ブログ評論

政府の意思をいかに世界へ伝えるか

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今日は午後からポテンシャルカスタマーの事務所でERPソフトのデモを行う為に、深圳から広州へ向けて、開通したばかりの広深沿江高速道路を高速バスで移動中です。この高速道路は、昨年末に知人に聞いたところによると、1日に1億元を売り上げる広深高速道路の料金が高すぎるために作られたそうです。新しい高速道路は揺れも少なく快適なので、3G Wifi Routerを使って車中でアゴラの記事を読んでいましたら、興味深い記事を見つけました。

良い日本人と悪い日本人-イタリアの小学校の作文集より 仲宗根 雅則

イタリアには日本が好きな大人や子供が多くいて、日本のアニメ・日本食・文化に興味を持つ者も少なくないが、最近は安部首相による日本の右傾化をみんなで心配しているという内容です。本当に小学生の作文なのかブログ著者の書いたネタなのかは不明ですが、いかにもありそうな内容であり、ケーススタディーとして適していると思われるので、この問題について考えてみました。

まず最初に押さえておくべきは、茶の間レベルでいえば大半の日本人は、日本が戦争に向かって邁進していると危惧しているなどとは考えていないという事です。その上で、大半の新聞とネット上(ブログ等)では、安全保障会議と秘密保護法の成立、中韓政府との問題、首相による靖国神社の訪問などをとらえて、安倍政権が日本を戦前の先軍政治へ回帰させようとしているという記事が多数あり、更に中韓政府が国際メディア向けに同様の批判を繰り返す事で、偏向した記事が世界中に流れています。このような状況を前提として考えてみれば、イタリアの小学生の作文の記事はまさに、中韓および日本のマスコミの偏向記事が世界の末端まで浸透しているという問題を表しています。

日本のマスコミも世界のマスコミも、ジャーナリズムうんぬんなどと立派な事を言っても、しょせんは「売れてなんぼ」の商売ですから、情報を正しく伝達する媒体として信用する事などできません。それではどうすれば日本政府の意図を世界の末端へ、情報を正しく届ける事ができるのでしょうか。

方法はカンタン(ただしそれなりの予算が必要)です。政府の意図を世界へ向けて発信するブログ記事を、専門の広報チームを立ち上げて、世界の主要言語で発信するのです。靖国問題、尖閣問題、慰安婦問題、日韓併合問題などは、歴史的な経緯や現在直面いている問題などを含めて、情報発信してはどうでしょうか。政府側の書き手以外に、国内外の専門家に記事を書いてもらう事も効果的だと思われます。

韓国はいまだに日韓併合は日本による侵略との立場から世界中で意見を述べていますが、日韓併合の国際法的な正当性を確認する為に、たとえば欧米の国際法や歴史学者による専門的かつ客観的な記事を書いてもらう事は効果的ではないでしょうか。日本政府の戦略として、日韓併合の合法性と、第二次大戦終了まで朝鮮半島の国民は日本人であったという事を世界中へ周知の事実として知らしめる事ができれば、慰安婦問題や賠償問題などで、韓国政府は多くの対日カードを失う事になると予想されます。

第二期安倍政権でも戦後レジームからの脱却という想いを胸に秘めていると考えます。自らの理を貫き、世界に理解してもらう為には、政府直轄の多言語広報装置が必要です。このような装置として、ネットでブログ発信という器は非常に効果的です。ただし器は器。器にどんなコンテンツを入れるかが勝負。その為には国際的なネット広報の専門家、専任の編集者、上質の記事が必要です。それを実現するには、それなりの予算が必要です。

安倍政府が世界の理解を得る為に、ぜひともブログ発信を検討されては如何でしょうか。

 

追伸:

首相官邸のページも、日中英だけでなく、少なくとも欧米アジア主要国の言語をサポートするべきではないでしょうか。


4 comments - What do you think?  Posted by bobby - 2014/01/14 at 13:21

Categories: ブログ評論, 韓国, 1.政治・経済, 3.中国ネタ   Tags:

FACEBOOKの10代ユーザーは減少しているか?

あちこちでFACEBOOK終末論が囁かれていますが本当でしょうか。

確かにFACEBOOKが終わっていってるな
Facebookの10代アクティブ率が減った=衰退説を唱えるのは妥当か?!
10代はなぜFacebookから離れるのか

私の息子は香港の国際学校に通う高校2年(日本では高1)です。もちろんFACEBOOKユーザーです。そこで私の息子に聞いてみました。

私:クラスで何人くらい使っている?

息子:20人中19人。

私:なんで1人だけ使ってないの?

