外国人に参政権を与える法的根拠

2月 7th, 2010 Categories: 1.政治・経済

私はまず、はじめに国ありき、という考え方をしません。始めに民(人民)があり、民が集まって国ができると考えます。民主主義の本質とは、そういうものではないでしょうか。次に、政府とは何かを考えます。民が集まって代表を選び、その代表者が集まって行政を行う組織を政府と考えます。政府の基本ルールとなるのが、日本国憲法です。ゆえに、どこで生まれた民であれ、日本という場所を好み、そこに永住したいと願う民が、自分の生活を向上させる為に、あるいは生活の向上に積極的に参加したいと願う民を、国籍という後付の規範によって排除する事は間違いであり、国民の定義を憲法や法律に求めるのは、本末転倒と考えています。

しかし、このような考えは単なる夢想であり、現実的ではありません。永住外国人へ地方参政権を付与させる為には、既存の規範(憲法と法律)の中で辻褄を合わせて行く必要があります。そこで、永住外国人に地方参政権を与える法的な根拠について、先に書いた日本国民の定義と永住外国人の参政権で、鐵さんとコメントのやりとりをした内容をまとめる事にしました。

【アプローチ1】
15条は公務員を選定する権利が国民固有と規定するが、10条で国民の定義は(別途に)法律で規定するとしており、どの法律で規定するかを憲法内で規定していない。現在の下位法である国籍法との結びつきの必然性を「検討」して、新しい別の法律で国民を再定義するアプローチがあります。

これについて、「憲法前文、1条に照らせば、憲法の国民主権の「国民」は、日本国民すなわち我が国の国籍を有するものを意味することは明らかだ」という考え方があります。

しかし憲法の中に明白な記述が無い以上、国民の定義は、集団的自衛権における憲法解釈と同様に、小泉元首相の郵政民営化解散のような国民的合意があれば、政治的に解釈の変更を行う事が可能であろうと考えます。

【アプローチ2】
「地方」に着目し、93条2項で「地方公共団体の長・議員・吏員は住民が直接これを選挙する」の「住民」が未定義である事を検討して、住民の定義に永住(定住)外国人も含めると解釈するか、それを定義する法律を作成するアプローチがあります。

これについて、「地方公共団体が我が国の統治機構に不可欠な要素」である事から住民の定義に外国人は含まれないという考え方があります。

この解釈への対抗措置として、国民の定義のような解釈の変更で対処する他に、民主党が進めている(いわゆる)地方主権的道州制を実現して、各道州政府に地方自治体の選挙権を定める法律を作成・変更する「主権」を与えるというアプローチがあります。

地方主権的同州政府の制度が導入されれば、外国からの投資を積極的に呼び込みたい開放的経済政策をとる道州政府では、永住外国人への権利の拡大を積極的に行う可能性が高くなると考えられます。

最後になりますが、私が永住外国人の参政権について賛成の意見を持つ理由は、私自身が香港の永住外国人であり、香港政府から選挙権を(香港返還後も)与えられているからです。

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15 Responses to “外国人に参政権を与える法的根拠”

  1. 2月 9th, 2010 at 09:19
    1

    Bobby様

    小倉先生のエントリーのご紹介をありがとうございます。
    早速ですが、いくつかコメントいたします。

    まず、「民主主義(民主制)」についてですが、これは講学上「絶対制」との区別として謳われるものであり、それ以上でも以下でもありません(決していわば「まずは国家ありき」を標榜する「君主制」との区別ではありません。)。
    すなわち、国家の基本形態として、治者と被治者との間に意思の合致が必要かどうかで、必要ならば前者であり、必要ないならば後者、と区別されます。
    そうでありますから、国家権力の淵源(国内の主権の担い手)である君主の存在を認める君主制と民主制とはトレードオフの関係にあるわけではないのです。
    つまり、国家(君主の存在する王国)の存在を前提に民主制を設定することができるわけです。
    現実、英国やオランダ等のように、君主制かつ民主制を採る国家は存在します。
    このような国々とその沿革を前提とし、いわば統治問題の国家と国民との先後関係を考えるならば、国家という装置(先天的権力)の中でのその国民の自律的に統治に関わるために付与された(権利ではなく)資格が「選挙権」であると考えることもできると思います。
    ちなみに、君主制の国家で外国人の地方選挙権を認めるものには、デンマーク、スウェーデン、オランダ、ベルギーのEU加盟国や、ノルウェー、ニュージーランド等があるようです。
    そこで、講学上このような見解がある以上、小倉先生の

