民主主義国家間の侵略戦争は成立しない

3月 14th, 2010 Categories: 1.政治・経済

愛国心と政府機能のアウトソースについて4回ほど述べました。その間にTwitterでいくつかコメントを頂きました。その中で愛国心に対する突っ込みコメントが印象に残りました。

1)日本で永住している韓国人の帰属意識はどちらにあるか。
2)日本と韓国が戦争する時、日本に永住する韓国人はどちら側で戦うか。

上記の疑問は、永住外国人の地方参政権問題でもよく取り上げられます。この質問は、一見すると痛いところを突いているようなのですが、実は前世紀の価値観を引きずった情緒的なものであり、合理的でない事がわかります。

私が4回の記事で述べてきたように、国の本質とは人民を中心にした文化です。文化の視点から見たばあい、たとえば家庭内で韓国文化を保持している日本生まれの在日韓国人の心の中では、日本と韓国の文化が共存しています。文化的な帰属意識を、韓国と日本と、同時に持つ事は可能であり、韓国人が日本で生きていく上で、それは合理的です。それを、どちらか一方だけ選択するべき、という考え方は合理的ではありません。

また、北朝鮮のような「無法者国家」の侵略から守る場合を除き、現代の民主主義国家間の戦争に人民を兵士として参加させ、防衛戦争を行う事は無意味であると述べました。21世紀においては、民主主義国家による他国の占領は、新しい民主主義政府を生み出すだけであり、日本の人民の生活を脅かしません。

たとえば日本と韓国は、どちらも既に民主主義国家ですから、どちらかの国によるもう片方の国への侵略は、植民地化による戦争コスト回収ができないだけでなく、戦争により破壊した相手国のインフラ再建などを持ち出しで行わなければならず、経済的に極めて非合理的であると言えます。

ゆえに愛国心を持ち出して、「どちらの側で戦うのか」と問う事は時代錯誤であり、多くの場合には無意味であると言わざるを得ません。

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4 Responses to “民主主義国家間の侵略戦争は成立しない”

  1. ana
    4月 6th, 2010 at 22:18
    1

    (1)民主国家にはまず一人一人それぞれ自分の価値基準を持つ自由を有すべきです。この質問に対する回答は人の価値基準の相違によって、違ってくるのでしょう。
    (2)中国人として、もし、中国は日本に侵略される場合、私は命をかけても、中国を守る。同様、中国は日本を侵略する場合、私は命をかけても、それを反対し、日本を守る。(日本でなくても、他の国についても同じです)侵略は正しくないこと、不正義なことだと思いますから。
    (3)私にとっては、窮極的な価値は「国家」ではなく、中国の言葉でいうと、「天」と「理」で、現代語で言えば「正義」(「天」と「理」の一部の意味しか有していないが、適当な言葉をすぐに思い出せないので)ということかな。
    (4)尚、現代の中国人はちょっと考え方が変わったかもしれませんが、近代以前の中国人にとっては、「国家」というより「天下」という観念を重要視して、信じていた。
    (5)これについて、興味のある方に、以下の本をお勧めします。チャンスがあれば、ぜひご覧になってください。
    ・趙汀陽  《天下概念》
    ・平石直昭 《天》

    追伸:
    ・人間は理性的なものでありながら、感情的なものなのです。すべてのものは法律で解決しようとすると、無理なのでしょう。その感情的な部分はやはり哲学、文学、倫理学などの文化的、教養的なもので調整しなければいけないのでしょう。
    ・国家があってもなくても、全ての問題の発生、解決の源は「人間」なのです。国家はあくまでも一人一人人間からなっているから。ですから、国家という概念に執着するより、私は「人間」自身を研究、認識したことをより重要視します。
    ・人間は精神的に頼りがないと、「魂」がないと一緒なのですから、「信仰」あるいは「信じているもの」はとても行動に影響を与えます。例えば一神教の世界は戦争とかが起りやすいです。信仰の問題、宗教の問題はどうやって認識し、対応すべきか?
    ・人間はあくまでもある時間、ある空間で偶然に人間の姿として表れただけの存在ですから。街頭ですれ違っても縁と想い、父母、友達、周りの世界に「愛」するこころを持って、人生の何十年を有意義に過ごしたい。
    以上です。

  2. bobby
    4月 7th, 2010 at 01:12
    2

    anaさん、長文コメントありがとうございます。一人一人の価値観によって、この記事への答えは違って当然かと思います。「国家」ではなく「天」と「理」という考え方は興味深いですね。北京で人文学を学んでいるanaさんらしい答えかと感じました。

    ところで「正義」という言葉を何回か使われましたが、この世界に文化や国境を超越した絶対的な「正義」というものがあると考えますか。それとも「正義」は国により、文化により異なると考えられますか。国家間の戦争を「正義」の名において、命を賭して攻撃あるいは防衛する事は、合理的と言えるのでしょうか。双方が「正義」の大儀を掲げている場合はどうなのでしょうか。

  3. ana
    4月 14th, 2010 at 18:54
    3

    そうですね。「正義」の定義は難しいですね。往々双方はそれぞれ自分の「正当」な理由があるから。中国では、知識人は孔子の時代から「正名論」をめぐって、討論してきたが、2000年以上が経っても、未だに結論がないですね。でも、やっぱり私にとっては、戦争というなら、どんな戦争でも、避けるべきだと思います。もっといい方法がないのでしょうか。

  4. bobby
    4月 14th, 2010 at 23:32
    4

    anaさん、コメント有難うございます。21世紀においては、北朝鮮のような野蛮国家に侵略されるという稀なケースを除き、どんな侵略戦争も、防衛戦争も合理性を欠くと考えます。非民主主義的で野蛮な国家へ侵攻して、民主主義的な政府を樹立しようとすれば、侵攻した国に非常に大きな経済的負担が発生します。(米国のイラク侵攻)民主主義的な国家間で侵略戦争が起きた(たとえば米国が中国へ侵攻した)場合、市民にとっては、防衛する事すら無意味です。21世紀は他国へ侵攻しても、国連という盾があって、米国は中国を自国の領土にできません。侵攻された中国は、たぶん共産党政権を失い、米国式民主主義を押し付けられるでしょう。しかし市民にとって、それにどんなデメリットがあるでしょうか。政権が変わっても、市民の生活や人権が劣化しなければ、政権を守る為の防衛戦争は、市民にとって何の合理性も無いと言えます。

    そういう訳で、戦争をなくす方法は、みんなが合理的に思考するようになる事であろうと考えます。

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