Archive for May, 2011

義務教育の自由化を考えてみる

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アゴラ 教育の自由化をかんがえる

  さらにすすめば、学校に行かずとも、一定の年齢にたっした子どもに学力テストを課して、それに合格することだけを「国民の義務」にすべきかもしれない。

これは面白い発想です。おもわず目から鱗が落ちました。

私は、国家が教育重視政策を行って経済発展に大きな効果があるのは、発展途上国か、米国のように途上国からの移民が多い国に限られると考えています。故に、日本のように全国民の教育水準が極めて高い成熟した国家において、大学進学率を今より高めるような政策を国家が行う事が、日本をより発展させるとは思えません。その一方で、赤沢氏が述べている義務教育の自由化は、違う意味で効果があるのではないかと感じました。

小学校の1年から6年までと、中学校の1年から3年までについて、国家が学力認定試験を行い、小中学校への就学自体は義務化しないというのは非常に面白いアイデアです。国家は教育バウチャーを配布します。親は教育バウチャーを使って、公立あるいは私立の小中学校へ子供を通学させても良いし、私塾で勉強させるだけでも良いし、家で自習するだけでも良い。小中学生の学校への就学を任意とするのです。日本のいまの状況を考えれば、親が貧困や無教養を理由に、子供から教育を奪うという事は、例外を除けば考慮する必要はありません。故に義務教育を自由化する事が、日本では可能だと思われます。

また、学力認定試験は年に1回ではなく、2回以上実施できるようにすると面白い。落第した子供は翌年の試験まで受験させないようにするが、合格した子供は年内に次の学年の試験を受験できるようにします。すると早熟の子供は飛び級が可能になります。知能の高い子供は、どんどん飛び級して、短期間に小学校と中学校を卒業できるでしょう。こういう制度は、いまの日本の教育制度では導入が困難かと思います。

親の視点からこれを考えて見ます。子供に普通の教育を与えたい平凡な親子は、いままで通り、公立の小中学校へ子供を通わせる事を選択可能です。その一方で野心的な親や、非凡な知能を持つ子供は、どんどん飛び級に挑戦でき、教育の幅が広がるかと思います。

自由化のメリットは競争や選択の幅が広がり、やる気や能力のある者がより多くを手にする事ができるという事ではないかと思います。日本が硬直化している主要な原因のひとつは、世代が新しくなるほど、野心や競争心が減少している事かと考えます。義務教育の自由化は、そういう意味で、新しい世代に激しい野心と競争の種を植え付ける事が可能ではないでしょうか。


2 comments - What do you think?  Posted by bobby - 2011/05/28 at 17:18

Categories: 1.政治・経済, 4.教育   Tags:

三大不良債権

結婚できない男というドラマで、主人公が面白い事を言っています。妻、子供、マイホームは人生の三大不良債権なのだそうです。妻を養う生活費、子供の教育費、そして住宅ローンの事を言っているものと思います。この中で金額と期間がいちばん大きいのは妻子の生活費、2番目は住宅ローンかと思います。そこで住宅ローンについて考えて見ます。

不動産バブルが弾けるまで、不動産(土地)は長期的にかならず価値が上がると信じられていました。香港や中国の大都市圏のマンションは、いまでも長期的に値段は上がり続けています。私の住む香港のマンションは築20年ですが、新築時の4倍以上の値段になり、現在は香港返還直前の不動産バブルのピークの値段を越えたようです。このような不動産市場があるところでは、循環する景気のピーク時を避けて不動産を購入すれば、流動性の高い物件では、3年から5年で購入時の価格を越えて、うまくすれば転売によるキャピタルゲインを得らます。それを再投資して更に高額な(広い)マンション購入を購入したり、2軒目のマンションの頭金にする事ができます。。このような転売と再投資を数十年間にわたり繰り返せば、普通のサラリーマンでも数軒のマンションを持ち、会社をリタイヤした後は家賃収入で悠々自適な生活が送れるようになるでしょう。まさに不動産投資の醍醐味ですね。

ところが日本はバブル崩壊以来、普通のサラリーマンが購入できるような郊外の家(マンションあるいは戸建て)は、購入した時が最高の不動産価値で、それ以後は価値が下がるばかりです。戸建ての家の価値は、20年もすればゼロ同然になります。土地の値段も、慢性デフレと人口減少の時代にあっては、よほどの立地でなければ価値は上がりません。つまり日本では、普通のサラリーマンが個人で購入できるような不動産は、投資というより負債と言うべきです。故に住宅ローンは不良債権という訳です。

さて、普通のサラリーマン家庭にとって、マイホームが不動産投資ではなく、負債であるとするならば、過大な住宅ローンを背負う意味があるのでしょうか。一家の可処分所得の大部分が住宅ローンに持ってゆかれますので、外食や、家族旅行や、家電製品の買い替えなどが抑制されます。何より一ヶ月の小遣いが著しく減少します。そんな人生がはたして楽しいのでしょうか。

現金で家を買う事ができる資産家が賃貸アパートを提供し、普通のサラリーマンは、それを利用すれば良いというのが私の考えです。賃貸アパートなら、3年か5年ごとに新しい内装の家へ引っ越せば良いので、家を定期的に新しくできます。収入の増減や、家族構成の変化に応じて、家の広さや家賃の予算を変更できます。転勤の辞令が出ても問題なし。住宅ローンを背負ってなければ、転職のチャンス(リスク)に対応する事もできます。歳をとって、年金生活を始めるようになってはじめて、田舎に小さな家を(安い値段で)買う事を検討すれば良いのだと思います。

