Archive for January, 2013

ノマド経営者っていう記事が少ない件

<スポンサーリンク>


さいきんノマドっていう言葉をネット上でよく見かけるようになりました。ノマドとは遊牧民を指す言葉だったようですが、最近は在宅あるいは特定のオフィスを持たない個人企業型の就労形態の事を指して使われているような感じがします。しかし遊牧民というのは、ある意味、季節により同じ場所をぐるぐる回るという固定パターンをもっている筈なので、現在のノマドワーカーが真にノマドなのかという疑問があります。

私はIT企業の経営者(共同経営)ですが、事業やっている会社や事務所が香港、深圳、東莞、セブにあり、必要に応じて週に数回から数年に1回の頻度で、ぐるぐる回りながら仕事をしています。これって実はノマドじゃねっ?と常々感じておりました。ノマド経営者って、自営業者の柔軟さとサラリーマンの安定性と経営者の社会的地位の良いとこ取りしたような感じです。

ノマドワーキングを絶賛するイケダハヤト氏は、ノマドワーキングの許容は日本社会を豊かにするで下記のようなメリットを列挙しておられますが、実はノマド経営者は下記のメリットを全て受ける事ができる上に、企業の業績に応じて高収入を得る事ができ、故に生活を高いレベルで安定させる事ができ、経営能力次第で自分の好きな事を仕事のネタにして、人生をより楽しくエキサイティングにする事ができます。

  • 親子の時間が増える
  • 生産性が向上する
  • 満員電車が軽減される
  • 働けない人も働けるように

ノマド経営の良い面を述べました。では、どうすればノマドワーカーからノマド経営者にアップグレードする事ができるのでしょうか。その辺の事について、簡単にまとめてみます。

1)最低限の生活を担保する事業をまず安定させる。

優先順位はノマドではなくて生活の安定です。しかしサラリーマンでは永久にノマド化できないので、独立して個人事業主になるとか、友達集めて起業するとか、自分で自分の生活費をかせげる主体的な事業形態であるべきです。その際に、事務所の有無は重要ではありません。事業形態や集まった人達の状況に応じて決めれば良いと思います。もちろん、固定した事務所なしで事業ができれば、月次の損益を黒字化するのが容易になる事は言うまでも有りません。

2)一点成長ではなく複数成長路線。

生活が安定してきたら事業拡大を考えますが、現在の地域での事業を大きくするのではなく、営業する地域を広げる方向で事業拡大に努力します。たとえば東京で事業開始したら、次は仙台とか大阪とか、離れた場所へ新しい拠点をつくり、2つの場所を行き来しながら両方の事業拡大と利益の増大を図ります。こうして、自分の能力に見合う規模まで拠点を作る事で、経営者としていろんな都市をノマドのようにぐるぐるまわりながら仕事をする事ができます。

3)拠点毎に責任者を育てる。

ノマド経営の基本は、自分がその仕事に必須の人材でなくても良い状況を作り出し、可能な限り緩やかな経営を行う事を基本ポリシーとして組織作りを行います。なぜかといえば、必須の経営者になると、ノマドじゃなくて、ただの忙しい経営者になってしまうからです。ノマドというからには、なるべく時間に余裕があり、お客や社員や経営上の都合ではなく、自分の都合で動きまわれるようである事が望ましいからです。また、そうである事で、自分のノマド経営を余裕をもって楽しむ事ができます。

4)どんな業種が向いているか。

これはなんとも言えません。上記の例はいろんな業種に適応可能だと思います。ちなみに、私の知っている範囲で、私以外にも、いかにもノマド経営者だなっていう実例となる知人が何人かおります。具体的には、ウェブ開発企業の社長さん(東京と大阪とシンガポールを行ったり来たり)、投資企業の経営パートナー(日本各地と中国各地をぐるぐるまわり週末はマカオの自宅へ帰る)などです。重要なのはどんな業種の仕事をするかではなくて、どんな経営スタイルで仕事をするか、ではないでしょうか。

ノマドワーカーの記事は多いですが、ぜひノマド経営者へのアップグレードを目指して頂きたいと願うものです。ちなみに、ノマドワーキングの事を書いているイケダハヤト氏は、ノマド経営者ですよね、すでに。


Be the first to comment - What do you think?  Posted by bobby - 2013/01/28 at 00:29

Categories: ブログ評論, 1.政治・経済   Tags:

イルカ問題もかく議論されるべし

さっき中絶問題はかく議論されるべしという記事を書きましたが、知性を持つ動物、たとえばある種のイルカやクジラなどの動物についてもまったく同じであると考えています。どういう事かといえば、知性を持つと思われる動物に対して、人間がどのように対する(漁をして食べる、害獣として殺す、積極的に保護する、積極的な無干渉とする)べきかという議論は、

「人類社会をより良くする、より繁栄させるという大前提に立って議論を出発させるべき」

という大前提のもとで行うべきであるという事です。地球上の人類というフレームワークの中では、人類の社会がより幸福により繁栄するという目的の為の議論こそが有用であり、そこから外れた、イルカやクジラそれ自体の権利を主張する事は、まったく人類の為にならない不毛な議論となるだけです。

日本人はクジラやイルカを殺して食べます。人間も自然の一部と考えれば(実際にそうなのですが)、知性の有無と生存の為の殺生は別の事と考える事は合理的です。

ならば人類の為に知性ある他の動物はどうなっても良いという事かといえば、そうではありません。人類が人類以外の低級の知的動物(バンドウイルカ、チンパンジ、犬、馬など)に一定の権利を認める事は、人類がより高次の倫理観に達するという事であり、それは人類社会にとってより長期的な繁栄の根拠となり得ます。

このように考える事で、他の知的動物との共存という課題を克服する事が可能だと考えます。

Be the first to comment - What do you think?  Posted by bobby - 2013/01/27 at 22:07

Categories: ブログ評論, 2.科学技術   Tags:

やまもといちろう氏も木から落ちる

先週のBLOGOSで、一番印象に残ったのはやまもといちろう氏とイケダハヤト氏のブログバトルです。なぜ強く印象に残ったかといえば、普段は大人しい(ように見える)イケダハヤト氏が、隠し持ったキバを突如剥きだして、あまりにも見事な一刀両断にやまもといちろう氏を真っ二つにしたその技に目を見張ったからでした。リンクを張ったので、ご存じない方はぜひ下記記事に目を通してください。

イケダハヤト師型炎上をどう表現するべきか?

V.S.

「人を笑い者にする」天才、やまもといちろう氏

言ってみれば、イケダハヤト氏の実力を見誤った(甘く見た)やまもと氏が、ネタ切れを凌ぐための「閑話休題ネタ」なのか、毒のない無害なネタ記事を供給し続けるイケダ氏を笑い者にする記事ミサイルを発射してしまいました。笑ってゆるしてもらえるか、そのままスルーされると思っていたのでしょうか。しかし、そういう訳には行きませんでした。

イケダハヤト氏にしてみれば、国交の無い遠い国から、宣戦布告も無しに突然ICBMが飛んできたような、そんな感じだったのではないでしょうか。心に湧き上がる怒りを押さえながら、筋を通しながら、なおかつ重たくならない軽快な文章で、あまりにも見事なクロスカウンターが炸裂。いや、やまもと氏がICBMなら、イケダハヤト氏のはさしずめザフト軍のジェネシス級のガンマ線レーザー砲が天(軌道上)から降ってきた感じです。

典型的なやぶ蛇状態。しかも筋論で反論するイケダハヤト氏の記事に一言も反論できず、やまもと氏はあたまを抱えてもんどり打った事でしょう。愚かな記事を書いた事を後悔して、しばし自己嫌悪に陥った後、全てを忘却のゴミ箱へ放り込んで蓋をして、なかった事にしてしまったようです。というのも、対反論ミサイルへの反論がいつまでたっても発射されなかったからです。

ネットイナゴ(私も含む)はきっと、固唾を飲んで期待していたのに。

まあ、人生には「やっちまった」と後悔するような記事をつい書いてしまう事が一度や二度はあります。私も以前に、穴があったら入りたいようなiPhoneの記事を書いてしまった事がありました。そういう時には潔く(記事のコメント欄で)誤って、(こっそり)反省して気持ちを切り替えるのが一番です。

ちなみに私は、お二人のブログをファンとして愛読しています。今後とも、お二人のネット上での活躍を願っております。

Be the first to comment - What do you think?  Posted by bobby - at 21:22

Categories: ブログ評論, 釣りネタ   Tags:

長時間保育の功罪

(本)長田安司「『便利な』保育園が奪う本当はもっと大切なもの」が、長時間保育は母親と子供の時間を奪っていると問題提起し、親や保育施設の問題よりも、母親が長時間働かざるをえない労働環境を維持している企業の経営者の問題だという結論で記事を結んでいます。なるほどそう言うか、という感じです。長時間保育で育った「もと」子供として、ハウスメイドに託して共働きしながら子育てした親として、そして子を持つ母親を雇用する企業の経営者として、この記事になにか反論してみたくなったので、つらつらと書いてみます。

