医療サービスと経済合理性の問題

12月 8th, 2009 Categories: コンピュータ及び科学全般ネタ, 健康

To be determinedでap_09さんは、医療サービスに経済合理性を導入した場合に起こり得る可能性について、医療の効率、経済性、そして医師の倫理感で二人の架空医師を例にとって、医師の倫理について述べています。(サマリーに誤りあればご指摘ください)

このシナリオで、B医師が良い評判(と患者)を得る為に行ったいくつかの非倫理的な「行為」の中で、「規定の倍の投薬量によって高い治療効果を得る事が、15年後に患者の1-2%に腎臓障害という副作用を及ぼす」という前提について、ちょっと無理があるのではないかと思い、こちらこちらでツッコミを入れました。

私のコメントに対して、わざわざ医療の効率、経済性、そして医師の倫理感 (3)-付という長文の回答の記事を頂きました。しかし私は、医師と薬剤師は作業として分離されている「はず」なので、まだ疑念が払拭しません。

そこで、投薬量と薬剤師の関係から生まれるB医師の長期的発覚リスクについて、もう少し追いかけて見たいと思います。

>その特定の患者には特別の量が必要ということを説明すると、それはその場で収まってしまいます。

>薬剤師さんは直接患者さんを診ませんから、カルテに軽症が重症と書いてあって、医師の判断で多量の薬が必要ということであれば、異議の申し立てようはありません。

これは「倍の投与量」を低い頻度で行う場合には、上記の説明は納得できます。しかし、もとの記事には、

「また標準の2倍の量の治療薬を処方するので、「あの先生にかかると症状が早くとれる」ということで、患者さんの評判は上々です。軽症の患者を中等度から重度ということにしてカルテに書きますので、診療請求で問題になることはありません」

とありますので、B医師は、全部の患者ではないかもしれませんが、非常に多くの患者に対して、頻繁に「倍の投与量」を適用していると理解できます。また15年後の副作用を考える場合、倍量の投与を「長期間」行っている事が推測されますので、記事中には書いてありませんが、「倍量を長期」投与という前提で考えてみます。(間違っていたらご指摘ください)

この場合、「倍量の長期投与」で副作用が出現するリスクが既知であれば、B医師だけでなく薬剤師も副作用の存在を知っているはずです。「こんなに多く」の患者へ、こんなに長期間の「倍量適用」すれば、副作用患者が未来に出現する可能性が高まる事は自明であり、薬剤師は異常に気づく、と(B医師が)考えるのが合理的です。

診療(医師)と薬の処方(薬剤師)の作業が分離されている日本の医療では、B医師が多くの患者へ「倍量長期」を適用させる事は、長期的な「発覚」リスクが大きく、発覚した場合のペナルティーはかなり大きい(医師免許剥奪、患者の集団訴訟など)可能性があるので、行っている「犯罪」から得られる利益と吊り合わないように思います。

ゆえに「医療の効率、経済性、そして医師の倫理感」の中で、良い結果を得る為の倍量投与は、前提として無理があるか、あるいは未来の副作用リスクが低い「短期投与」に限定されるのではないかと考えますが如何でしょうか。

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11 Responses to “医療サービスと経済合理性の問題”

  1. ap_09
    12月 8th, 2009 at 12:35
    1

    Bobbyさん

    拙記事にトラックバックをどうもありがとうございます。

    ICU症候群など、急性のストレスによるせん妄状態では、幻覚を頻繁に伴い、精神症状そのものは統合失調症(旧精神分裂病)と似ており、同じ抗精神薬を使うことがありますが、そこで使われる量と、本物の、急性に陽性症状の出ている統合失調症の患者さんとでは、症状を和らげるのに使う量が何倍も違うことがよくあります。それでは統合傷害の患者さんが、皆大量の抗精神病薬を要するかというと、そうではありません。人によってはほとんど薬物治療を要しないでしょう。こういう軽症の患者さんは、少しの量ですぐに副作用も起こります。

