勤務医と医療についての問題

11月 22nd, 2009 Categories: 1.政治・経済

私の親族が入院するので、2週間ほど帰国しました。毎日、病院へ通い、患者の病状や手術・治療の方針などについて、何回か複数の医師(若い勤務医と、中年の勤務医の二人が担当)と話す機会がありました。

二人の勤務医は常に忙しくて、私の親族をじっくりと時間をかけて観察し、診断や治療について考える時間が絶対的に不足しています。ですから、限られた回数および時間の診察時間内で、患者が訴える症状を聞き、検査結果の資料(レントゲンやCTの写真、血液検査や心電図などの結果、ウイルス検査など)を見て、一人の患者の診断と治療について考えて、限られた時間の中で結論を下さなければいけません。患者はあとからあとから入院し、手術の予定は1ヶ月先までいっぱいになっており、そのうえ外来患者の診療にも時間を割かなければいけません。勤務医から見た入院患者への対応は、必然的にある程度ルーチン化せざるを得ません。

ところで多くの患者は、自分の症状を的確に医師へ伝える事ができません。患者と長い時間を過ごす親族は、患者から「あそこが痛い」とか「こんなところに水泡が出た」とか「こんな咳が出る」とか、おおくの生情報を見聞きします。そこで感じた事は、診察時間に患者の口から出てくる症状は、実際の症状の中の一部分しかありません。患者側は、言い漏らした情報がそれほど重要だとは思っていないし、検査の結果があるから、医師ならわかる筈だと考える傾向があるようです。

しかし、医師が一人の患者に割く時間は限られており、患者からの情報が足らないと、間違った結論を下したり、正しい結論にたどり着くまでに回り道をする事がしばしばあると実感しました。

ところで現代ではインターネット上にたくさんの医学や医療情報が溢れており、多少の医療リテラシーがあれば、医師でなくとも自分の親族の病気や診断や治療方法について、多くの情報を得る事ができます。診断された病名と治療薬が、自分がネットで取得した情報とくらべてどうなのか判断する事は難しくありません。

担当の医師が私の親族に割ける時間は限られていますが、私がネット使って、診断内容や治療内容について調べる事ができる時間は圧倒的に多いのです。そこでもし、現在の診断や治療について疑問が発生した場合、それを担当の医師と話し合う必要性が生じます。いまの診断と治療が最適で、何の問題もなく治癒する可能性はありますが、そうならない可能性もあります。そうならなかった時に後悔するよりは、自分の疑問が杞憂である事を確認できた方が、後々に後悔する事がありません。ですから、私も看護師の方に連絡して、「医師と話したい」という意思を示し、機会をアレンジして頂きました。

ところがここで、更に別の問題を感じました。前にも述べたように、勤務医は時間に追われる毎日で疲れており、更に、素人相手に「プロが一度下した」診断や治療について、患者の親族である私の質問に応答する事は、更にイライラさせられる事に違いありません。ゆえに私は、病室に呼び出された医師とのコミュニケーションの難しさを感じさせられました。以下は、細部をぼかしてありましが、私が医師と話した2回の経験についてです。

最初はまず若い医師の方へ、治療方法について私の疑問を向けました。彼は、素人がプロの診断に文句をつけていると感じて気を悪くしたのか、「患部Aは状態Bであるから(私が質問した)薬Cは不適であり、薬Dを投薬する事が正しい」と、不快そうな表情で、大きな声で言いました。私は、この医者と議論するつもりはありませんでしたから、患部の状態がBであるのなら、薬Dは合理的だとその場は納得しました。しかし後からもう一人の医師に聞くと、状態Bは状況からの推定であり、それを裏付ける検査はしていないといわれて驚きました。そこで私の疑問は、振り出しに戻りました。

次に、別に機会をとらえてもう一人の医師と話しました。前回のように、単純に治療方法について話すのではなく、患者がまだ医師に話していないと思われる情報があり、その内容は客観的にみて治療の方法に影響を及ぼす可能性があり、合理的に考えれば別の治療方法を選択する余地がある、という事について、対面している医師の自尊心をなるべく傷つけないように、やんわりと説明しました。