日本国は憲法に国民に労働を権利としてだけでなく義務としても課しています。たとえ母親だけの家庭でも、五体満足でそこそこ健康なら、労働の収入により給料を得て生活する事を大前提としています。ならば憲法で保証された労働の権利を行使し、より良い経済状態を得る為に必要とあらば、親が幼児や子供を保育施設へ長時間預ける事は「必要悪」として社会から認知されるべきです。

その為には、保育施設にいる子供が1歳の幼児で、39度の熱があっても、親が会社を早退できない事情があれば、すぐに迎えに行かない事を選択する事は十分にあり得ます。定時に帰れなくて、残業の為に保育時間を延長するかもしれません。そんな母親を責めるべきではないし、保育施設も病気の子供を親に無理やり突き返すべきではありません。子供が病気になるのは「当たり前」の事ですから、保育施設はそれを前提として営業するべきです。保育施設は業者としての責任の範囲で子供をフォローし、それでも何かあった時には預けた親が責任を取る(結果を受け入れる)ようにすれば良いだけです。

労働の権利と義務を親にまっとうさせようとすれば、そういう保育施設がたくさん必要になるのは当然といえます。

では、子育てしている親(特に母親)を受け入れている企業の経営者はどのようにすればよいでしょうか。時短とか在宅勤務とか育児休業をもっと普及させろという事でしょうか。それには2つの事を検討しなければいけないと考えます。

1)企業が雇用者の時短や育児休業に絶えられる経営状況か?

2)在宅勤務や育児休業は日本の文化として受け入れられ根付くのか?

経営状況が耐えられるかという事について言えば、雇用者の給料を払う為に銀行から借金ができる大企業を別にすれば、多くの中小企業では、時短や育児休暇をやるのは厳しいでしょう。一人のフルタイム雇用者は、中小企業では広範囲の業務をフォローしており、時短にすれば中途半端な仕事しかできないので、仕事のコストが増大して採算が悪化します。給料はらって仕事の対価が長期間得られない育児休暇などは「論外」です。それでも法律で強制すれば、多くの女性をクビにせざるを得ないでしょう。典型的な制度設計のミスといえます。

文化的に根付くかについても懐疑的です。アジアの中で、日本・中国・韓国・台湾の4カ国は、中国の古い文化の影響を強く受けており、育児や家事が母親の仕事、顔を合わせて仕事するというのは、その文化的影響の中の一つです。都合の良いとこだけを切り取って残し、都合の悪いところだけ変えようとするのは、それこそご都合主義というものでしょう。

百歩譲って文化が根付くという前提があったとしても、政府の借金が1000兆円というご時世に、親が3歳まで家で育児できるように、中小零細企業を税金で支援しろというのは机上の空論のような現実味の乏しい意見ではないでしょうか。第一、従業員の中に子育てしている母親がいるかどうか、税金で支援するべきかどうかを政府が識別する効果的な方法はありません。そうすると、結局は無差別的なバラマキになり、育児している働く母親まで十分な支援が届きません。それよりは長時間保育施設を税金で支援して経営を容易にした方が、育児する母親の就業をピンポイントで支援する事ができます。

Be the first to comment - What do you think?  Posted by bobby - at 20:41

Categories: ブログ評論   Tags:

人工中絶はかく議論されるべし

受精した卵子は、いつ人間になるのでしょうか。受精した瞬間でしょうか、数週間、数ヶ月後でしょうか。胎児はだんだん人間になってゆくのか、ある瞬間に器である肉体に外から来た魂がスッと宿って人間になるのでしょうか。これは生物学的にも哲学的にも非常に興味深い課題です。北村隆司氏が「人工中絶のあり方を議論すべし」と言っていますが、人類社会という価値観のフレームワークの中の議論としては、ここを外したら不毛となるという明白な大前提があると考えます。

それは何かといえば、人類社会をより良くする、より繁栄させるという大前提に立って議論を出発させるべきであるという事です。

受精した卵子がいつ人間になるのかを、人間が科学的に証明する事はほぼ不可能でしょう。その為には、人間の魂の有無や魂とはなんぞやというところを証明しなければいけないからです。その一方で、社会の秩序を保つ為には、一定の範囲内での中絶を必要悪として許容する事が求められます。

北米ではキリスト教価値観から人工中絶を悪として排除すべしという意見がありますが、日本は仏教「的」な倫理観により受胎後の生命を曖昧化する事で、一定の範囲において中絶を容認しています。しかし、倫理観はあいまい許容するが故に、人工中絶は殺人ではないかというジレンマに苦しむ事にもなります。

では、どうすれば良いのか。

まず、言える事は、「中絶された命」という視点で議論を始める事は、なにも生まず、なにも助けず、不毛です。死者の人権を残された人間と切り離して議論するが、どれほど不毛かというのと同じ事です。そういう議論は、哲学者と宗教学者と法律学者が自分たちのグループの中だけで知識を追求する為だけに行えば良い事です。

我々が社会というフレームワークの中で議論する時には、人工中絶を行う事が、残された親、家族、社会にどれだけメリットをもたらしたか。胎児を人間と認め、人工中絶を必要悪と認めて、親と社会がそれを減らす努力をする事が、社会の安定性にどれだけ寄与し、長期的な繁栄をもたらすかという建設的な視点で議論をするべきだという事です。

1 comment - What do you think?  Posted by bobby - at 17:13

Categories: ブログ評論, 1.政治・経済, 医療   Tags:

防衛の出口戦略ってどうなっているの?

一昨日書いた「これでいいのか自衛隊」はコメント欄でたくさんの興味深い指摘を頂きました。それらを再読しているうちに、日本の防衛の出口戦略はどうなっているのだろうと気になって、本記事を書くことにしました。

出口戦略というのは、wikiによれば「軍事的もしくは経済的な損害が続く状況から損失・被害を最小限にして撤退する戦略」の事だそうです。わかりやすいように、最初に経済的な例をのべます。たとえば弊社で新しい事業を始める事にします。事業計画をつくり、予算を決めます。そして、事業(投資)を開始する前に、もう一つ大事な事を決めます。この事業が上手く行かなかった時に、どれくらい損失を出したら、あるいは何年やって成果がでなかったら、事業を止めるかという条件を役員会で決めます。

エスカレート・コミットメント(Escalation of commitment)という言葉をご存知でしょうか。簡単に言うと、事業がうまくいってない時、これまで投入した費用を理由に投資し続ける事です。人間の判断から感情を切り離す事はできません。いま撤退すると、これまでの投資が無駄になってしまうという感情が大きく作用すると、合理的な判断ができなくなり、撤退のタイミングを失って損失が拡大し続けます。故に、冷静な判断ができる事業(投資)開始前に、予め出口戦略を決めておくのです。

防衛の話しに戻りましょう。たとえば中国やロシアのような軍事大国が日本の領土を目的に侵略戦争を仕掛けてきたとします。その場合に、日本はどこまでの防衛戦争を行うのでしょうか。つまり日本の防衛の出口戦略はどうなっているのでしょうか。まさか無いという事はないのですよね。敵が押してきて自衛隊が苦戦している状況下で、たとえば下記のどこまで防衛をエスカレートさせるのでしょうか。

1)空自と海自の主要戦力が壊滅するまで。

2)敵陸上戦力の主力部隊が日本(本州・四国・九州・北海道・沖縄県のどこか)へ上陸した時点まで。

3)大量の市民に被害が出る市街戦が始まるまで。

4)陸上自衛隊の主力部隊が壊滅するまで。

5)日本の中に日本国政府がなくなるまで。

前回記事で引用した数多氏の「戦車増強論者に提示する5つの命題」の命題①(「日本は、国(政府)の意志として、敵が着上陸侵攻を行なう状況において、戦争の継続が可能である。」)は、まさに上記2の時に、日本政府は戦争継続するのか?という問いを発しています。もと陸自である数多氏がこの問いを発しているという事は、少なくとも自衛隊の下々の方は、自衛隊の出口戦略を知らされていないという事なのでしょうか。

第二次大戦の時、日本は途中から旗色がどんどん悪くなりましたが、戦争を途中で止める事ができませんでした。「ここで止めたら死んでいった英霊に申し訳が立たない」というのが理由だと聞いたことがありますが本当なのでしょうか。もし事実であれば、これはエスカレート・コミットメントの典型例です。

日本の防衛についても同様の危惧があります。もし政府と自衛隊首脳が、自衛隊はかならず敵上陸を阻止する事ができるという前提に立っているのであれば、出口戦略は無いという事になりますし、戦う必要の無い15万人の陸上自衛隊と戦車などの大量の陸戦装備は意味不明となります。

そうではなく、敵主力部隊の上陸は想定内であるので、15万人の陸上自衛隊を準備しているというのであれば、想定している出口戦略は、上記の3から5のどれかであろうと思われます。

しかしながら、そうすると政府と自衛隊幹部の持っている出口戦略は、日本国民が大量に犠牲になる事が織り込まれているとも考えられます。もしそうであるのならば、それは日本国民が事前に知るべき事ではないのでしょうか。事前に知っており、なおかつ選挙や国民投票で信任されるべき類の決定ではないかと考えるのですが、みなさんはどう思われますでしょうか。

最後に私の考えを述べます。政府と自衛隊は敵国(そんな国があったとして)からの侵略戦争から国民を守るべきであると考えます。国民を守るというのは、自衛隊ではない全ての一般国民の生命財産を守るという意味です。その為には、自衛隊の装備と戦闘能力を十分に高める事を行うべきだし、日米安保など外国との軍事条約なども最大限に利用するべきだと考えます。しかしながら日本を守る為に国民の犠牲も止むを得ないという考え方には同意できません。軍事同盟国からの援軍が無く、数多氏が問う命題①の状況が発生した場合には、その時点で防衛戦争をギブアップして、同盟国に仲裁を求めたり、相手国と停戦を前提とした交渉へ移行するべきであり、それがいまのアジア情勢における日本の防衛の出口戦略として適していると考えています。

防衛の出口戦略について、みなさんの考えをお聞かせ下さい。

4 comments - What do you think?  Posted by bobby - 2013/01/16 at 00:19

Categories: 1.政治・経済   Tags:

日本の学校って軍隊教育?