    似たようなことは、パーキンソン病の患者さんや、癲癇の患者さんにもあります。病状の重さによって、使われる量にかなりの差があります。特に癲癇では一般に設定されている上限量を超える量が個別に投与されることがしばしばあります。

    またステロイドも、病状によるさじ加減の幅が量・投与期間ともに広い薬です。

  2. bobby
    12月 8th, 2009 at 13:01
    2

    ap_09さん、早速のコメントありがとうございます。

    上記の内容(いろんなケース)は解りました。しかし、記事の前提条件である倍量で副作用とは、同時に、標準量投与では15年後の副作用が生じない、という暗黙の了解があるのかと思いました。

    もしap_09さんの上記コメントを一連の記事の前提条件にアドホック的に追加するのであれば、投与量と15年後の副作用との関係は、もはや倍量投与という一定の条件ではなくなり、人によって標準量でもそれ以下でも発生する事になる(ならない人も当然いる)ので、投与量と15年後の副作用の因果関係の因果関係を証明するのは極めて困難になるのではないかと考えますが如何でしょうか。

    ですので、一連の議論をシンプルに行うには、上記のいろいろなケースは無視し、倍量投与で15年後の副作用発生という単純条件に絞って議論したほうが良いのではないかと考えます。

  3. 12月 8th, 2009 at 14:31
    3

    同じような問題は製造業でもありますよ。長い期間経ってから故障しやすい製品がそれです。故障までの期間が長い場合には、評判に頼ってもなかなか問題が解決しないので、PL法によって規制がかけられています。

    医師と薬剤師とが分離していれば発覚するとのことですが現実的には難しいと思います。ある医師の患者がおなじ薬剤師にかかるわけではないといった技術的な問題もありますが、まず薬剤師にとって医師を告発するインセンティブがありません。また、実際よりも重症と判断して多めに投薬しても、裁量の範囲や統計的な因果関係の立証の点で医師の責任を追求するのは困難ではないでしょうか。

  4. ap_09
    12月 9th, 2009 at 09:57
    4

    Bobby さん、

    そうですね。命題をはっきりさせ、緻密な議論を行うということであれば、おっしゃる命題の立て方のほうが、明確な議論になります。

    私が自分のブログで提示したかったのは、規制や制度が整っていても、抜け穴は結構、簡単にみつかるかもしれないということと、その結果というのが、被害を受ける立場のものからすれば、甚大でありうるということです。そして、また、それを証明することが難しいことも有りうるということが言いたかったのですが。

    薬の副作用には、用量において相加的、相乗的、対数的、臨海点を越えてから急激に出てくるもの、他の薬剤との交差作用による変異、また用量とは無関係に突発的に出現するもの様々です。
    現実に医療活動が行われて行く過程は、科学ではない、必ずしも論理的にすっきりとは解決できない、さまざまなことが絡み合って進んでゆくと思います。それにしても、もともと私の作り話なので、そんなところでご勘弁いただけますか。

    私が思ったのは、日本の医療従事者というのは、本当に善意で、儲けとかいうことではなく、一生懸命に働いている方が多いと思うのです。ところが、最近のことなのか、人々の考え方が変わって来たせいなのか、医療を受け取る側と、供給する側に、コミュニケーション・ギャップがあり、それが広がっているのではないかと、アゴラを見ていて感じたのです。
    米国は訴訟社会といわれてますが、医者だけでなく、看護師、薬剤師、検査技師等、皆、プロフェッショナルはプロフェッショナルとして、それなりに敬意を払われていると思います(日本では昔から看護婦さんに対する扱いはひどいと思ってますが)。私たちは患者さんには、もちろん敬意を持って接しますし、また患者さんも家族も、こちらに敬意を返してくれます。
    日本では、皆、一生懸命取り組んだやっているはずなのに、こんなにギャップが広がっているのはおかしいと思うのです。