息子:友達がいないんじゃない?

私:......

私:学校全体だと、どれくらい使っていると思う?

息子:うーん、95%以上かな?

私:ところで高校生でもFACEBOOK登録できるの?

息子:13歳からかな。でもみんな歳ごまかして登録してるよ。

私:そーなんだ。

息子:俺だって小学校5年の時からつかっているじゃん。

私:そういえばそうだ。

(著者注:上記の口語体は適度に脚色してあります)

最初にあげた3つの参考記事では、みなさん、10代ユーザーの減少について語っておられますが、新しく参入する10代ユーザーの多くは13歳未満(もしかしたら10代未満)でFACEBOOKを始めるために、10代ユーザーとしてカウントされていないだけではないか、という可能性がある事を指摘してみたいと思います。

Be the first to comment - What do you think?  Posted by bobby - 2013/12/30 at 18:58

Categories: コンピュータ及び科学全般ネタ, ブログ評論   Tags:

育児よりベビーシッター(2)

育児休暇より廉価な外国人ハウスヘルパー(ベビーシッター)を家庭内に導入する事に対する反対意見を頂きましたので、私の反論を下記のようにまとめてみました。

 

1)保育所と住込みベビーシッターの住み分け

保育所は擁護と教育が目的であり、一般的な営業時間は7時から19時まで(*1)なので、職務上の責任を要求される正規雇用労働者のニーズに十分に対応できません。保育所の営業時間で対応可能な労働条件を得られるとしても、家庭内での家事・育児の負担の軽減の役には立ちません。逆に、ハウスヘルパーを導入しても子供の教育や社会性を付与する意味で、保育園や幼稚園が併存する意味はあります。

(私の個人的意見としては、企業内の労働環境の是正を行い、企業が十分な労働者を雇用して慢性的な残業を解消する一方で、雇用の流動性を高める事で育児の為に離職した女性が以前と同様の職種および待遇で容易に再就職できるようにする事に賛成するものです。しかしそれが可能だとしても、そのような変化には時間を要するという事、また女性の企業内の地位向上と管理職への登用が増加しないと女性の労働市場での価値向上が望めないという「卵が先か鶏が先か」という問題を解消できないのではないかと懸念します。この2次的な問題を解消する為に、働く女性を増加させる対策としてハウスヘルパーの導入は有効だと考えます。)

 

2)24時間保育園という異常な環境

子供にとっても保育士にとっても、24時間保育園という環境そのものが異常だと考えます。また、夜間の労働に従事する母親(片親)家庭において、24時間保育園が親の責任を補完する事はできません(たとえば熱のある子どもの受入を保育所が拒否した場合に、親は仕事を休まなければなりません)が、住込みのハウスヘルパーは親の代理として子供と家の管理に対する一定の責任を負わせる事ができます。(もちろん、親の責任を完全に補完する事はできませんが)

 

3)公立保育園の増大は福祉行政を税制的に圧迫する

公立保育園は大きな税金補助がなければ市場で存在する事が不可能です。母親の雇用が増大するほど政府の会計を圧迫します。しかし、民営のハウスヘルパー導入は税金補助を必要としません。

 

4)外国人ヘルパーの法律は別枠で設ける

企業労働と家庭労働は目的も環境も異なりますので、別のルールや基準で考える事には一定の合理性があります。香港ではハウスヘルパーは移民法(外国人労働者の就業ビザ)でも労働法(就労条件)でも別枠を設けて運用されています。

 

5)5万円で割りに合うか?

香港の住込みハウスヘルパーは月額5万円ほどの最低賃金が法律で決められています。食住の経費は別途に雇用者負担ですが、大した追加費用にはなりません。大卒新卒で企業に就職し、出産時に月額で20数万円以上の所得を得ている共働き家庭の女性が子供をもうけた場合、出産して3ヶ月程度で職場復帰し、以前とほぼ同じ条件で就業して給与を得る方が、退職してあとからパート職につくよりも、企業にとっても家庭にとっても結果としての負担は小さいと考えます。

離婚や死別による片親家庭の場合は更に、24時間保育より住込みハウスヘルパーの方が、親として安心して家を空けられます。

更に、ハウスヘルパーは子守だけでなく家事(掃除、選択、料理、公共料金の支払いや買い物)を行いますので、月額5万円はフルタイムで働く片親・共働き家庭の母親にとっては5万円の投資価値は十分にあると考えます。

 