記事の表題はもちろん撒き餌ですが、欧米式のインター校を見ていると、そう感じてしまうところが多々あります。ちょうどいま、息子が通う香港のインター校のスポーツデイ(運動会)の会場となっている私営運動場のスタンドからこの記事を書いています。日本の学校(特に公立の小中高)は、どちらかといえば左寄りの方が多いのかと思われ、こんな記事をみたらびっくりして反発されるかもしれませんが、ちょっと辛抱して記事の続きを読んで頂けないでしょうか。

日本は学校側が生徒に対して、授業や行事に規律のとれた団体行動を比較的強く求める傾向があると思います。たとえば授業の開始に起立・礼とやったり(もしかしてそんな学校は減っているのかもしれませんが)、中高生に詰め襟の入った軍隊のような制服を着せたり(黒い制服もだんだん減っているのでしょうね)というのは比較的わかりやすい例です。こういう行為は軍隊を連想するので嫌がる先生がいるのではないかと思います。

ところがそういう先生方でも、指摘されるまでわからないのが、下記のような例です。

1)大勢が整列し、行進曲に手足の動きを揃えて歩く入場行進。

2)大勢が傘などを持って行う演技。(一例

3)大勢が一斉に動きを揃えて行うピラミッドや組体操。(一例

大勢の生徒が同じタイミングできれいな動きを見せる事を、日本の学校では、生徒と担任教師が一緒になって熱心に練習するのではないでしょうか。ところがよく考えてみると、手足をピシっとそろえた行進というのは軍隊行進です。また、集団で演技、ピラミット、組体操などは、中国共産党や北朝鮮が国家行事の出し物でやるマスゲームを非常に強く連想させます。(私はそのものだと思っております)私は軍隊式の教育が悪いと言っているのではありません。日本の(特に公立校の)教育はそのように見えると指摘しているだけです。

私の息子は幼稚園と小学校は北米カナダ式、中学からは英国式のインター校へ通っています。私はこれまで息子の学校行事に「そこそこ」参加してきましたが、体育イベントであれ文化イベントであれアウトドア・イベントであれ、教師は行事の大枠と進行を管理しますが、基本は生徒の主体的行為に任されているようです。主体的行為というのは、たとえば生徒会が生徒の行動を自主的に管理して規律のとれた団体行動をさせるという意味ではありません。私の経験したインター校の行事では、率直に言って、入場行進もマスゲームもありません。団体演技がないので、運動会の為の練習時間というのもほとんどありません。それだけではなく、進行中のプログラムと関係ない生徒は、邪魔しないようにしながらも、生徒の待機場所だけでなく、グランドの中でも自由に時間を過ごしています。

この違いは「規律」という言葉が鍵になるのかもしれません。

日本語の「規律」は、秩序という意味合いが強いようです。教育の場で秩序を守る事を教えるという意味で、行進やマスゲームが導入されているのかもしれません。ところが規律の英語の意味である「Discipline」は鍛錬・統制という意味が強いようです。柔軟な思考や主体的なリーダーシップを身につけさせる事を目標としている英米のインター校では、教師が介入して鍛錬や統制の練習は必要最小限にしたいと考えているのかもしれません。

私は、日本の教育は軍隊みたいで駄目だと言いたい訳ではありません。ただ、多くの小中高の多くの教師が、運動会ともなれば生徒と一緒に行進やマスゲームを熱心に練習しているが、実はそれが軍隊式であるという事を自覚しているのか、あるいは無自覚にやっているのかという事にたいへん興味があります。

Be the first to comment - What do you think?  Posted by bobby - 2013/01/15 at 17:40

Categories: ブログ評論, 5.閑話休題, 海外子女教育   Tags:

そもそも論で考えてみれば

これでいいのか自衛隊が、BLOGOSに掲載されたのはチト驚きました。もとネタである数多氏は、戦車ネタと空母ネタは盛り上がりやすいとの事でしたが、この記事もそうなりそうな気配です。

実はうちの14歳の息子は陸上自衛隊に入隊するのが希望なんです。で、私の記事がBLOGOSに掲載された事を伝えると、「俺の就職の邪魔しないでね」とクギを刺されました。いやいや、陸自の中でもこういう事考えている人はいるそうだよと言ってお茶を濁すと、息子の最近の希望は戦車部隊配属なんだそうです。そういえばアニメとかでも戦車が人気なようですね。

戦車といえば数多氏の記事。敵が大挙して上陸してくる状況というのは、空自と海自が壊滅した後なので、10式だろうがなんだろうが、空から精密誘導爆弾くらって即全滅だよと言ったらがっかりしていました。気分を損ねたのか、息子が反撃してきて、「そもそも日本に大挙して上陸できる国ってあるの?」というので、私は即時反撃して、「そもそも論でいえば、中国やロシアがいまさら日本を攻撃する事なんてもうないだろうから、それを言ったら自衛隊そものが不要じゃん?」

まあ、それを言ったいろんな人が困るので、そこは大人の態度で呑み込んでみました。

 

Be the first to comment - What do you think?  Posted by bobby - 2013/01/13 at 22:33

Categories: ブログ評論, 1.政治・経済   Tags:

トリクルダウンは詐欺か?

内田樹氏の「国民国家とグローバル資本主義について」でトリクルダウンを詐欺的理論と述べています。これはwikiによれば、「富める者が富めば、貧しい者にも自然に富が浸透(トリクルダウン)する」という意味で、新自由主義の代表的な主張のひとつだそうです。1981年にレーガノミックスと言われるトリクルダウン政策を始めた米国のレーガン大統領は、大統領の2期を通じて景気や失業率を改善させたようですが、財政赤字が膨れ上がらせてしまい、トリクルダウンの効果は疑問視されているようです。

トリクルダウンの説明を読んで真っ先に思い出したのが鄧小平の「先富論」です。鄧小平が新自由主義だったとは思いませんが、なんらかの影響を受けているのかもしれません。鄧小平の先富論のもとになっている改革開放政策は、レーガン大統領より少し前の1979年の年末に開始され、およそ5年後の1985年に先富論が述べられました。しかしその効果を見るにはかなりの歳月を要しました。15年後の2000年、江沢民政権の末期には中国沿岸部の経済が目に見えて発展するようになりました。次の政権である胡錦濤の時代を通じて、中国は財政赤字をそれほど膨らませる事なく、GDP世界第二位の経済大国へと躍進しました。結果として資本主義国である北米ではなく、社会主義国であった中国が資本主義国化する過程においてトリクルダウンが実現したというのは、ある意味で皮肉と言えるかもしれません。

中国でトリクルダウンが実現した理由について素人なりに考えて見ると、

1)主な投資は外国企業の流入資本であり、中央および地方政府は財政の圧迫を免れた。

2)流入した外国資本は投資目的である工場や不動産を介して、政府、企業、労働者を同時に富ませた。

3)中国政府は市場に任せず、外資の流れを厳しく管理したので、流入した外資による富が大きく偏らなかった。

4)ゆっくり発展したので、流入した富による国内企業による実体経済の自立的発展が可能になった。

よく、中国は都市部と農村などの田舎で大きな経済格差があると言われています。たしかにそれはありますが、改革開放が始まる30年前の、みんなが平等に貧しかった時代と比較すれば、現在の貧しい農民でさえ、30年前の都市部の一般市民より遥かに良い生活を送っている事は間違い有りません。単に、比較の問題として、都市部のバブリーな生活をしている人とくらべて質素であるとううだけの事です。

しかし、経済が大きく発展して複雑化した結果、これからの中国は必ずしも実体経済の成長を伴わない富の集積が起こる事が予想されます。株式市場や保険会社など、必ずしも実体経済の成長を伴わずにお金を儲けられる経済的なしくみが導入された結果、欧米にみられるトリクルダウンの弊害(富が下から上へ流れる現象)が既に始まっているようです。温家宝の経済スキャンダルなどはまさに、その典型例かもしれません。

政府が家父長的な意図のもとに国民や社会へルールを押し付けるのが大好きな中国では、いづれ金融業界への規制が始まるかもしれません。

Be the first to comment - What do you think?  Posted by bobby - at 18:39

Categories: 1.政治・経済, 3.中国ネタ   Tags:

これでいいのか自衛隊

私はみんなの党の山内康一氏のブログのファンです。彼の記事は普通の政治家とはちょっと違った視点があり、価値観を感じる事ができるからです。その山内氏のブログで「自衛隊のバランスの悪さ」という記事を読みました。昨年の7月の事です。この記事を読んで、いつも自衛隊について違和感を感じている部分で、目からウロコが落ちた感じかしました。

なぜ自衛隊は、人数も予算も陸上自衛隊に大きく偏っているのでしょう。沖縄戦の悲劇は、国土で戦争をしたせいで起きました。国内で地上戦をやれば、大勢の国民が死んだり、大怪我をしたり、多数の悲劇が生じる事は誰にとっても明らかです。どこかの国の軍隊が日本へ攻めて来るのであれば、迎え撃つのは海岸線から外側の空と海であるべきです。ところが山内氏が記事中で紹介している資料では、下記のように陸上自衛隊の隊員の数が圧倒的に多くなっています。

●陸上自衛隊:15万1千人(0.62)
●海上自衛隊: 4万5千人(0.19)
●航空自衛隊: 4万7千人(0.19)

では他所の国の軍隊はどうなっているのでしょうか。やはり山内氏のブログ記事の資料を引用させて頂き、自衛隊と他所の国の軍隊を比べてみると、

陸上自衛隊(0.62)、海上自衛隊(0.19)、航空自衛隊(0.19)
アメリカは陸軍(0.45)、海軍(0.29)、空軍(0.26)
イギリスは陸軍(0.55)、海軍(0.21)、空軍(0,24)
フランスは陸軍(0.55)、海軍(0.18)、空軍(0.26)
中国は陸軍(0.53)、海軍(0.21)、空軍(0.23)
ロシアは陸軍(0.57)、海軍(0.20)、空軍(0.23)

未だに連邦内で内戦の火種を抱える陸軍大国ロシアとくらべても、日本は陸自の比率が高くなっています。専守防衛思想でつくられた自衛隊で、陸上兵員の比率がこれだけ高いというのは、これはもう、はじめから国内の陸上で敵を迎え撃つ事を大前提とした戦略と疑われても仕方がないのではないでしょうか。

ところが昨日、更に興味深い記事がBLOGOSに掲載されました。元自衛官で数多久遠氏の戦車増強論者に提示する5つの命題という記事です。数多氏は、攻めてきた軍隊が海岸線から大挙して上陸準備をはじめ、それを陸上自衛隊が大勢で迎え撃つという状況は、航空自衛隊と海上自衛隊の守備力(空自の戦闘機、海自の戦闘艦、陸自の対艦ミサイル部隊)が沈黙した後に実現され得る状況だとの事です。

なるほど確かに、小規模の潜入工作部隊なら奇襲的上陸は可能でしょうが、敵の大部隊の本体が上陸用舟艇の大群で浜辺を目指してやってくる状況は、空自と海自が沈黙した後と考えるのが合理的です。陸上自衛隊の人数の比率が圧倒的に大きい理由が、この時に備える為であるとしたら、そもそも論的に、防衛に対する考え方が間違っているのではないでしょうか。空自の戦闘機が空を守ってくれなければ、海岸線近くに集結した味方の兵隊や戦闘車両は、湾岸戦争の時のイラク軍のように、空から狙い撃ちされて、たちまち消滅してしまうのではないでしょうか。攻めて来る敵にしてみれば、なにも陸兵には陸兵で正面から攻撃する必要など微塵もありません。

私は山内氏の考え方に賛成で、防衛というのは国民を戦争という悲劇から守るために行われるべきです。ならば自衛隊は本土の陸上ではなく、最後まで「空と海」を主な戦場にするべきであり、その為には陸自と空自・海自の比率を逆転させるくらいの予算にしてもかわまないのではないでしょうか。

最後まで海岸線から外側の陸と海を防衛の為の戦場とするのであれば、陸上自衛隊に十数万人の兵隊や何百両の戦車は不要であり、それよりも日本へ向かってくる敵の戦闘機や戦闘艦を、陸上から発射するミサイルなどで、遠距離からの攻撃する事を主目的とするような戦略へ転換するべきではないかと感じます。もちろん、有事に政府や重要施設を防衛したり、奇襲的な小中規模の上陸攻撃に迅速に対応できる少数精鋭の陸自戦闘部隊は必要だと思っています。

8 comments - What do you think?  Posted by bobby - at 16:56

Categories: ブログ評論, 1.政治・経済   Tags:

電機メーカーの生存条件

国土の狭い日本には、大手とよべる電機メーカーが8社(三菱・東芝・日立・パナソニック・シャープ・ソニー・富士通、日本電気)もあり、どこかのメーカーが付加価値の高い新製品を開発してもあっという間に競争相手に真似されて混戦となり、短期で価格競争が始まって利益率が低下してしまうという事を繰り返して来ました。それでも以前は、海外市場で稼ぐ事で収支を合わせる事ができましたが、欧米先進国の長期的な不況と韓国・中国メーカーの台等によって海外市場で稼ぐ事が難しくなり、いまや業界再編の危機を迎えています。

家電や携帶電話だけではありません。IT関係を含めると、大手と言われるセットメーカーは更に8社(キヤノン・エプソン・ブラザー・リコー・沖電気・カシオ・京セラ・コニカミノルタ)がしのぎを削っています。1つの国に、グローバルに名の知れたメーカーがこれほどある国って、他にあるでしょうか?たとえば北米の場合、新しい市場が生まれると雨後の筍のように沢山の企業が生まれて競争を初めますが、買収による統合を繰り返し、最後は数社による寡占状態で安定します。(今の中国はある意味で日本に似た混戦状況になっています。家電からIT機器まで含めた多数の大手のセットメーカーが戦国時代さながらに競争していますが、中国の場合は広い国土に13億人という市場があり、日本とは単純に比較できません)

先日、私はブログでソンビ企業は間引くべしと書きました。これは国内の狭い市場に大手メーカーが沢山あると、常に過当競争が生じて大企業といえども利益体質を維持し難いので、市場原理か政府の誘導で整理統合して、1つの市場ごとに数社程度の大企業へ収束させる事が、短期的には数社による寡占状態で経済を安定させる事ができ、中長期的にはゾンビ企業を退場させて新興企業が大企業へ成長する事で経済成長(GDPのゲインをかせぐ事が)できるという趣旨でした。

しかし、先の記事のコメント欄では、大企業は1社で数万人の雇用があり、下請け孫請けを含めると経済と雇用に大きなインパクトを与えるという意見も多く見られました。そこで、自力再生可能な電機メーカーの生き残り戦略について考えてみました。

日本の電機メーカーは戦後の初期、いまの中国メーカーのような「安かろう悪かろう」戦略でバンバン輸出して稼いでいましたが、じきに品質改善に成功し、安いけど良い品質で信頼を得て、海外でどんどん売れて外貨を稼げる(GDPアップに貢献できる)ようになりました。企業力がアップするにつれ、品質が良いだけではなく、同じ値段でより高機能という戦略で欧米先行メーカーの市場を食う事で成長して来ました。そして最終的は、高いけど品質・デザイン・機能ともに市場で最高レベルの製品を売るようになりました。こう言うと聞こえは良いですが、実際のところは高機能の高い商品しか作れなくなっていたのです。ところが、サムソンに代表される韓国メーカーは、かつての日本が「同じ機能なら安い」、「同じ値段ならより高機能」で売れるようになった為に、日本の電機メーカーはアドバンテージを失ってしまったと言えます。

日本の電機メーカーが韓国に負けた原因はいくつもあると思いますが、主要な理由の1つは、日本の電機メーカーの主戦場は1億2千万人の国内市場であり、商品開発も国内優先であり、国内向けに開発した製品の中から適当なものを海外向けに焼き直して「ついでに」販売していたのに対して、韓国メーカーは輸出先ごとに市場に適した製品開発を行ない販売していました。韓国は国内市場が小さいので、サムソンやLGのようなグローバル企業は製品開発を国内市場優先で行う事ができず、結果としてそれが功を奏したと言えるのではないでしょうか。

たとえば中国市場では、日本のデジタル家電はハイエンド商品しかありませんが、サムソンは売れ筋のボリュームゾーンからハイエンドまで広い価格帯で製品を投入する事が出来ていました。中国でオリンピックが開催された2008年、液晶テレビが爆発的に普及ししましたが、サムソンは中価格帯の液晶テレビを投入して市場シェアを大きく伸ばしました。それを見ていたパナソニックは「アジア向けの安い商品を開発するには最低数年が必要だ」というような事を言っていたのを覚えていますが、その時点で既に遅すぎました。

日本の電機メーカーが生き残る為には、アジア・アフリカ・南米の途上国を主戦場として定め、各市場のボリュームゾーンに適した安価で(それなりに)品質の高い製品開発と製造を行う事が、必須条件ではないかと考えます。