    >民主主義においては、市民こそが「国家」より上位に立つというのに、なぜ「国家に対する忠誠」がないと「選挙権」という市民としての権利を行使できないというのか、誠に本末転倒といわざるをえません。

    とのご意見は、いささか論理(批判)が上滑りしている、大雑把すぎるように思います。
    ちなみに、司法試験受験科目には憲法があるのですが、その教材として圧倒的なシェアーを占める基本書がそもそも国王の存在しなかった米国の合衆国憲法解釈の議論を比喩的援用するものである、我が国の憲法学者には米国留学者が多い、というのも、小倉先生のようなロジックを産む起因になっていると勘繰りますがよくわかりません。

    また、

    >実際にも、民主主義社会においては、国民は、「国家に対する忠誠としての愛国心」に基づいて投票行動をとるのではなく、各人の利害を考慮して、投票行動をとるのが一般的です。

    とのご意見も一面的なのではないでしょうか。
    選挙民が個々人の利害関係で投票行動するということが実際ある場合があるといえてもそれが一般的なのかどうかよくわかりません。

    もっとも、

    >第15条第1項が第93条第2項にも重畳的に適用される結果、第93条第2項の「地方公共団体の住民」は同時に「国民」でなければならないという見解をとらないと、長尾教授のような見解には至りません。

    とのご意見はその通りだと思います。
    先日紹介した最高裁判決(平成7年2月28日)が同様の理屈を展開しています(このように判決理由からは「禁止説」ですが、傍論にて「定住」性に着眼して「許容説」を採った観です。)

  2. 2月 9th, 2010 at 09:23
    2

    Bobby様

    私の拙いコメントをまとめていただきありがとうございます。
    拝読いたしましたが、若干コメントしますことをご了承下さい。

    【アプローチ1】について
    >しかし憲法の中に明白な記述が無い以上、国民の定義は、集団的自衛権における憲法解釈と同様に、小泉元首相の郵政民営化解散のような国民的合意があれば、政治的に解釈の変更を行う事が可能であろうと考えます。

    集団的自衛権について簡約すると、講学上も政府見解(防衛白書による)も、国内法上憲法9条の許容するところではないとします。
    すなわち、集団的自衛権を国内法上認めるためには、憲法改正が必要であり、小泉政権下での議論(見直し論)もその域を超えるものではありませんでした。
    そうでありますから、仮にこの点を衆議院選挙等で争点として大勝し国民的合意ができたとしたからといって速やかに政府が政治的に憲法解釈の変更をなすことはできません。
    そもそも国際法上認められる集団的自衛権は我が国の憲法に違反するからです。
    政府は憲法の枠以上のことをなすことはできません(憲法99条の憲法尊重擁護義務)。
    その後仮に集団的自衛権に憲法許容性を付与したいならば、憲法96条に則った憲法改正手続(国会による発議・提案→国民(投票)による承認→天皇の交付)による必要があります。
    ちなみに、この憲法改正手続でもわかりますように、日本国憲法は名目上「君主制」を採用しています。
    もっとも、それが民主制を排除することではありません。

  3. 2月 9th, 2010 at 10:13
    3

    平素コメントありがとうございます。
    法学的な議論のさなか失礼します。

    「はじめに民ありき」という信念には同意します。トクヴェルがアメリカで見た民主的地域コミュニティー、あるいは民主的地方政府成立の要件が「ある程度共通した習俗を持った人々」でした。つまり風習や文化、宗教があまりにも異なっている場合合意決定が困難になるとしています。そしてさらにそのコミュニティーに対して奉仕の精神をもって参加することが「市民」としての義務としています。

    この場合の「奉仕」というのはいろいろありますが、コミュニティー防衛の義務とは最も重要であります。都市国家やローマ時代の選挙権のある市民は労働は奴隷に任せ、政治と遊興にふけました。しかし一旦国家存亡の危機には戦う義務が課せられておりました。奴隷たちは生産という義務がありましたので、兵役の義務は免除されていました。よって選挙権を持つということはコミュニティー(国家)防衛の義務を担うことになります。―法的な意味ではありません。コモンセンスというか歴史的解釈というか、近代文明の基本的概念というか―

    ですから外国人が選挙権を持つということは自分の親兄弟と戦争する覚悟を持つということと同義だと考えます。本で読みますと移民の国アメリカではグリーンカード取得のさいに国家への忠誠、国旗への敬意などを宣誓するようですが、これらの儀式はその覚悟を持たせる意味があると思います。日本の永住外国人諸氏のためにも参政権が付与されないほうが幸せなのではないでしょうか。もし彼等の祖国と日本が戦争になった場合は彼等は祖国の一員として立派に戦えばいいと思います。