6)福祉の改善

住込みハウスヘルパーは親にかわって家事を行う事ができるので、片親・共働き家庭の母親が就業と育児の肉体的疲労による疾病、精神的疲労による育児ノイローゼ、その結果生まれる家庭内暴力、育児遺棄などを一定量抑止する事が期待できます。また、従来なら生活保護に頼らざるをえなかったような家庭でも、住込みハウスヘルパーによりフルタイム就業が可能になるケースが期待できます。

 

 

良いことばかりを書くのはフェアではないので、デメリットについても書きます。

1)香港、シンガポール、中東などで、雇用主からハウスヘルパーへの家庭内暴力事件がしばしば発生します。

2)雇用主がハウスヘルパーへ辛くあたると、ハウスヘルパーが子供に仕返しする事件がしばしば発生します。

3)ハウスヘルパー目的で来た外国人労働者が、目的外の職種(企業の事務、飲食サービス、売春)で利用させる事件がしばしば発生します。

4)特にフィリピン人のハウスヘルパーは、休日である日曜にカトリック協会でミサの後に公園等に大勢で集まって過ごす習慣があり(たとえば香港島のセントラルには毎週日曜に大勢のフィリピン女性が地面にゴザを敷いて、食事をしたり歌ったり、おしゃべりしたりという光景を見る事ができる)日本の文化に少なからぬ影響を及ぼす可能性があります。(彼女たち自身が治安を乱す行為をするという事はあまりありません。)

 

 

参考資料

1)保育所(wiki)
2)福祉行政報告例(平成24年3月分概数)

Be the first to comment - What do you think?  Posted by bobby - 2013/05/03 at 13:36

Categories: ブログ評論, 1.政治・経済   Tags:

システム開発が失敗する本当の理由

吉澤準特氏が公官庁のシステム開発の問題点について指摘していますが、開発失敗リスクについて感じるところがったのでちょっと書いてみます。

ITシステム開発のフェーズを2つに大別すると・・・政府調達に見るIT投資の無駄遣い

 

パッケージソフトなどの出来上がっているソフトにちょこっと修正して運用開始するのと違い、もとになるシステムの有無に関係なく、あるお客様に固有の業務フローをシステム化する開発プロジェクトには大きなリスクが常に存在します。

どんなリスクかという事をなるべく素人でも分かりやすく述べると下記の通りです。

1)手作業で行う効率的な業務プロセスがシステムでも効率化できるとは限らない。

多くのお客様では、現場への業務分析を行うと、現在の手作業(あるいは古いシステム)を前提としてかなり効率化(少人数化)されている事がほとんどである事が分かります。日本の文化的特徴として現場には優秀な人材が多く、出来る効率化はあらかた実行済みである為、「いまの効率的な業務プロセス」を要件定義の前提とする場合がほとんどと言っても過言ではないでしょう。

手作業による効率化された業務プロセス、あるいは個々の業務プロセスに特化して改良を重ねた古いシステムがあり、それらをプロセス間、科や課をつないで統合的に運用できるような新しいシステムを考えようとする場合、はっきり言うと、いまある効率化された業務プロセスを作り変える必要があります。

なぜなら、現在は科や課で独立して管理している情報(エクセル表や古いシステム)は、隣接する科や課が持つ関連する情報ときちんとリンクしていません。「きちんと」という意味は、人間なら許容できる範囲の時差と精度だが、統合的なシステムから見ると許容できないという意味です。

業務プロセスを統合システムに合わせて作り変える事は最重要課題ですが、実際にはこれが、要件定義やシステム設計をきちんと行うよりよほど難易度の高い問題です。最大の問題はスイッチングコスト(*1)と言われ、いままでと異なるやり方を現場が嫌がる(面従腹背で拒否する)という事です。私の経験では、システム導入を推進する組織トップが現場をきちんと指導できる強い統治力を持つ組織でない限り、この問題の解決はできません。

 

2)システム設計者はお客様の業務フローを生半可にしか理解できない。

あるお客様に特有のシステムを開発する場合、その業務内容に習熟した開発者側の人間がいれば、上記1で述べた業務プロセスを作り直す為の提案を行い、あらかじめ業務プロセスの改善に着手すると同時に、その着地点を前提とした要件定義を行なって、システム設計を行う事ができます。

ところが現実には、あるお客様に特有の業務プロセスに習熟する為に、優秀なシステム設計者を1つのお客様へ半年も1年も派遣して貼り付ける事は困難です。そのような優秀な人材は、どんな大企業でも人数に限りがあり、その一方で企業規模に応じた受注額をこなすために、1つの案件に貼り付けられる時間には限りがあります。