いくら過剰な品質や機能があっても、市場のボリュームゾーンで売れなければ、大企業として収益を維持する事はできません。それでは雇用も維持できません。ならば日本国内向けのハイエンド商品開発は子会社へ分離するなどして、あくまでニッチ市場として扱い、大企業本体はいかにして世界のボリュームゾーンから利益を得る事ができるかに専念するべきです。

1 comment - What do you think?  Posted by bobby - at 01:39

Categories: 1.政治・経済   Tags:

ここ最近の中国ネット事情

週末でブログを書く時間があるというのに、ハードに響くようなネタがありません。という訳で、今日も閑話休題的な中国の身辺記事です。今日は、最近特に海外へ繋がり難い中国のネット事情について、つれずれなるままに書いてみます。

今年は北京で政権の入れ替えイベントがあったせいか、10月くらいから香港へVPNが繋がり難くなったり、ライブドアやヤフーなどのサイトが数日間アクセスできなかったり、弊社の香港サーバーから提供している業務用クラウドシステムが、ある特定のお客さんで数日間くらいアクセスが不安定(速度が遅くなり、特定のJavascriptが動作しない、PDFレポートがダウンロードできない等)になったり、いろんな事が起きていました。それが12月中旬から現在まで、更に厳しい状況になっています。それもこれも、中国の公安内にあるネット監視部門の警戒レベルが高まっているからと考えています。

日本で公安というと、思想犯やテロ組織を追いかけるような特別な警察組織です。ところが中国で公安というと、街を巡回しているような普通のお巡りさんの事を指します。事件が起きた時に出てくる刑事なども、もたぶん公安組織に含まれます。ちなみに街中にいる警察には、他に交通警察と武装警察があります。交通警察は大きな交差点で人間信号機をやったり、速度違反や右折禁止違反などを取り締まったりを専門にする警察官です。武装警察というのは喧嘩がめちゃ強い(脳みそまで筋肉で出来ている)荒くれ男の集団で、大規模な喧嘩や暴動の鎮圧が専門です。上海の日本領事館前でデモ隊が押し寄せた時に、ヘルメット被って盾をもってずらっとならんでいるのが、武装警察官さんたちです。

横道に逸れましたが、この公安組織の中にネット公安(仮称)の人達がいて、ネット上を飛び交うデータパケットの中から、社会秩序を乱す輩の通信がないかどうかを見張っています。中国には法輪功や先日の新興宗教騒ぎをはじめ、共産党を敵視する非合法結社がいくつかあり、中国政府はそういう団体の活動を大変恐れています。それで、そういう人達のものと思われるデータ通信を傍受して手がかりを見つける為に、ネット公安所属の金盾(グレートファイアーウォール)という自動監視装置がインターネット・プロバイダーのルータの向こう側に設置されています。この金盾は、私の知る限り誰も実物を見た事はありませんが、ネット業界では周知の事実となっています。

この金盾の図を見ると、すごいファイアーウォールがネットの中央にデンと居座っているように感じられますが、私の経験では、非常に沢山の台数の量産型の監視専用ファイアーウォールが、各地のプロバイダーのマシンルームに分散して設置されているのであろうと推測しています。たとえば、事務所ではVPN接続をブロックされるのに、数キロ離れた自宅では問題ないとか、そういう状況が多い事が経験的にわかっています。ADSLの線は最寄りの基地局から3−5キロくらいが限度です。また地区が異なると、物理的に近くても別の基地局に接続されます。たぶん、金盾はADSLの各基地局ごとに設置されているのだろうと思われます。

そういう意味で、昨日は興味深い経験をしました。東莞市長安鎮のあるお客さんから、うちの香港サーバーで提供しているクラウド型の業務システムでPDFレポートのダウンロードが遅くて使えないと連絡がありました。電話を受けた時にたまたま近所にいたので、帰り道のその奥さんに寄り、中国移動(携帯電話会社)のポータブル3G Wifi モデムを持ってゆきました。そのお客さんは事務所では中国電信のADSLを使っていて、中国内のサイトへのアクセスはまったく問題ありませんが、うちのクラウド型業務システムにアクセスするとめちゃ遅いのです。私のMACを社内のLANにつなぎ、香港のサーバーにPingを打つと100ミリ秒(わりと速い)の反応があります。ところがウェブ画面、PDFファイルとエクセル表のダウンロードはめちゃ遅です。そこで、先に述べたポータブル3G Wifiモデムをユーザーさんのパソコンの1台に接続したところ、普通の速さでファイルのダウンロードができるようになりました。中国移動は中国電信とは別のしくみの金盾をつかっていて設定内容も異なるので、問題なくアクセスできたという事だと推測しています。

いろいろ書きましたが、公安(中国政府)は、海外との通信には常に神経質になっているが、いまは特に警戒レベルがとても高いので、海外サイトへのアクセスはIPSecVPNを使う事を検討された方が良いと思います。更に、駐在員の方は、日本本社のメールサーバーへ直にアクセスするのではなく、中国内のメールサーバーへ転送してもらった方が良いとおもいます。その方がメールの送受信が速いし障害が少ないでしょう。

1 comment - What do you think?  Posted by bobby - 2013/01/12 at 00:09

Categories: 3.中国ネタ, 5.閑話休題   Tags:

中国は高速バスが安くて便利

昨日の記事で、私が広東省をあちこち移動するので中国のビジネスホテルを頻繁に利用するという事をお話しました。今日は、広東省のあちこちへどのように移動するかについてお話したいと思います。

以前に2年ほど長期コンサルタント契約で、ある日系企業の上海事務所に勤務していた事があります。その時は上海の事務所から上海郊外、蘇州、無錫あたりまでは社用車を使って移動していました。ある程度以上の規模の会社なら、会社から半径数十キロ程度の範囲は社用車を使う事が多いと思います。

しかしながら弊社のような零細企業だと、社用車はコストが高いので使えません。車の購入費用だけで10万元から15万元、毎月のガソリン代が4000元程度、更に駐車場代や修理代などが必要です。運転手付きの長期レンタルだと、ガソリン代別で毎月1万元くらい必要です。交通費がその金額以上にならないと、社用車を使う経済的メリットがありません。

社用車を使わないならどのようにして移動するかというと、中国はどこでも高速バスが発達しており、事務所から車で1時間くらいの距離まではタクシーで、それ以上の距離の場合は高速バスを使って移動しています。高速バスの移動時間と値段はどれくらいかというと、深圳の羅湖から恵州市まで1時間40分で50元程度、東莞市南城まで1時間30分で50元程度、拂山市まで2時間30分で100元弱くらいです。

高速バスはその名の通り市街地をぬけると高速道路を使って目的地のすぐ側まで移動します。しかも、常時100キロ以上の速度で走るので、速度違反で切符を切られるのが怖い社用車やタクシーよりよほど早く目的地へ着く事ができます。速度違反を検知するレーダーをものともせずに走る事ができるのは、もしかしたら地元の警察と裏取引でもあるのかなと推測しています。

以前に上海から寧波市までの高速バスを何度か使ったときは、4時間くらい要するので、途中で1−2度、トイレ休憩がありました。広東省で普及している高速バスは社内にトイレが付いてるものが多いので、トイレ休憩というのはあまり無いようです。もしかしたら4時間を超えるような長距離の場合には、運転手の休憩のために休息時間があるかもしれません。

高速バスを使っていると、強盗にあったり怖い目に会う事はありませんかと聞かれる事がありますが、4年以上使っていて、一度もそういう目にあった事はありません。長距離を走るバスは、原則として切符を買う時に身分証を見せる必要がある場所が多く、また出発時に(保安目的のために)乗客の顔をデジカメ等で撮影している場合もあるので、客が強盗に変身する事のはなかなか難しいのでしょう。

バスの中は普通は静かなのですが、時々すごい常識はずれの人がいて、自分の携帯電話から大音量で音楽を流している人がいます。そういう人に限って、昔のオヤジソングだったりするので、オイオイ勘弁してくれよっていう時もたまにはあります。また、それと似た例で、携帯ゲーム機で音を出しながらゲームしている人もたまにいます。自分の座席の近くにいる場合には、相手の顔を確認した上で(怖そうなおっさんでない場合には)「音を消せ」と文句を言う事もありました。幸運にも、いまのところそれで揉めた事はありません。

バスに乗っているのと、つい眠くなります。しかし中国の高速バスは置き引きがいて、パソコン入りのカバンを眠っている間に取られたお客さんがいました。一人で乗っているときは、くれぐれも置き引きには注意が必要ですね。

高速バスは日本人駐在員にはわりと敬遠されがちですが、注意していれば危険という事もないし、お客さんの工業団地のあるところはほとんどカバーしていて、料金が安いし便数も多いので、中国に駐在している方はぜひ使ってみてください。

Be the first to comment - What do you think?  Posted by bobby - 2013/01/10 at 01:54

Categories: 3.中国ネタ, 海外子女教育   Tags:

中国のビジネスホテル事情

ここのところ連続でBLOGOSへ転載されたおかげで、年初から今日までの訪問者数の平均が毎日1000人を超えるようになりました。せっかく読者が増えたのに、これを書きたいというネタは毎日のようにある訳ではありません。ネタがみつかるまで書かないと、読者はだんだん減ってしまいます。そこで、経済や政治や地球温暖化など以外に、私が普段仕事および生活しているチャイナの周辺事情のネタも、混ぜて行こうかと思います。まずは中国のビジネス・ホテルについてです。

