脳死判定と死後の世界

1月 10th, 2005 Categories: 健康

全国で5000人の医療関係者に対して、「脳死は妥当な死の判定か」という質問を行ったところ、はいと答えた人は39%しかいなかったそうだ。一方、欧州で同様の質問を医療関係者へ行って、89%がはいと答えたと言う。日本と欧州では、なんでこのように大きな差が出たのだろうか。

脳死は妥当?現場の半数「わからない」という記事が1月10日、14時21分の朝日新聞(ウェブ版)に掲載された。

記事が(メンテナンス目的で)消されるといけないので、スクリーンショットを下記にも参考として入れました。まだオリジナル記事を読んでない方は、まずは記事の本文をお読み下さい。

20050110-1.JPG

朝日新聞の記事では、「医学的、社会的に人の死をどこで線引きするかは臓器提供のみならず、終末期医療のあり方にも通じる。医療現場の意識は、今後の臓器移植法や尊厳死法案の議論の中で重要なポイントとなる。」というようにして、この記事を結んでいるが、この記事は一番大事な部分をすっぽりと抜かしてしまっている。

それは、死後の世界に関する考え方についてです。

私の知る限り、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教では、人には魂があり(動物には無い)、死ぬと天国へ行くと考えられています。この宗教的な考え方のおかげで、生と死が容易に定義できているのだと思われます。

脳死判定とは、つまり肉体にまだ魂が残っているか否かの判定なのだと思われます。

欧州や米国などのキリスト教が普及した先進国では、医者、科学者、技術者の非常に多く(というか、恐らくほとんど)が洗礼をうけたキリスト教信者と思われます。彼らの中には、自分の受けた科学教育や知識、論理的思考と、宗教的知識に齟齬が生じないように、適当に両者のすり合わせを行う必要性を感じる人がいます。

脳死というのは、そのようにして生み出されてきたものではないかと(私見ながら)思うのです。

そのような医者のだれかが、魂がまだ残っている肉体と、魂が天国へ旅立った後の抜け殻を明確に定義してやれば、残った肉体を有効に臓器移植の為に活用できると考えたのじゃないでしょうか。

ところで現代の日本人ですが、こんなに熱心のなにかの宗教を信じている人が何%いるでしょうか?このブログの読者で、「私は●●の神様か仏様(といっても身内の死んだ人じゃなくて、仏陀その人)に朝晩手を合わせています」っていう人がおられたらぜひともコメント付けてほしいものです。

ほんとんどの日本人は、少なくとも死が日常にない若い頃は、「俺たち仏教徒は、死んだら極楽へ行くんだろう」なんて漠然と考えている人ばかりだと思います。欧州にいるキリスト教徒や、中東にいるイスラム教徒とは、宗教への「根性」レベルがまるで違います。

このように、極めて低い宗教観をもつ民族なので、改まって「生きているとはどういう事なの?」とか、「死んだらどうなるの?」とか真面目に考えている人は、お寺の和尚さん以外には極めて少ないでしょう。自分の中に生と死の概念をきちんともっていなかったら、ただでさえ不明瞭な「脳死」なんて概念をまともに判断できるとは思われません。

その結果が、今回の朝日新聞の記事になった日本と欧州の差になったものと、私見ながら思うわけです。

この調子でゆくと、日本に「脳死」が根付くにはあと何百万年かかるのでしょうか。

脳死を理解するために、医療関係者は今すぐキリスト教に改宗しなさいなんて事は言いませんが、脳死が発生する現場で働いている医療関係者の方々へ、ぜひとも紹介したい本があります。立花隆著の臨死体験という本です。上下2冊のぶ厚い本ですので、週末に一気に読める本ではありません。ちょうど時期的にぴったりなので、お盆休みにでも読んでください。

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