有名になった特許庁システムの開発破綻(*2)では、業務内容を習得するべき担当者が期間中に何回も入れ替わって、何をどう理解したのかもわからないような惨状であったと思われます。これは極端な例ですが、毎週何回も業者側のシステム設計者が業務担当者や係長や課長と打ち合わせを行ったところで、たかだか数週間とか数ヶ月でまとめられるのは主要な業務プロセスと主だった例外処理項目だけであり、どれだけの例外処理項目を見逃していたかはシステムを開発した後にならないと判らない事がほとんどです。

これを後の祭りと言います。

では、どうしたら開発失敗のリスクを減らす事ができるのでしょうか。

真正面から答えるならば、要件定義の前に業務分析と業務改善(ビジネスプロセスリエンジニアリング)(*3)のフェーズを挿入し、ここへ最も大きな時間と予算を投入する事です。そして業者側でエース級のシステム設計者に、主要な業務から年数回の例外処理まで、実務の担当者以上に業務内容を理解してもらい、それを前提とした業務改善を業者と一緒になって行ないます。

業務改善の趣旨は、組織全体でデータ管理の改善、例外処理が発生しないように主要な業務プロセスの見直し、外側組織のデータとの関係性の改善などです。

システム導入を前提として、業務プロセスをきちんと整理する事ができれば、その後の工程(要件定義、システム設計、システム開発、テスト)のリスクはかなり低下させる事ができます。

最後になりますが、公官庁のシステム開発案件でも、業務分析・改善フェーズからシステム設計フェーズまでは、少なくとも1つの業者が責任を持って請け負うべきだと考えます。

 

参考資料:
1)スイッチングコスト
2)特許庁のシステム開発破綻の理由
3)ビジネスプロセスリエンジニアリング

Be the first to comment - What do you think?  Posted by bobby - 2013/03/25 at 15:18

Categories: コンピュータ及び科学全般ネタ, ブログ評論, 1.政治・経済   Tags:

女性の雇用は利益を増大させる

駒崎弘樹氏の女性雇用擁護記事を読んで創作意欲を刺激されたのでひとつ。

安倍総理、最強の成長戦略って女性支援じゃないっすかね!?

商売の基本は裁定取引(*1)です。つまり、安く買って高く売り利鞘を稼ぐ事が基本。サービス業や管理業務などの、人間の属人的な能力の差で全体の生産性に大きな差が生まれる業務についても、おなじ人件費ならより能力の高い人を雇用する事が利益を増やす上で重要になるのではないでしょうか。

そこで女性の労働力に注目しましょう。

学校(高校や大学)の成績は、平均点で言えば一般的に男性より女性の方が高いのです。成績上位者においても、女性が占める割合は低くありません。(女性の方が多い場合もある)純粋な体力勝負となる運動や肉体労働は別として、頭脳労働が中心の事務所仕事においては、学校の成績と同様に、平均でも上位でも男性より女性の方が優位にあると考えられます。

しかしながら女性の給料は一般的に男性より低く抑えられています。昇進についても女性は差別されています。良い仕事を得る機会についても同様です。つまり、労働市場において女性は男性より高い能力を有しながら低い待遇になっています。

もう一度、女性の労働力に注目しましょう。

あなたが賢い経営者であり、高い能力を有しながら低い待遇で我慢している女性に対して、その能力に見合った仕事と責任と待遇をオファーする事ができれば、大企業で我慢している有能な女性を割安の給料で引っ張ってくる事ができるのではないでしょうか。

新卒についても同様で、能力の高い女性に相応しい仕事と待遇をオファーし、女性である事のハンディキャップ(出産や育児)の支援をコミットする事ができれば、同じ給料の男性より高い能力の女性を、男性とおなじ程度の給料で雇用できるのではないかと思います。

あなたのような優秀な商売人が、優秀な女性労働者が割安で労働市場に放置されているのを、黙って見過ごして良いものでしょうか。

 

参考資料:
1)裁定取引

 

Be the first to comment - What do you think?  Posted by bobby - 2013/03/24 at 17:54

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ユニクロ・ワタミの攻略法(2)

前記事の続きです。

ユニクロ型サービス業を志望して大卒で店長候補生として入社する(あるいは既に入社して店長として頑張っている)人が、厳しい労働環境に振り落とされず、本社へ向かってキャリアアップする為には具体的にどのような事をすれば良いのでしょうか。

それを語る前にまず、ユニクロ本社とはどんなところなのか、経営者はどんな人材を本社で経営に参画させたいと望んでいるのかを知る事は重要です。大石哲之氏の下記2つの記事をまずは要約します。