私は日系工場のお客さんの生産管理の改善やシステム関係の仕事が多いので、広東省のあちこちを移動して廻ります。普通は香港と深圳市(シンセン)と東莞市(トンガン)を行ったり来たりして、月に何度か、拂山市や恵州市などへも足を伸ばします。というわけで、行く先々で廉価なビジネスホテルを利用しています。

私はいつも7Days Innという全国チェーンのビジネスホテルを利用しています。料金は、同じチェーン店でも個々のホテルの立地や人気度により値段が若干異なります。立地の悪い場所の一番安い部屋で一泊127元(約1800円)。立地の良いホテルだと157元(約2200円)からです。私がいま泊まっているのは167元の広めの部屋です。

中国には他にも全国チェーンのビジネスホテルがいくつもあります。有名なところで、MOTEL168如家酒店錦江之星などです。一応この辺のホテルは全部会員になっています。初回利用時に100元から200元くらいの入会金を払うとその場で会員カードをくれて、会員割引値段で泊まる事ができます。全国にあるチェーン傘下のホテルは何処でもネットで予約や支払いもできます。7Days Innが他と比べてちょっとだけユニークなのは、会員カードが(昔はあったようですが今は)ありません。会員カードの代わりに自分の携帶電話の番号を登録して使います。7Day Innのロビーには必ずパソコンが何台か置いてあります。予約無しでロビーに来ても、みんなフロントではなくパソコンの方へ行って自分でネットから予約します。これはなかなか興味深いやり方です。フロントから予約業務を取り去る事で、お客は割引値段をゲットでき、会社側は従業員の業務効率を少し高める事ができますね。7Days Innはホテルの他にレンタカーのサービスもやっており、ホテルで車をピックアップできるメリットがあります。レンタカーの値段は、安い車で1日100元以下のようです。今度実際に使ってみたら、ここで記事にしたいと思います。

さて、ホテルの中の状況についてですが、7Days Innの場合には新しくても古くても、中はほとんど同じです。各部屋にIPTV式のテレビ、固定電話、インターネットのLAN線(壊れている事が多い)、お湯を沸かすポットと紙コップ、シンプルな木の椅子、暖房機能のついた各部屋独立式エアコン(中国も広東省や香港など南に下ると冬が短いので暖房のつきてないエアコンが多い!)、浴室は洋式トイレとガラスで仕切られたシャワー室、バスタオルは必ずビニール包装されている、などです。洋服ダンスの代わりに、壁からハンガーを4つ吊るせる棒が付いています。かなりシンプルな構成です。あと、7Day Innの特徴としては、蛇口をひねってからお湯が出るまで10秒とめちゃ早いのをウリにしています。真冬のめちゃ寒い時でも15秒もあれば熱いお湯が出てくるのは確かです。ベッドのマットレスが寝心地が良いのもウリの一つにしているようです。地方の無名の地元ホテルに泊まると、一番酷いのがベッドのマットレスです。板みたいに硬いのから、完全に死んでいるのようなベコベコのマットレスとかの経験があります。7Days Innは、ベッドのメーカーのシモンズとタイアップしていて、良いマットを安く調達しているようです。

7Days Innに比べると、MOTEL168や錦江之星は建物の新旧や地方によりかなり室内の様相に差があるようです。以前に上海古北のできたばかりの錦江之星に泊まった時は、300元と高目の部屋(上海の繁華街では7days Innも地方都市より値段が高い)でしたが、内装や調度がチェーンホテルにしてはデラックスで快適でした。そういえば上海万博の時に、全国どこでも168元がウリのMOTEL168で、1泊400元もした事があります。流石は上海の商売人だと思いました。

7Days Innや他の全国チェーンのビジネスホテルの部屋の出入りはカードキーを使います。7Days Innはチェックインタイムの時間制限というのが特にないようで、部屋さえ空いていれば午前中早い時間からチェックインできます。しかし、早目にチェックインした場合には、夜に部屋に戻る前に、フロントへカードキーを渡して、再度、アクチベーションしてもらう必要があります。たぶん連泊客がお金をきちんと支払っているか確認するのが目的ではないかと推測しています。

部屋はカードキーを差し込まないと電源が入らないようになっています。夏の暑い時など、食事などで外出する時にもエアコンをつけたままにしておきたいですよね。私の同僚はカードキーを紛失したと偽って20元で再発行してもらい、自分で余分に1枚もっています。そのカードを挿してエアコンつけたまま外出していると言ってました。チェックアウト時間は、普通は12時ですが、ゴールド会員は13時、プラチナ会員は14時という感じて多少の差別化がされています。

私のように常にあちこち移動していると、下着の洗濯は悩みの種です。7Days Innは各部屋にそれぞれエアコン室内機がありますが、室内の送風機にハンガーを掛けて、暖気の吹き出し口にシャツ、靴下、パンツを順番にかけて乾かしています。シャツはユニクロのヒートテック(化繊)だと1時間くらいで乾きます。食事が終わって8時か9時に部屋に戻ってから洗濯して乾かし始めても、12時までにはほぼ全部乾いています。

思いつくままに書いてみたので、記事としてはまとまりのない冗長な感じになってしまいましたが、中国のビジネスホテルの感じを掴めていただければ幸いです。

 

Be the first to comment - What do you think?  Posted by bobby - 2013/01/09 at 01:29

Categories: 3.中国ネタ, 5.閑話休題   Tags:

人口減少の特効薬

BLOGOSで「人口減少に歯止めをかけるには?」という議論板が立っています。そこでの議論の最中に、ネット上の資料を漁っていてたまたま見つけたのですが、国土交通省で総人口の長期的推移という資料(オリジナルはここをクリック)を見つけました。この図は西暦800年から2100年までのスパン(当然、推測値を含む)での総人口想定なのですが、興味深いのは現在を堺にして、人口が真っ逆さまに減少傾向を辿っているという事です。

 

 

 

下の図をご覧ください。総人口もそうですが、生産年齢人口も減り続けています。(もと記事はこちらを参照)要するに、日本は衰退期にはいったという感じでしょうか。人口というのは、たぶん、政府がなんとかしたから増えるようなものではないと思います。たとえば戦争や伝染病で何百万人とかが死ぬような危機的な状況が生じないと、人間の心理は容易に人口を増やすという方向へ転換しないのではないかと思われます。

 


人口の減少で困るのは、税収や年金の積立が減る事です。日本の労働生産性は、製造とサービス業ではかなり生産性が高いと思われますが(これはあくまで私の経験に基づく意見です)、経営職や中間管理職の生産性は、はっきり言って中国人の大企業の経営者や中間管理職に負けていると思っています。本来、日本のGDPを稼ぐところの大企業において経営職と管理職の生産性が悪い上に、労働人口が減少してしまっては、企業にGDPの嵩上げを望む事はできないのでしょうか?

企業の管理職と経営職の生産性を短期間で上げる事ができる方策があります。それは、企業の管理職や経営職へ女性をもっと登用するという事です。もっとという意味は、男女比で50%前後くらいという事です。

企業の生産性が非常に高い香港では、マネージャーの女性比率は半分弱くらいあります。我社のソフト部門のマネージャーも女性です。だいたい、新卒入社前の大学時代において、女性の成績は平均でも上位成績者でも(男女比を50:50に補正すると)女性が占める割合の方が高くなります。

来年に就職する女性に対して、企業はもっといろいろな機会を与えてみてはどうでしょうか。もちろん、結婚しても子供が生まれても働き続けられるような環境や待遇を用意する事が前提となります。そして、男女含めて全ての社員と管理職が普段は定時で帰れるような労働環境にする事も必要です。慢性残業というのは、もともと社員が足りていない証拠です。企業が雇用できる予算内で十分な社員が雇用できないというのであれば、それは経営職と管理職が十分な付加価値を生み出していないという証拠です。雇用予算が先か、付加価値を高めるのが先かというのは、鶏とタマゴの関係のようなものかもしれませんが、銀行から借金できる大企業であれば、十分な人数の社員を先に雇用して慢性残業を無くす事から始められます。借金できない中小企業は、既存社員の給与を下げてでも、十分な人数の社員をまずは雇用するべきです。

その上で、男性でも女性でも同じように働ける環境の下で、企業は女性の能力を十分に利用して、仕事や商品の付加価値を高める努力をして欲しいと願うものです。

Be the first to comment - What do you think?  Posted by bobby - 2013/01/05 at 15:49

Categories: ブログ評論, 1.政治・経済   Tags:

幸せに生きるコツ

私は幼少の頃から(親譲りの)けっこうユニークな性格だった為か、中学校くらいまではかなりのいじめられっ子で、どちらかというと幸福とはいえない人生の滑り出しでした。大学時代にメンタルトレーニング的な本を読んで実践をはじめ、またシステム屋に特有のデスマーチを凌ぐ過程であるコツをつかむ事ができ、以降の人生をわりと幸福に生きる事ができるようになりました。昨日読んだ、不幸な人生を送る10の方法(*1)というブログ記事に触発され、ではどうすれば人生を幸福にする事ができるのかというコツについて書いてみたくなりました。この記事はあくまで私見ですが、不幸な人生で苦しんでいる読者の参考になれば幸いです。