Be the first to comment - What do you think?  Posted by bobby - 2011/05/26 at 12:12

Categories: 1.政治・経済   Tags:

マイホームというリスク

東日本大震災では、非常に多くの家が津波によって流され、あるいは大きなダメージを受けたものと思います。東北の太平洋側は歴史的に何度も大きな津波が到来していますので、平地に家を建てた(買った)人は、よくよく考えれば受け入れざるを得ない災害であったと思われます。

これに良く似ているのは、河川の周辺の低地に家を建てる(買う)人です。家というのは一旦建てるとかなり長期に渡りそこにあり続けますので、たとえ何十年とか百年に一回の氾濫であっても、家が流されるリスクは存在し続けます。家が流された後で自治体に文句を言ったところでどうしようもありません。そこに家を持った人が悪いとしか言えません。

福島第一原発の半径30キロ圏はいまも避難地域になっており、そこに家を建てた(買った)人が、避難所を訪問した東電の清水(もと)社長を大声で非難しているテレビ放送を見ました。これもやはり、原発の周辺に家を持つ事を検討した時点で、原発リスクを考えるべきであり、極論を言えば買った本人の責任と言えます。原発が絶対に安全だというのは、喫煙はぜったいに安全だというのと同じ理屈で、健全な知能と精神を持つ普通の日本人の間で、「まとも」に受取られていた筈はありません。原発安全はあくまで政府と東電側の「建前」であり、現地住民は「大人」の対応として受け入れていたにすぎないという事だと理解しています。

ゆえに政府は、津波や原発により家を失った人の住宅ローンについて、過去の災害時の範囲を超えて支援する事は不要であろうと考えます。

住宅ローンについて言えば、香港や上海のように家やマンションが購入時よりも上がる続ける不動産市場は、住宅バブルの崩壊と共に消失しました。ほぼすべてのサラリーマンが購入した家は、年々、その価値が減じてゆくのみであり、長期でみれば何千万円も投下するに値する資産とはいえません。日本人のマイホーム神話は、今回の震災を機会に、ぜひ考え直すべきでしょう。

Be the first to comment - What do you think?  Posted by bobby - 2011/05/25 at 16:11

Categories: 1.政治・経済   Tags:

原発の安全性を担保せよ

保安院の独立なるか 政府 原子力組織見直し

東京新聞によれば、政府は保安院を経済産業省から独立させようとしているようです。時には原発に逆風を吹かせる役回りとなる保安院を、原発推進役の経済産業省の中に置くというのはおかしな話でした。

原発というリスクと向き合ってゆく為には、より客観的なリスク評価、改善命令できる必要があります。加えて、危機発生時には専門的な知識と経験を用いた、的確なダメージ管理を政府へ指導できるような機能も必要です。

この為には、政府直轄の組織とするべきであるとうと考えます。

既存の省庁へ組み込まない方が良い理由は他にもあります。原発とそこから漏れ出る放射能のリスク管理を行う為に、必要な規制を策定したり見直す為には、複数省庁にまたがる取り組みが必要です。更に危機発生時には、警察、消防、自衛隊や地方自治体や病院など、広範囲な省庁管轄組織への指示を必要とします。

多数の原発がこれからも運転され続ける以上、政府は、今回の失敗の教訓を生かさねばなりません。

Be the first to comment - What do you think?  Posted by bobby - 2011/05/17 at 07:00

Categories: 1.政治・経済   Tags:

あえて被災者というタブーを破ってみる

4月末から5月6日まで、四国山中の田舎へ帰省していました。1月に亡くなった母の、生前の希望をかなえる為に、お骨を山へ散骨する為です。イベントが5月の連休中であった為、東京からたくさんの親族が集まり、20名近くの親族と友人(そのほとんどは70歳を越える老人)が参加して、山の急斜面の雑木林に穴を掘って散骨し、その上に「クコの木」を植樹しました。クコは秋に赤い実をたくさん付けるので、小動物に好まれます。実のなる植物をたくさん植えて、山の動物を増やしたいというのも母の願いでした。しかしながら慣習やしきたりにうるさい田舎で、様式が確立されていない散骨という儀式を行う事は、えらく気疲れしました。

散骨も終わり多くの親族も出発してひと段落したある日、70歳を越える叔母が朝の茶の間で、テレビに写る東日本大震災の避難民の報道を見ながらこんな事を言いました。

関東大震災や戦時中の大空襲の時には、政府はこんなふうに助けてくれなかったし、そんな事を期待もせず、私らは自力で立ち直って来た。五体満足そうに見えるあの人たちは、いったいいつまで避難所にいて、あそこで何をしているのか?

日本の社会では決して口に出して言えないけれども、被災地(特に福島第一原発の避難民)の人たちに対して、被災しなかった多くの人たちが、心の中で密かに持っている疑問ではないでしょうか。

Be the first to comment - What do you think?  Posted by bobby - 2011/05/15 at 12:39

Categories: 1.政治・経済   Tags:

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