1)ユニクロがブラックな本当の理由。キャリアの分断にみるユニクロの真の闇
本社は、中途採用でマッキンゼーやらATカーニーやらアクセンチュアの人をとりまくり、コンサルの巣窟とも言われているようなところ。その一方で国内の店長候補は、決してマッキンゼーへ入れないような新卒の人材が応募して採用される。つまり本社と現場のキャリアが事実上分断されている。本社を目指すなら、経験を積んで中途採用でチャレンジするべきだ。

2)ユニクロがブラックな本当の理由その2。柳井さんのしかけた”店長無理ゲー”という登用制度
店舗から本社へは蜘蛛の糸でつながっており、本社へ登用されるのは多く見積もっても5%程度。マッキンゼー級(*1)の働きをした者だけが選ばれるという、柳井さんが設定した”店長無理ゲー”であると同時に、新卒に向けた温情である。

一言で要約すると、新卒で入社して店長候補から本社へ幹部候補として登用されるには、マッキンゼー級の働きが必要です。そしてほぼ全ての新入社員は、マッキンゼーに入社するような実力が現時点ではありません。この前提条件のもとで、新人君が店長業務をこなし、更に本社へキャリアップする方法について検討します。

ゲームに攻略法があるように、ユニクロやワタミの店長を必要最小限の労力でこなし、更に業績アップして本社を目ざずにも攻略法があります。今から話す攻略法は万人に出来るという事ではありませんし、個人の能力と努力もそれなりに必要ですが、特別な事でもありません。企業が店長という中間管理職に何を求めるのか、また本社幹部に何を求めるかを合理的に理解して実践すれば良いというだけの事です。

 

ステップ1:管理力をつける
店長という中間管理職は、マニュアルに従って店舗を管理し、日次・月次のレポートを期限内に作成して報告するというのが必要最低限の要求事項と考えられます。

本社から課される日次・月次のレポートは、最初は品質より時間優先(60点の合格ギリギリの内容で良いから業務時間内)で提出時間にきちんと耳を揃えて提出できるように努力しましょう。毎日続くレポートに最初から100点を追求し、その為に毎日残業して体力や精神力を消耗するのは合理的ではありません。レポートの品質は仕事に慣れるに従ってだんだん高めて行けば良いでしょう。

ユニクロ型企業は、本社にいるマッキンゼー級人材の知識や経験を集積したマニュアルがあります。この内容を可能な限り迅速に記憶して理解しましょう。ただ指示内容を理解するだけではなく、指示の背後にある真の目的を理解するように努めましょう。自分なりに考え、店舗の現場を廻り、関連する書籍を読んで勉強し、機会あれば先輩や本社の人に質問し、常に「なぜ?」という疑問を持ち続ける事が重要です。レポート作成を必要最小限にする事で浮いた時間と体力を、マニュアルの理解にできるだけ投入しましょう。

マニュアルを深く理解する事で、本社が店舗に何を要求していかを理解し、日々のレポートを無難にこなす店長になる事が、新人君の最初の数年間の課題です。

 

ステップ2:統治力をつける
企業内の組織には目的があり、何らかの成果を要求されます。ステップ1で管理力の話しをしましたが、管理力というのはある意味で結果を管理する為の消極的な能力です。実際の業務では、あなたが組織の長になった場合、本社が求める管理手段の範囲内で、自分の配下の人を効率的に動かして、課された目的を期限内に効果的に達成する為の積極的な「人的影響力」が必要です。これを企業におけるリーダーの統治力と定義します。

典型的な大企業サラリーマン組織は、根回しや合意形成によるボトムアップ的な意思決定で運営されているようですが、ユニクロ型ブラック企業で本社を目指す人は、リーダーの自己責任で迅速に決断して組織を引っ張る統治力が重要です。その一方で、日本型民主主義労働環境に慣れ親しんだ配下のスタッフ達が「押し付けられてやらされている」という不快感を抱いて生産性が低下しないような配慮も必要です。

本社の課す目的を理解し、必要最低限の労力で組織を管理する「管理力」で店長までたどり着いたら、今度は統治力をつけて店舗の資源の効率を高め、優秀な店長になる事を目指します。

 

ステップ3:創意力をつける
管理力と統治力を高めて優秀な店長になっても、本社の幹部候補のポジションはまだ遠いままです。なぜなら、あなたはまだマニュアルの範囲内(本社幹部の想定内)にいるからです。サラリーマンとして逆説的かもしれませんが、ステップ3を実践するには、店長の権限を自己責任で意図的に逸脱し、マニュアルに書いてない事を実施する必要があります。