 

1)幸福も不幸も単なる脳内の化学作用であると割り切る

最初に極論を述べます。幸福というのは純粋に主観的なもので、まったく同じ環境にいても幸福と感じる人もいれば不幸と感じる人もいます。もし今、非常に大きな問題を抱えている訳でもないのに、自分が比較的不幸だと思っている人がいるとすれば、それは単に、あなたの「感じ方」に問題があるだけです。よく言われるところの、楽観的な人と悲観的な人の違いです。では楽観的な人と悲観的な人の違いは何でしょうか?私は、人間が脳内で幸福と感じるある種の化学物質(以下ホルモンと仮称する)が出やすいか、出にくいかという体質の差だと思っています。不幸感も同じです。(これはあくまで私の個人的な仮説です)(*2)要するに、あたなが幸福と感じる時、それは単に脳内で化学反応が生じているだけです。生理的にいえば恐らく、麻薬中毒者が麻薬を欲するのと本質的な差はありません。どうですか、これであなたも、幸福でない事を悲観するなんて馬鹿らしいと思えるようになったでしょうか?駄目?やはりそうですか。では次に進みましょう。

 

2)問題解決の期待値を大幅に下げてみる

幸福感というのは、自分が設定した期待値あるいはそれ以上に達した時に生じると(私の仮説では)考えています。仕事なんでどうでも良いと思っている人は、仕事で上司に褒められてもあまり幸福ではありません。人間関係なんてどうでも良いと思っている人は、誰かに嫌われても不幸とは思いません。仕事にしろプライベートにしろ、思い通りにうまく行かずに幸福感を得られないと感じている人は、まずは問題とおもっているところの期待値の設定を下げて見てはどうでしょうか。小さな期待値には小さな幸福感しか得られないとしても、それを継続的に積み上げる事ができれば、不幸な人生とおさらばする事ができるかと思います。

 

3)決断から悩みと後悔を取り除く

人は悩み後悔する事で不幸を感じます。人生は日々、判断や決断の連続ですから、悩みやすい人は優柔不断、後悔し易い人は不幸を感じやすいと言えます。では、いままで通りに日常生活を続けながら、悩みや後悔から遠ざかるにはどうすれば良いでしょうか。その為には、他人や書物に相談する事は良いとしても、最終決断は常に自分で行う事。そして決断した理由を記録しておく事です。後悔する理由は、「なぜあの時にこちらを選んだのか!」という判断のプロセスを事後から見て、一定の合理性が感じられないか、あるいは曖昧になってしまっているからです。また、人が決断で悩み疲弊する理由は、どの選択枝にもメリットとデメリットがある時に感情が邪魔して合理的な判断ができず、心の中の閉ループを何十回、何百回と思考を繰り返し、そこで膨大なエネルギーを消耗するからです。決断で悩まない為に、決断プロセスに感情をなるべく入れないようにするひとつの簡単なテクニックとして、私が知人へ進めている方法があります。1枚の白い紙の上に、それぞれの選択をした場合のメリットとデメリットについて思い浮かぶかぎり書き出し、紙に書いた項目の中から決断理由を決めるようにします。こうすると、感情で曇っていたメリット・デメリットがはっきりと見えるようになり、合理的に判断するにはどれを選ぶが見えやすくなります。ここで一番大事な事は、この手順を自分で納得して実行する事です。

 

上記は、日常的な仕事や生活の中の、比較的ありふれた問題へ対処しながら幸福感を増すコツについて述べました。

 

しかし人生には、とても重大な問題というのも時々起こります。激しいイジメに会った時、仕事が死にほど厳しくて心が折れそうな時、借金が膨らんでどうしようもなくなった時。そういう時、人はノイローゼになったり、自殺を考えたりします。こういう大きな問題に対して、私の経験をもとに、わりと即効性のある対処法についても述べてみたいと思います。

 

1)誰にも言えない問題は自分自身に相談する

誰にも相談できない問題で悩んでいる時には日記を書きましょう。心の中の問題を誰かに話すだけでも、精神的なストレスを一時的に下げる事ができるものですが、他人には絶対に話したくない問題というのも世の中にはあります。また、相談する友人が身近にいない時もあるでしょう。そういう時には、自分自身に話してみましょう。つまり日記です。紙の日記帳でも良いし、ブログを非公開モードで書くという手もあります。ただ書くだけでも良いのですが、問題が生じた原因、過程、現在の状況、どのように解決したい等、問題を整理しながら解決方法を書いてみましょう。今日の日記を書いた後で、余裕があれば過去のページも読み返してみましょう。書いたものを読み直す事で、合理的な思考が戻ってきて、どうするべきがが見えてくるものです。

 

2)どんな問題や失敗でも死ぬ訳ではないと言い聞かせる

仕事にしろプライベートにしろ、失敗したらほんとに命を取られるような問題は現実世界ではほとんどありません。私は長くシステム屋をしていますので、デスマーチで精神的に追い込まれた事も何度かあります。中にはヤクザ口調で脅すお客さまもあり、小心者の私にはけっこう効きました。精神的に追い込まれているときには、普段の冷静な判断ができず、視野がどんどん狭くなります。しかし、そういう時にはいつも、「たとえ失敗しても命が取られるわけじゃない」と自分に言い聞かせる事で、心を落ち着かせていました。あなたもぜひ試してみて下さい。

 

3)夜逃げは死ぬよりマシ

サラリーマンや会社経営者にとっては、死ぬほど辛い事というのはたまにあります。為替で失敗して帳簿に大穴を開けたとか、資金繰りがつかなくて社員の給料や取引先の支払いができなくなってしまった時とかに、首を括るか電車に飛び込むかと考えるかもしれません。しかし、実行する前にもう一度よく考えてみてください。クビになったり夜逃げする事になったとしても、べつに死ぬ訳ではありません。会社や従業員や取引先や家族や親類や銀行に迷惑をかける事になったとしても、あなたが生きていれば、いつかは借りを返せる時がくるかもしれません。ここは一つ、多少なりとも前向きに考えるようにして、死ぬよりは逃げる事を考えて見て下さい。

 

この記事がなんらかの参考になりますように。

 

引用記事

1)不幸な人生をおくる10の方法

2)幸福は個体差の大きなベクトル量である

 

Be the first to comment - What do you think?  Posted by bobby - 2013/01/03 at 16:03

Categories: ブログ評論, 健康   Tags:

文科省のグローバル人材の定義に大笑い

JBPRESSにどうすればグローバル人材の育成ができるのかという記事(*1)があります。そこで書かれていた文部科学省によるグローバル人材の定義を読んで、ちょっと心配になってしまいました。もしも政府や企業がこのような定義を真面目に信じているのだとしたら問題だと思ったからです。まずはその定義をご紹介しましょう。

 

「世界的な競争と共生が進む現代社会において、日本人としてのアイデンティティを持ちながら、広い視野に立って培われる教養と専門性、異なる言語、文化、価値を乗り越えて関係を構築するためのコミュニケーション能力と協調性、新しい価値を創造する能力、次世代までも視野に入れた社会貢献の意識などを持った人間」

 

まずは、上記の定義ダメ出しして見ましょう。

 

1)日本人としてのアイデンティティは必要か?(*2)

極論すれば不要です。日本の知識(特に文化的なもの)は無いよりはあった方が便利です。なぜなら、日本の本社や駐在員上司の考え方を理解するのに有用なだけでなく、現地人との関係を深めるときに会話のネタとして使えるからです。しかし、これが無いとグローバル人材として仕事が出来ないかといえば、そんな事はありません。一般的に言えば、中学高校をインターナショナルスクールという無国籍文化に慣れ親しんだ人の方が、異文化との親和性やコミュニケーション能力が高いと考えられます。

 

2)教養や専門知識が必要か?

教養は不要、専門知識の有無は仕事の内容によります。教養が不要という意味は、高卒レベルの国語・地理・歴史くらいで十分なので、あえて教養と特筆する必要はないという意味です。専門知識は、たとえば財務責任者として赴任するのなら、赴任地の会計規則はある程度はフォローしておきたいところです。しかし営業、購買、総経理として赴任するのなら、業務知識と経験があれば十分で、あえて専門知識などと言う必要はありません。

 

3)言語・文化・価値を乗り越える必要があるか?

乗り越える必要はありません。日本と赴任地の文化的差異を理解して、可能な限り現地の文化を維持した状態で業務が遂行できるように本社側との調整を行うのです。何でも日本式が一番良いという訳ではありません。多くの日本企業は、日本(本社)の企業文化を現地へ教育し導入しようと日夜努力しているようですが、これは方向性が根本的に間違っています。その結果、業務効率を高めるには常に一定数の日本人駐在員が必要になります。彼らがいなくなると、たちまち社内から本社の企業文化が薄れてゆくからです。そういう意味では、日本企業でグローバル人材による改革が真に必要なのは日本本社かもしれません。(笑

 

4)新しい価値を想像する能力は必要か?