    Bobby さんのコメント・疑問には、私なりになるほどと、思わされることが多々あり、きっと同じように感じている方がたくさんいらっしゃるだろうと思って、エントリーにアップしました。しかし、ブログは匿名とはいえ、ご本人の承諾を得なかったのは、私の落ち度です。もし、お気を悪くされていたのでしたら、謝罪致します。また、次回からはもっと注意したいと思います。

  5. bobby
    12月 9th, 2009 at 12:58
    5

    Rionさん、ap_09さん、コメント頂き、ありがとうございます。

    私は、制度設計と、非倫理的行動により発生する問題は分けて考える事が合理的かと思います。問題が起こりにくいような制度設計を行う事は必要ですが、想定される問題すべてを、アドホック的に追加規制として盛り込むと、制度自体がたちまち硬直する恐れがあります。シンプルな制度設計の方が、柔軟性があり、長持ちすると思います。

    具体的な話ですが、医療分野で経済合理性を追求すると、「医師や薬剤師による非倫理的行動」により発生する問題を、ap_09さんは懸念されているのだと思います。

    もちろん、ある程度の不心得者はどこの業界にもいるでしょう。しかし、そこに目を奪われていると、すべてが保守的になって、最後は医療崩壊して、元も子もなくなってしまう可能性があります。

    制度としては長期的な視野に立った全体最適化された設計を行い、非倫理的な行動については、罰則を大きくする等して、行為と利益が吊り合わないようにすれば、ある程度の効果はあると思います。あとは事後的に、調査・処罰してゆくしか無いのではないでしょうか。

    経済合理性を追求しても、必ずしもみんなが悪い事をするとは限らない例として、飲食関係があると思います。食中毒を出すと営業停止となって倒産リスクがあるので、料理人は一定の食材品質管理を行っています。病死した動物を「承知」で食材に使ったりする料理人はいるにしても極わずかです。

  6. bobby
    12月 9th, 2009 at 13:01
    6

    >しかし、ブログは匿名とはいえ、ご本人の承諾を得なかったのは、

    そのような気遣いは、ブログでは不要かと思います。コメントやTBを残す時点で、そのハンドル名な文章の内容は公開されています。公開情報をもとに新しい記事を書く事は、ブロガーの権利かと思います。というか、それがブログ文化ではないでしょうか。

  7. aobatyouzai
    12月 9th, 2009 at 19:10
    7

    アゴラでコメントした薬剤師です。

    興味深い議論でしたので、コメントしたく思いました。

    ap_09さんの提示された架空のお話は、実際に現場で働いていると「非常にありがち」だと思える話です。程度の差はあれど、地域に1、2件はこのパターンで良い評判を得ている病医院があるという感覚を持っています。
    同様の事例で私がすぐに思い浮かぶのは、常に一般的な指標より1ランク強めのステロイド外用薬を使い、よく治ると評判の皮膚科医と、強めの効果・多剤併用を好む小児科医の事例で、共に私の勤務施設と同一医療圏です。

    Rionさんが指摘されるように、このような医療行為を有責としようとする医療裁判は、実際には非常に難しいと思います。メディアで騒がれているほどに裁判は身近でもありませんし、何より患者自身がその因果関係に気付きません。
    しかしこのような事例では、マトモな(と書かせて下さい)薬剤師は、強く処方内容を否定することは出来なくとも、患者に対して他医への受診を薦めますし、地域の医師(院内処方は除く)の投薬傾向を把握していますから、実際には回避することはさほど難しいことではありません。

    ※アゴラでも書きましたが、実際の日本での医薬分業においては、問題のある医師だとしてもその門前薬局には医師の否定をする薬剤師は存在しません。処方せんを貰ったら迷わず隣の薬局に処方せんを持っていく大多数の患者は被害を回避することは不可能です。