ステップ1でマニュアルの背後にある目的を深く理解する事が必要だと説きました。その成果をこのステップ3で使います。マニュアルの背後にある目的を理解しながら、マニュアルで指示されている具体的手段を改善し、あるいは新しい手段を作り出し、その効果を実績で証明する事で、あなたがマッキンゼー級に達した事を本社の幹部達に証明します。

そんな事が出来るのかと思うでしょうが、理屈の上では不可能ではありません。マニュアルが想定している前提条件は全国(あるいは一定のエリア)を平準化して作成されているので、店舗のある地域の固有条件とはかならずしも適合しない場合があります。そういう事項を見つけて、マニュアルの指示内容を地域の特殊性に適合させるかたちでカスタマイズし、成果を改善し、しかも本来の趣旨の範囲から逸脱していない事をレポートで理論的に示す事は十分に可能と考えます。このステップ3のレポート作成は、正念場ですからマッキンゼー級に負けない努力をつぎ込む必要があると思われます。

 

新卒で入社した人が、攻略法のステップ3をクリアするところまで達すれば、1つの企業という範囲内でマッキンゼー級能力を限定的に習得したと言えます。いち企業の経営者から見たその人の能力がマッキンゼー級と同じになったという事は、マニュアルに従う店長業務を行わせるよりも、マニュアルを作る側の本社へ異動させる方が、企業価値を高めるという目的において合理的です。

故に、これが新卒店長から本社へのキャリアパスを示す1つの攻略法です。

と同時に、その人のキャリアパスはその企業の本社に留まらず、あらゆるユニクロ型企業の幹部候補が射程距離に入ったという事でもあります。

 

参考資料:
1)マッキンゼー・アンド・カンパニー

Be the first to comment - What do you think?  Posted by bobby - 2013/03/17 at 19:47

Categories: ブログ評論, 2.科学技術   Tags:

ユニクロ・ワタミの攻略法(1)

生島勘富氏のブラック企業関連記事をたいへん興味深く記事をフォローしておりました。生島氏の意見は、大げさに表現すれば企業内労働の価値観にコペルニクス的転回をもたらすものであり、就活を行なっている大学生が就職戦略を練り直す為の新しい指針をもたらしてくれるでしょう。しかしながら来月からサラリーマンになる(或いは就職している)人たちは、自分の置かれた立場を認識できるだけであり、「どうすれば良いか」という具体的な展望が良く見えません。そこで、大卒で店長候補になった諸君の為の攻略法を考えてみました。

まずは生島氏の関連4記事を要約しながら、新しい労働価値観を復習しましょう。

1)ブラック企業のすすめ
労働基準法が保護の対象としている「置き換え可能な労働者」の未来は、機械に置き換わるか海外流出するかアジアの人件費に収斂してゆく。「置き換え不能」な企業はみなブラック化せざるを得ない。ブラック系企業でやってゆく秘訣は「やらされている」と思わない事である。

2)ブラック企業のすすめ – 就活生に向けて
企業が欲しいのはあなたの時間でなく成果である。成果は人によりばらつきがある。2:8の法則(パレートの法則*1)によれば、全社員の8割が、成果を出す誰かから搾取している。入社して数年は、「創業者から今に至る先輩諸氏が、営々と築いてきた利益を搾取している」という事を理解していれば、就活生や新入社員が、自分が搾取されていると心配する必要はない。

3)ブラック企業のすすめ – やりがい搾取
成果に対して報酬が少ない事を搾取というのだとすれば、本田由紀氏の主張する「やりがい搾取」という言葉は意味不明。恐らくは「成果を出す誰か」から搾取している8割の人の主張ではないか。だとすれば、8割の人に「やりがい」を与えようとするのは、「もうちょっと頑張れよ!」という事をマイルドに表現した当たり前の教育。そして、「搾取されている」と思ってストレスを溜めるより、「やりがい」を感じてストレスを減らす方が健康的。

4)日本に生まれたことは能力じゃない
同じ労働で、同じ成果を出せば、労働報酬も同じはずだとすれば、日本人だから途上国より高い賃金だというのは如何なものか。日本人が途上国より高い賃金を得ているのは途上国を搾取しているから。しかも、この幸運は長く続かない。これからは純粋な能力で優劣が決まる時代になるのだから、「ブラック企業かどうか」ではなく、「入社して自分の能力が上がるかどうか」で選ぶべき。