不要。それは日本側の仕事、あるいは現地雇用したデザイナーや開発エンジニアの仕事です。

 

この笑える内容の定義文は、文部科学省が大学で「どんな教育をさせたいか」というサプライ側の視点で考えられた机上の空論と言えます。さて、ダメ出しが終わったところで、アジア生活20数年、アジアで業務経験も同じく20数年、現地雇用での転職歴は5回以上、それから多数の企業の駐在員の方々を見てきた知見から、私なりのグローバル人材としての条件を以下に列挙してみます。

 

1)海外どこでも生活できる適応力

グローバル人材の必要条件の第一番目に来るのは、高級ホテルでもボロアパートでも、とにかく何処でも生活でき、何でも食べられる、人間としての広い適応力が重要です。海外生活に馴染めない人は精神的に弱ってしまうので、あとでいろんな問題が生じます。

 

2)相手と同じ目線で接する事ができるコミュニケーション能力

二番目に必要なのは、途上国だからと見下したり、尊大な態度をとったりせず、同じ目線の高さで接する事ができるコミュニケーション能力です。逆に日本人が欧米へ行く場合には卑屈にならず、やはり相手と同じ目線を保つ事が必要です。これがきちんとできれば、現地社員と良好な人間関係を構築でき、生産性をそれなりに高める事ができます。逆にこれができないと、現地社員の離職率が高かったり、労使問題を起こしたり、現地人と個人的なトラブルを起こしたりします。

 

3)日本本社に対する文化的な調整力

日本と現地とでは、文化に大きな差があります。日本のやり方を現地で押し通そうとしても、お互いにフラストレーションが溜まるばかりで生産性は上がりません。現地の責任者として赴任する人は、現地の文化がどのように日本と異なり、日本のやり方が通用せず、現地人だけで業務を達成させるには何をどうする必要があるかを、日本本社へ説明して理解させる為の調整力が大変重要です。つまり現地人を教育するのではなく、日本本社を教育するのです。これができれば、実務を行う日本人駐在員をゼロにする事ができます。しかし残念ながら、海外進出しているほとんどの企業では現地人(現地の取引先)に対して調整力を行使するという無題な努力を行なっているのが現状です。

 

4)英語あるいは現地語の能力

経営者は通訳がいれば基本的に問題ありませんが、実務担当として赴任する駐在員は英語や現地語が話せるのがベターです。この点では、赴任地の大学へ語学留学している学生をグローバル人材として本社採用し、社内で業務教育する事を強く勧めます。業務のプロに語学を仕込むより、語学を習得した人に業務を仕込む方が簡単で効率的だからです。しかも、自主的に(特に途上国へ)留学する学生は、もともとその国の文化に興味のある人が多いので、上記の1と2の条件を満たす人を見つけやすいと考えます。

 

如何でしょうか。あなたが考えていたグローバル人材の条件とかなり違っていたかもしれませんね。もし違っていたら、ぜひあなたの意見を聞かせて下さい。

 

 

参照記事

1)どうすればグローバル人材の育成ができるのか(1)

2)どうすればグローバル人材の育成ができるのか(17)

3)産学官によるグローバル人材の育成のための戦略

3 comments - What do you think?  Posted by bobby - 2013/01/02 at 01:32

Categories: 1.政治・経済, 4.教育   Tags:

経済成長=新陳代謝、と小一時間問い詰めたい

安倍政権が景気浮揚対策の一環として電機メーカーの競争力を強化する為に、1兆円の税金で過剰設備を買い入れてリースするという記事(*1)を読んで驚きました。自力で競争できなくなりゾンビ化した企業は、大企業であれ中小零細企業であれ、市場原理にまかせて淘汰させる事が、日本の持続的な成長に不可欠です。その理由をこれから説明します。

 

1)ゾンビ企業は間引くべし

安倍政権が日本経済の持続的な経済成長を望んでいるのならば、短期的な大企業の雇用を守るより、ゾンビ化した大企業を間引く事を考えるべきです。まずは「たとえ話」から入りましょう。成長した森は木の葉が空を覆っているので、地面には十分な光が届かず、新しい木が育ちません。木は永遠に成長する訳ではなく、一定の高さまで達すると成長を止め、四季を繰り返します。そのうちに森全体が老いてきます。いまの日本の電機・家電業界とは森全体が老化した状態です。森に住む動物や昆虫の為に、森を常に元気な状態に保つ為には、病気や老いで元気のなくなった木を伐採して空に穴を開け、地面に光を与える必要があります。その光の下で、芽吹いた若木が勝手に競争を始め、いづれどれかが空の穴を埋めるまでに成長して花や実を付けるようになって、森の持続的な成長が維持されます。

 

この森の例は、日本の電機業界にもそっくりと当てはまります。マス市場というのは有限なので、そこでサバイバルできる大企業の数は限られます。企業も成長して安定期に入ると、それ以上に成長する事は難しくなります。いまの電機メーカーはどれも成熟期にあるので、これらの大企業をいくら支援しても、生き長らえて四季を繰り返すだけであり、安倍政権の望む成長は得られません。ゾンビ化した大企業が減れば、そこには新しいチャンスが生まれて、中小零細企業が勝手に競争を始めます。競争の中から、既存の大企業が更に大きくなるか、あるいは新しい大企業が生まれて成長し、安倍政権の望むGDP増大に寄与するでしょう。

 

グローバル化の進む世界で勝つ為に、日本の電機・家電メーカーに頑張ってもらう事は重要です。その為に必要なのは、たとえば税率を低くするとか、規制緩和してビジネスの機会を高めるとか、TPPに加盟して輸出先の貿易関税を無くすとか、政府が行うべきはそのような間接的な支援政策であるべきです。

 

2)新陳代謝の無い過当競争が経済の衰退を招く

もう1つ、電機メーカーを淘汰させて数を減らすべき大きな理由があります。まずは下記に、世界規模で競争している電機メーカー(日本を除く)を列挙します(*2)。ご覧のように、たった7社しかありません。

 

ゼネラル・エレクトリック (米国)

シーメンス (ドイツ)

トムソン(フランス)

フィリップス(オランダ)

LG電子(韓国)

サムスン電子(韓国)

ハイアール(中国)

 

次は日本を代表する世界規模の電機・家電メーカーをご覧ください。こんなに国土の狭い、たった1億3千万人弱しか住んでいない日本に、8社もあります。下記7社の主戦場が日本の国内市場です。

 

日立製作所

東芝

三菱電機

パナソニック

シャープ

富士通

NEC

沖電気

 

なぜ日本の電機・家電メーカーは弱体化しているのでしょうか?その答えは超簡単。欧米先進国では、強いブランド力を持つ電機メーカーは1つの国に1社未満、1つの広域経済圏の中でも数社なので、適度な競争の範囲に収まり易く、付加価値の高い製品から沢山の利益を得られる期間が長いのです。ところが日本では、強いブランド力を持つ電機・家電メーカーが多すぎて、付加価値の高い製品もたちまち価格競争で潰し合いの消耗戦となり疲弊します。エコポイントの末期に、有名ブランドの大型液晶テレビがどれだけ値下げされたか、覚えている人は多いでしょう。

 

もし安倍政権が電機メーカーを強くする積極的な政策をやりたいなら電機・家電メーカーを政府主導で3社くらいに統廃合を検討してはどうでしょうか。個人的には競争の結果退場する事が望ましいと考えますが、政治的にそれが難しいのであれば、銀行の統廃合ではそれなりの成果が出たのですから、電機・家電業界でもやって出来ない事はないと思われます。

 

3)大企業だけ特別優遇は社会の格差を固定する

安倍政権だけでなく、歴代政府にとって雇用問題はたいへん大きな課題だと思います。故に大企業を税金で救済する事が試みられてきました。しかし、労働市場全体に占める大企業労働者の割合は決して大きくはありません。1社あたりの労働者数が多いので目立つだけです。大多数を占める中小零細企業では、資金繰りに詰まっても、借金で首が回らなくなっても、誰も助けてくれません。であるならば、集めた税金を投入して特定の大企業だけを救済するという事は、政府自らが、社会とは不公平であり、格差社会は固定させるべきだと宣伝しているようなものです。政府が格差社会の固定化を望まないのであれば、市場競争で負けた大企業は、自身の決断において市場から退場する(潰れるか競争相手へ吸収される)事を静観するべきです。大企業が潰れても、多くの労働者は結果として、大多数の中小零細企業へ吸収されてゆくでしょう。その結果として、先に述べたように新しい競争が生まれ、やがて何万人を雇用する新しい大企業が生まれるのです。このような社会の新陳代謝が実現してこそ、資本主義社会の中での平等が保たれると言えます。

 

参照記事

1)国は電機メーカーの過剰設備の買い取りでなく、資本注入で明確な経営責任を〜 ゾンビ企業が増えるだけ

2)電機メーカー

 

2 comments - What do you think?  Posted by bobby - 2013/01/01 at 12:40

Categories: 1.政治・経済   Tags:

<スポンサーリンク>