その医師の回答は、現在の投薬は5日間(その日の翌日まで)の指示であり、症状が改善しなければ、その後で状況を投薬を変える可能性もあると話しました。その場では、医師は何もコミットしませんでしたが、私はこの医師が、私が話した「患者の症状に関する追加情報」を受け取った事を感じたので、話はそれで終わりにしました。

上記の経験で感じたのは、患者自身と親族にとって、患者の病気は100%であるが、担当医にとっては、ひとりの患者の病気は、その医師が抱える患者全体の1/nにすぎないという事です。特に大病院の専門医は、いかに専門知識や経験があっても、患者に関する全ての情報を入手していない可能性が常にあります。その場合、診断と治療は必ずしも正しいとは限りません。その場合、患者あるいは親族は、正しい診断・治療に行き当たるまで待つか、あるいは自分で勉強して自己防衛するしか方法がありません。

専門的治療を行う勤務医が、患者ひとりひとりとより濃厚なコミュニケーションを持ち、ひとりの患者に割ける診断・治療方針の決定にゆっくり時間をかけられるようにする事ではないかと考えました。ひとりの医師の作業時間数を増大させる方法はいくつかあると思われます。アゴラで井上氏が医師増員のため、医学部を廃止せよで述べているような方法で、医師の絶対数を増員する事は一つの方法です。私は別の方法を考えました。開業医の対応で十分な病気や怪我は、基本的にすべて開業医が看るようにします。開業が看て、専門的治療が必要だと判断された患者だけが、紹介状を持って大病院で専門的な診療や治療を行うようにすれば、勤務医の時間は増えて、もっとゆったりと仕事や勉強をする事ができるようになると思われます。

このように少ない患者数で十分な病院経営ができるようにする為には、勤務医(特に専門医)の診療報酬を大きく上げ、その代わりに開業医の診療報酬を下げる事が必要です。先週のテレビで、事業仕分け担当の政治家が、勤務医の給料を上げて、開業医の給料を下げる事について話したところ、開業医の側から「設備投資の金額が大きい」という話がありました。いまの開業医は、だれもかれもがレントゲン装置をもっていたり、沢山の設備を当然のようにもっています。少なくとも開業医の多い都市部では、診療する開業医と、検査専門のラボを分ければ、すべての開業医がたくさんの高額設備を自前で揃える必要がなくなります。私の住んでいる香港では、そのようなしくみなっていて問題はありません。開業医の少ない田舎は、診療制度がそれに対応すれば良いと思います。

また開業医が押し寄せる患者でパンクしないように、政府は国民に対して、風邪で病院へ行く事を思いとどまらせるように啓蒙すべきです。ちょっとした熱や咳や鼻水だけで医者にかかるのは税金の大いなる無駄です。現在の医学では、ウイルスによる風邪に有効な治療は「安静にして寝る事」です。これは自宅でできます。

また、中学や高校は生徒に対して「医療リテラシー」を高める教育を行い、ある程度の病気は自分で簡易的な診断を行い、薬局で薬を自分で購入して、治療を行えるようにするべきです。その為に薬局があり、多くの薬を自己の判断で買う事が法律で認められています。ここで更に提案ですが、薬局にはプロの薬剤師がいるのですから、医者の処方がなくても、薬剤師の判断だけで販売できる薬の幅(抗生剤やステロイド軟膏など)を増やしたら良いと考えます。患者が自己責任で薬局へ行き、薬剤師の意見だけで治療できる治療の種類が増えれば、(既得権を奪われる医者は猛反対するでしょうが)税金で行う医療費は更に縮小させる事ができます。

自己判断・自己責任で行う治療は、症状が改善しない時に、どの時点で病院へ行くかの「切り替え時」さえ間違わなければ、統計的に重大な問題を生じさせる事はないと考えます。日本のすばらしい医療制度を存続させ、専門的な治療を改善する為には、これらの案は合理的に考えて効果的であると思います。

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