から続く「政治はお上がやるもの」という意識がいまに至るまで根底に続いているのではと危惧しています。

  7. boro
    11月 16th, 2010 at 09:00
    7

    GHQによる疑似自由主義革命しか経ていない日本では,ともすると自由主義と民主主義は,矛盾しないと考えられがちではあるが,これほど正反対な概念はない。

    自由主義は,個人の自由を最大化させることを含意する。これは,誰しも完全な正解を知らないという人間の無知を議論の出発点とするからだ。誰も完璧な正解を知り得ないからこそ,自由市場において諸個人の自由な決定・取引によって結果を招へいさせるべきだと考える。その意味で自由と自己責任は常に表裏一体の関係になる。

    これに対して,民主主義は,自由闊達な議論によって完全な正解とはいえなくても,より良き答えを導きだせると考えがちだ。だが,そのような答えを導き出せるという保証が一体どこにあるであろうか? 議会に集まるのはそれぞれの特殊権益の代弁者が集まった烏合の集に過ぎない。
    仮に,誰しも民主主義によってより良き答えを決定できるなどと思っていない,あくまでも集合的意思決定をするための次善の策に過ぎないのが,多数決としての民主主義に過ぎないと答えるものもあろう。

    しかし,そのような次善の策としての手段に過ぎないとするのであれば,民主主義という集合的意思決定にかからしめる課題・範囲は最小化されるべきだと自由主義者達は応える。
    自由主義者達の前提は,君主であろうと,エリートであろうと,共同体の長であろうと,人間である以上,誰も完璧な答えを知り得ないという命題にあるからである。この命題を否定し,我こそは全知全能であると奢り高ぶった者が,集合的決定‐それは必ずしも民主主義だけとはいえないが‐によて,多数の人々を一つの決定に従わせようとする。その実践の最たる愚を犯したのが20世紀初頭の左右の全体主義時代であったろう。

    人間の無知を承認し,個人の自由を最重要視する自由主義者は,人々の相互作用と実験的実践を実現するための自由市場を愛する。
    同時に,共通善や共同体のあるべきとされる紐帯を維持するために国家や政府が市場に介入してくることを嫌う。そこでは公共の利益のためにというお題目がついていても,常に何らかの特殊利益を維持するという不純な動機が民主主義という制度自体に内在していることを看破しているからだ。

    自らハイエキアンであることを自認する憲法学者阪本昌成氏なども,民主主義は危険であると警鐘を鳴らす。彼によれば,人権とは,徹頭徹尾消極的自由権を指すのであり,社会権などはもともと人権ではないと切り捨てる。人権に社会権が含まれるなどと解釈されるようになったのは,共産主義の焼き直しともいえる社会民主儀的な福祉国家が自明の理とされるようになった第二次大戦後以降のことであり,その頃から自由主義と民主主義は相反しないなどと,本質的な相違を隠ぺいするようになったという。

    いずれにしても,自由主義と民主主義は,先鋭に対立する概念である。
    自由市場を愛する者は,民主主義によって決定される領域を可能な限り少なくすると同時に,国家もできるだけ解体・最小化させようとする。
    そうすることによって,経済が飛躍的に発展すると同時に,諸個人が多様な幸福を享受することができると考えるからである。

  8. bobby
    11月 16th, 2010 at 09:15
    8

    boroさん

    >民主主義は危険であると警鐘を鳴らす。

    国民が成熟していない場合、民主主義によって危険な政府や指導者が選択されてしまう事は過去にいくつもの事例があるようです。たとえばナチスドイツとヒットラーは(当時の世界でもっとも民主的と言われた)ワイマール憲法が制定されたドイツの民主主義が生み出しました。(wikiより)

    イラクに(強制的に)民主主義を導入しようとした米国は、民主主義が民族主義の壁を越えられない現実にぶつかってイラク再興に苦しんでいます。

    中国の民主化を叫ぶ人たちが多いですが、13億といわれる国民の多くは、民主主義を正しく実践するには未熟であると感じています。いまの状況で民主主義や各種の自由を国民に与えれば、たちまち民族主義の暴風が吹き荒れ、国は分裂して内戦が起こるリスクが高い。そうなれば世界中が巨大な荷物を背負い込む事になりかねません。

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