    患者に対して最良の薬物治療が施されるように、助言を行なうことは薬剤師の職責です。告発するインセンティブはありませんが、患者には当然アドバイスしますよ(笑)。

  8. bobby
    12月 12th, 2009 at 20:03
    8

    aobatyouzaiさん、

    >患者に対して最良の薬物治療が施されるように、助言を行なうことは薬剤師の職責です。告発するインセンティブはありませんが、患者には当然アドバイスしますよ(笑)。

    そういう事をきちんと患者に説明するとか、当局に告発する制度というものが必要なのではないでしょうか。

  9. aobatyouzai
    12月 14th, 2009 at 19:02
    9

    Bobbyさん、

    薬局グループで大手と言われているいくつかの企業が、他薬局(チェーン)に先んじてシェアを伸ばし現状の規模に到達したのは、医師の満足度を最優先にしたからです。患者利益を志向して成功した事例を私は知りません。

    薬剤師の職責について説明を受けたことがないのであれば、その薬局はそのように考えていないのでしょう。
    市場が、そのような薬局は望ましくないと判断すれば、徐々にそのシェアは減少します。多くの患者が、薬を受け取れれば病院に近い薬局が理想だと思えば、その薬局の勝利ということです。

    今回の例示が告発可能であるかといえば(告発する制度があるとしても)残念ながら不可能だと思います。
    15年問題もなく使用できる自動車と、12年くらい(と予想される)自動車のどちらを薦めるかは、販売店のポリシーの問題でもあります。(頑固オヤジでなければ)客の満足度の高いものを選択するでしょう。後者の自動車はそもそも販売禁止されている訳ではありません。

  10. bobby
    12月 14th, 2009 at 20:25
    10

    aobatyouzaiさん、

    >医師の満足度を最優先にしたからです。

    理想や建前はどうあれ、現実にはその通りのようですね。昨晩、あるドラッグ・チェーン(店舗が200ほどある上場企業)の店長さんと飲む機会があっていろいろ話を聞きました。薬局(の薬剤師)から見れば、処方箋を書いてくれる医者はお得意様であり、調剤薬局の役目は医者のニーズに沿う事であって、処方の内容に不審な点があっても、当局へ通報する事はないだろうと笑っていました。

    このような状況を改善して、そもそも医薬分業の為に薬剤師が生まれた目的を果たす為には、医者は処方箋を書くだけで、病院から薬を出す業務を完全に取り上げて、なおかつ医者(病院)が薬局を一切指定できないようにして、医者と薬剤師の癒着が起こらないようにすれば、薬剤師による医者の処方のダブルチェック機能が行われるようになるのではないかと思いました。(町に病院と薬局がひとつしかなければ意味がないですが…)

    ちなみに、昨晩飲んだ店長氏の意見ですが、薬剤師は薬の事は良く知っているが、それ以外(免疫やアレルギーなど)医学の事をあまり知らないと嘆いていました。(店長氏は薬剤師にバカにされないように、バイトの医大生に図書館の専門書をコピーさせて、医学を独学でかなり勉強しているそうです)もしそれが一般的なのであれば、薬が人間の病気や怪我の治療に使われる限り、薬剤師も知識としての医学を学ぶべきではないかと思い始めたところです。

  11. aobatyouzai
    12月 15th, 2009 at 17:59
    11

    Bobbyさん、

    わが国における医薬分業が歪んだ状態のまま存在し、続けているのは、残念ながら国民自身の医療(制度)に対する関心が低いからであり、かつて自民党一党政権が長く存続したのと同じ構図です。

    またご指摘の無気力薬剤師については、医学的知識や判断力で顧客から選択されない現状への不満であったり、免許で守られている慢心があるのでしょうが、論外です。市販薬や類似成分を対象とすれば、検査の要否を含めて一般医よりも優秀でなければ、ファーストジャッジメントとしての存在意義はありません。その責を患者に帰すべきとするのであれば、完全セルフ販売とすべきです。

    しかし製薬企業やドラッグストア自身もまた顧客に対して不誠実な販売方法を選択していることに留意すべきでしょう。
    企業を取捨選択するのは最終的には顧客です。国からの規制を少なく留めるのであれば、顧客のリテラシーが向上することでしか、企業の姿勢は変わりません。

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