5)ワタミからブラック企業を考える
シバキ体質は自分でつくった限界を超えさせて短期間に成長させる為。肉体的、精神的なタフさは新人時代の最初に課せられる一番小さなハードルに過ぎず、ワタミの経営を見ると精神論とは全く逆で、超が付くほどの合理主義。どんな大企業でも「若者の一生を保証できる」と言い切れない時代、他所で使えないしがみつくスキルしか身につかない大企業の方が若者を「使い捨てにしている」と言える。何処を志望しても問題ないが、「入って何をしたい」という目標だけは明確に持つべき。

 

要約すると、新入社員のあなたは搾取する8割の側から出発します。そこから成果を出す2割へ到達する為には、「やらされている」という感情から脱して積極的に仕事へ取り組み、仕事を好きになるように努力し、純粋な能力を高めて成長しましょう、という事です。

自分をプッシュする精神力を養い、長時間労働に耐える体力を身に付けたとして、「優秀な店長」に留まらず、その先へ昇進する為にはどうすれば良いのでしょうか。

この続きはユニクロ・ワタミの攻略法(2)へ続きます。

 

参考資料:
1)パレートの法則

Be the first to comment - What do you think?  Posted by bobby - at 19:46

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大学が有能な人材を輩出する方法

大学教員の10人に6人が、学生の学力低下を問題視しているそうです。(*1)アゴラの辻元氏は、今の大学生に足りないのは主体的に考える能力であり、マニュアルの無い事が苦手なのだと指摘しています。(*2)この問題を教育論的な視点ではなく、統計的な視点から考えてみたいと思います。

私は最初、この問題は単純に小中高校の教育方法の問題であろうと考えました。しかし、調べてみるとそうではない事がわかります。詰込教育の弊害、ゆとり教育の弊害などの教育論を持ち出す人がいますが、実はトップ学力の生徒達の能力が「それほど」変化していない事は、OECDのPISA調査(*3)および国際数学・理科教育調査(*4)をみれば明白です。日本の順位は上下していますが、10位以下の圏外へ落ちるというような明白な落差はありません。人間の能力というものは、たとえばサッカーのトップ選手をみれば明白で、香川真司や柿谷曜一朗のような選手が毎年平均的に出てくる訳ではありません。

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また、ゆとり教育の一環として導入された「総合的な学習の時間」というカリキュラムは、生徒が自発的に考える能力を開発する事を目的としているようです。(*5)であるにも関わらず、大学生の「主体的に考える能力」が低下という現象が本当に見られるするならば、それは教育方法の改善では対応できない問題と言えるのかもしれません。

トップ学力の生徒達の能力に大きな変化はないが、全体としての学力が低下している理由として、他にどのような事が考えられるのでしょうか。実はネット上を調べていて、興味深い資料を見つけました。

まず、世界の国での大学進学率のグラフ(*6)をご覧ください。日本の大学進学率は先進国あるいはOECD平均と比べてもそれほど高くありません。

スクリーンショット 2013-02-17 8.58.16 AM

日本の大学進学率は、国際的にみればそれほど高い訳ではありません。大学生の学力低下の議論の一つに、大学が多すぎるというものがあります。(*7)これが「正解」となる為には、世界的に見て、進学率の増大と大学生の学力の低下に明白な因果関係が必要であると思われます。しかし、進学率が日本より高い韓国は、国際数学・理科教育調査(*4)の直近2回のランキングで1位となっており、必ずしも因果関係があるとは言えないようです。(この件は興味深い話題であるので、いつか別の機会に掘り下げたいと思います。)

次に、日本の大学進学率と18歳以下の人口推移を並べたグラフをご覧ください。(*8)大学進学率は1990年(平成2年)前後で少し凹みますが、そこから増大し続けています。一方で18歳以下の人口は同じ時期を境に減り続けている事がわかります。つまり、大学進学者は増大する一方で、受験生の年齢層の人口は減り続けています。
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最後に大学進学者数の比較イメージの図をご覧ください。(*9)1993年の19歳から22歳人口は816万人、その中で大学生数は240万人。大学生と同年代の人口に占める大学生数は約25%。ところが2009年になると、19歳から22歳人口は513万人に減少し、大学生と同年代の人口に占める大学生数は約50%になっています。人口減少と進学率増大は継続していますので、2013年現在、大学生と同年代の人口に占める大学生数は約50%を超えているでしょう。
スクリーンショット 2013-02-17 9.00.43 AM

私はこのグラフを見て、下記の正規分布図を思い出しました。(*10)いつの時代にも優秀な生徒・学生は一定のパーセント数いるが、その絶対数は母数の大きさに比例して増減します。そして、生徒・学生の能力は、分布図の左側へ行くほど減少します。