  4. 2月 11th, 2010 at 12:12
    4

    bobby さん

    こういうのどう思われます?
    http://kkmyo.blog70.fc2.com/blog-entry-570.html

  5. bobby
    2月 11th, 2010 at 19:46
    5

    轍さん、いつもコメント有難うございます。

    >講学上も政府見解(防衛白書による)も、国内法上憲法9条の許容するところではない

    以下にwikiの集団的自衛権の日本の自衛権についての内容を引用します。

    「政府解釈によれば、9条1項は「独立国家に固有の自衛権までも否定する趣旨のものではなく、自衛のための必要最小限度の武力を行使することは認められているところである」と解し、2項に定める「戦力」の不保持も、「自衛のための必要最小限度の実力を保持することまで禁止する趣旨のものではない」とする。最高裁判所の判例も同様の見解を採り、自衛権留保説が一般に有力な見解となっている。」

    上記文章は、政府見解も最高裁も、条件付きで部分的に認めるという見解のように読めます。

  6. bobby
    2月 11th, 2010 at 19:46
    6

    2010/2/11 Thursday at 19:36:23

    ap_09さん、このような記事は酒の肴ネタとしては面白いが、真面目に議論するネタとしてはどうかと思います。それを承知で、考察してみます。

    小沢一郎氏の先祖は韓半島出身で、幹事長の立場を利用して韓国に利益誘導しようとしている事が真実だったと仮定しましょう。その場合に明白になるのは、帰化(国籍取得)という行為は、愛国心・国益・国防を担保しないという事です。

    これはむしろ、帰化しない外国人は信用できないから参政権を与えるべきでない、という主張に対する興味深い反証になると思われます。

    >「外国人参政権」「夫婦別姓」「一千万人の移民受け入れ」「人権擁護法案」などの悪法法案です。

    私は香港に住んでいますので、上記の3つが日常の中にあります。私の経験でいえば、特に問題とは思いません。

    女性が結婚したら男性の姓に変わる風習は、同じ極東でも、中国や韓国にはないようです。家長=男性を前提とした家族単位の戸籍制度を個人単位の登録にバージョンアップし、国民背番号のついた身分証カードと連動させて、夫婦別姓でも親族やプロファイルをトレースできるようなシステムを行政が構築すれば新しい状況に対応できると考えます。

    多くの移民が日本に来る事は、治安の低下や大量の低所得者を生み出すと思われますが、長期的にみれば、縮小してゆく日本の経済を活性化して、新しい発展が生みだしてくるのではないかと思います。

    移民による治安の悪化に対応する為に、外国人と全ての日本人が、国民背番号に対応した身分証カードを携帯する制度の導入を提案します。ちなみに香港ではそのようになっています。

    私なら、こんな風に考えると思います。

  7. bobby
    2月 11th, 2010 at 19:49
    7

    私が思うに、中村さんの上記コメントは、帰化者の義務と、永住外国人の義務を混同されているように感じられます。また文化についてですが、永住外国人も居住地への愛着(地元の人との人間関係も含めて)があればこそ、永住を決意したに違いありません。

  8. 2月 12th, 2010 at 00:32
    8

    Bobby様

    僭越ながら、まず、『集団的』自衛権についての概念整理とそれに対する我が国の立場を整理すると以下の通りです。

    ① 『集団的』自衛権=自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、自国と密接な関係にある外国に対して武力攻撃があった場合にこれに対して実力をもって阻止する権利。
    ・この定義について異論のあるところではありません(Wiki.も同義です。)。
    ② この権利は、我が国も加盟している国連連合憲章の第51条において、「個別的又は『集団的』自衛の固有の権利」と明記。
    我が国の独立を認めたサンフランシスコ平和条約の第5条(c)も、「日本国が主権国として国際連合憲章第51条に掲げる個別的又は『集団的』自衛の固有の権利を有すること」を確認。
    ③ ②より、我が国は、『集団的』自衛権を認め、これを有することを前提に立つ。
    ④ もっとも、昭和56年5月29日内閣答弁書並びに平成11年5月21日参議院防衛指針特別委員会における内閣法制局長官の答弁は、我が国は主権国家である以上、当然に『集団的』自衛権を有するが、その行使は、憲法で許容された自衛権の行使の範囲を超えるもので認められないという立場を示す。

    ①~④より、我が国が『集団的』自衛権の行使は実際上認められないのであり、講学上も否定説が通説となっています。
    そこで、『集団的』自衛権を国内法上認めるためには、憲法改正が必要だということになるわけです。

