Archive for April, 2012

「夢想家」に未来はあるか?

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内田樹氏のリアリストの未来に言及した記事をたいへん興味深く拝見させて頂きました。2つのポイントについて述べさせて頂きます。最初はまず国旗国歌問題から入ります。

>国歌国旗問題については、これまでも繰り返し発言してきた。
>私が統治システムにかかわることで主張しているのは、つねに同じことである。
>「その政策は健全な公共心をもつ成熟した公民をつくりだすことに資するかどうか」

内田氏は教職員に君が代の起立斉唱を強いる事を、国旗国歌問題として議論しようとしていますが、残念ながらこれは出発点が間違っています。何か間違っているかといえば、出発点は国歌の中身(思想信条)の問題ではなく、外形的にルールに従わせるという組織統治の問題を橋下氏は述べているのです。(大阪都市構想はガバナンスの問題に収束する

学校においてクラスの生徒を統治するのは教師の仕事です。その教師を統治して効率的な教育業務を運営するのが主任や校長の仕事です。そのような学校を地域ごとに統治するのが教育委員会です。

その教育委員会が決めたルール(学校行事における教師の君が代の起立斉唱)を、学校行事の最中に大勢の父兄や生徒の面前で、末端の教師が意図的に、かつ繰り返しルールを破るという行為を行えば、組織統治上のどのような問題は生じるかは、会社を経営した事のある人なら容易に理解できるでしょう。

>「憲法に反対なら、公務員をやめろ」というようなことは言わない。
>私はいずれについても処罰を求めない。

学校(あるいは地域の学校群)という組織を正しく機能させて、教育委員会の望む方針を実現する為には、学校の中で末端教師に対する統治能力を維持する事が重要です。ルールを破るという悪い影響を与える行為を行う教師には、学校という組織が指導を行って改善する必要があります。ルール破りを意図的に繰り返す教師は、教師である前に組織人としての資質に欠けます。ゆえに組織から排除する必要があります。排除とは「やめさせる」という事です。

ここまでをまとめると、橋下徹大阪市長が求めているのは、大阪の生徒の成績を向上させられるように、まずは学校内で統治責任者が末端教師に対する統治能力を向上させようという事であって、思想信条の議論はしていないという事です。内田氏にはぜひ、同じ土俵で「噛みあう議論」をして頂く事を期待しています。

では、次のポイントへ移ります。

>国民国家は擬制である。
>福沢諭吉はもっとはっきりと「私事」だと言った。
>昔誰かが勝手にそういうものをつくったのである。
>国境線をひいて、「こっちからこっちはおれの国だ。入ってくるな」というようなことを言い立て、国法を定め、国語をつくり、国旗をデザインし、国歌を作曲した。
>どれもみな「つくりもの」である。

実は最近、このような考えに強い魅力を感じています。私は思想家ではなくて企業の経営者ですが、以前に国家とは何かという記事を書いて、多くの人が当たり前のように「日本を守る為に戦争も辞さず」という考え方に疑問を呈しました。

少なくとも20世紀までは、他国の侵略により国民の生命財産を失う危険がありましたが、21世紀の現代においては、一定の経済規模と文化レベルを持つ国家による侵略行為は、少なくとも経済に利する事が目的であり、治安維持組織へのテロや暴動が起きない限り、グローバル市場からそっぽを向かれるような非人権的な行為が大々的に行われる事は考えにくいと考えています。

極論すれば「国名」というラベルと「政府」という管理組織が変わるだけです。ならばそのようなものにこだわって防衛戦争に執着し、国民の生命財産が失われる事に何の合理性があるのか、と考え続けております。


2 comments - What do you think?  Posted by bobby - 2012/04/09 at 10:51

Categories: ブログ評論, 釣りネタ, 1.政治・経済   Tags:

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