    ところで、Bobby様にご紹介いただいたWiki.上の議論は、講学上憲法9条における『個別的』自衛権の行使のあり方というもので(その中の自衛権留保説をご紹介いただきました。)、先に説明いたしました『集団的』自衛権の問題とはいささか論点がずれておりますので悪しからず。

  9. bobby
    2月 12th, 2010 at 10:44
    9

    >、先に説明いたしました『集団的』自衛権の問題とはいささか論点がずれております

    轍さん、私の勘違いをご指摘頂きありがとうございました。仰るように、集団的自衛権と個別的自衛権が尼の中で混乱していたようです。
     

  10. 2月 12th, 2010 at 12:06
    10

    そうですね。
    国としての制度が移民受け入れのためにちゃんと整っていれば、移民や外国人の受け入れは経済にも暮らしにも、活性をもたらしてくれることは間違いないですね。

    私は憲法とか、政治のことはわからないのでこの件については議論したくはないんですが、日本は敗戦で、国家としてはとうの昔に解体されているのではないかと思うのです。

    だから表向きは日本に帰化しいても、ご指摘のように帰化政治家は日本のことなんかどうでもいいのではないかと。

    現実の問題として、世界情勢は国境を越えて平和的に進んでいることなど、過去も現在も起こった事ありませんよね。EUが初めて試みではないですか?そこに至る前に、何世紀にも渡って延々殺し合いをしてきましたよね。

    しかも現在EUの中に内部の国を敵性国家とみなしてる国はないでしょう。

    私はアメリカにしか住んだことがありませんが、米国には難民や移民一世がたくさんいますし、今では二世三世になった人からも彼らの両親、祖父母の苦労の話を聞くことがあります。亡国の憂き目に会ったような人たちは、私には悲惨としか言いようがありません。

    香港はもともと中国ですから、日本が中国の自治区になってしまうのとは、随分様子が違うと思うのです。

    アメリカは今では、大体どの民族、人種でも平等にやってますが、そこに到達するまでは血みどろの歴史です。今だってヘイト・クライムはあります。近所の白人優勢の比較的裕福な郊外で、白豪主義のティーン・エイジャーが、メキシコ人を射殺し、警察が事件を隠蔽の上、殺害者の見逃しをしてたなんてことが、最近もお茶の間のニュースで流れました。

    それでもアメリカに移民してくる人は、早くメイン・ストリームに入りたいと、みんな一生懸命米語を勉強して、米国の価値観に合わせ、わざわざ軍隊に志願してまでも、自発的に同化しようとします。

    日本は移民をそういう気にさせることに熱心じゃなさそうですから、そこが大問題でしょう。

  11. bobby
    2月 12th, 2010 at 12:31
    11

    ap_09さん、私の価値観の相当部分が、香港での経験に影響されていると思います。私は、国籍は日本のままですが、香港の永久居民権と選挙権を香港政庁よりもらい、英国植民地から中国への返還も経験し、仕事は香港で起業しているので、仕事を引退するまでのあと10数年は、日本へ帰る予定もありませんし、子供は英語圏で就職させようと考えています。そういう状況ですので、国境や国籍がどうかよりも、一定の自由とクオリティーオブライフが確保され、充実した人生を構築できる環境が、より重要ではないでしょうか。

    そういう観点に立つと、民の幸福を特定の民族に限定して追求するよりも、グローバリゼーションの進行にあわせて門戸を広げてゆく方が、合理的に考えると、達成された時の最終期待利益がより大きいであろうと考える次第です。

  12. bobby
    2月 13th, 2010 at 20:29
    12

    アクセス分析の「なかの人」の足跡を確認したら、昨日の17:27に内閣法制局からアクセスがありました。もしこの記事の閲覧が目的であれば光栄です。

  13. 2月 21st, 2010 at 23:49
    13

    経済活動の自由と言う意味では、全く仰るとおりだと思います。しかし国の運営、国際社会での生き残りということを考えるとどうなんでしょう?
    ご興味がおありでしたらご参照ください。
    http://www.yomiuri.co.jp/adv/chuo/opinion/20100215.htm

  14. bobby
    2月 22nd, 2010 at 01:01
    14

    ap_09さん、
    この記事中で、「外国人参政権は安保問題」という議論は、外国人が帰化して首相にまでなる権利を与えている事で、すでに無意味になっていると考えています。ですので、この記事も無意味であると考えています。

  15. 1月 18th, 2011 at 04:01
    15

    Wow!, this was a top quality post. In concept I’d like to jot down like this too – taking time and real effort to make a good article… but what can I say… I procrastinate so much and never seem to get one thing done

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