スクリーンショット 2013-02-17 11.33.34 AM

1993年には、トップから25%までの能力の人達が大学進学していたのに対して、2009年ではトップから50%までの能力の人が大学進学しています。ならば大学生の平均学力が低下すると考えるのは、統計的に見て合理的です。

また、大学生の進学率が大学の収容人員の増大ではなく、大学数の増大で吸収されており、すべての優秀な大学生が東大を目指す訳ではない事を考えれば、優秀な学生は一つの大学に集まるより多くの大学へ分散する傾向があると考える事もできます。(下図は*9より)

スクリーンショット 2013-02-17 9.01.32 AM

 

これまでの話しをまとめると、大学生の学力が(主体的に考える能力も含めて)過去との比較で相対的に低下している事が正しい場合、その理由として考えられる事は、小中高校の教育方法の悪化、大学の質低下は(あったとしても)大きな要因ではなく、主な原因は単純に、受験生世代の人口減少と進学率増大が同時に進んだ結果、正規分布図における「より能力の低い受験生」が大量に大学生になっているからだと考える事が合理的であると考えます。

ここまで話しが進めば、大学が有能な人材(大学の本質は勉強と研究であるので、ここでは成績が優秀な人材=有能な人材と定義します)を以前のレベルで排出できるようにする為の方法は単純で、

1)大学数を減らして、1つの大学に、より多くの数の優秀な学生が集まるようにする。

2)大学進学率を25%(あるいはもっと少ない%)にする。

この2つの教育政策を同時に行う事で、少数の優秀な大学により多くの優秀な学生が集まるようになり、それ以外の大学の学生もそれなりにレベルアップする事ができるようになるでしょう。

受験生世代の人口減少が続き、進学率は50%より増大、という条件をキープしながら大学生の学力アップを行うというのは、政治家のお題目としては聞こえ良いし、理論的には可能かもしれないが、現実に日本で行う事は困難であろうと考えます。大学生全体の学力を改善する為には、全国津々浦々の学校の受験生達全員がレベルアップしなければなりません。大都市に居住する高校生のレベルアップというのは、ある意味でそれほど難しくないと思われますが、地方の高校生の平均学力レベルを都市部と同等に引き上げるのは、そんなに簡単ではないと思います。高校生の学力アップのモチベーションは大学受験ですが、都市部と地方部では進学率に差があります。(*11)地方部の高校生全体の平均学力をアップするには、進学率もアップする必要があります。しかし地方部の高校生の進学率が都市部より低いのには、学力の問題の他に地理的な問題、経済的な問題などいろいろと絡んでおり、進学率を引き上げるのはなかなか難しいと思います。

そんな事が日本で可能なのかといえば、現実には無理ではないかと思いますが、さて、みなさんはどう考えられますか。

 

引用資料:

1)[調査]深刻な大学生の学力低下 教員の6割問題視 (ベネッセ)
2)大学が有能な人材を輩出するには (アゴラ)
3)図録学力の国際比較  (OECDのPISA調査)
4)国際数学・理科教育調査 (wiki)
5)総合的な学習の時間 (wiki)
6)世界の高等教育機関の学生数と大学進学率の増加 (文部科学省)
7)日本の大学は多すぎるのか? (独立行政法人労働政策研究・研修機構法)
8)大学・短期大学への進学率の推移 (文部科学省)
9)「なぜ大学進学率が50%を超えたのか? (小樽商科大学教育開発センター)
10)正規分布 (wiki)
11)学校基本調査 進学率に都市部と地方で明確な差 (全国私塾情報センター)

3 comments - What do you think?  Posted by bobby - 2013/02/17 at 14:07

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プロのボランティア募集って悪?

BLOGOSの議論板で知りましたが、大阪市天王寺区の区役所が無報酬(つまりボランティア)の広報デザイナーを募集したところ、「報酬なしって世の中舐めてるだろ」「デザイナーなんぞ皆死んでしまえ、という意図にしか読めません」(こちらを参照されたし)といった批判が来て、区役所が謝罪したとの事です。

この件について、まず私の意見を言えば、区民に奉仕する区役所という公益組織の為に、特定の技能を持つ人が積極的に役務を提供する事は、良いことだと思います。このような募集に呼応して、区民の中からボランティアが出れば、区民による区民の為のという辻褄が合って理想的だったのではないでしょうか。同時に、ボランティアの役務によって区の予算を削減でき、削減した分の予算をより必要な箇所へ有益に使う事ができるのであれば更に素晴らしいと言えます。天王寺区役所で、今回の件を企画した人はこのようなストーリーをある程度考えていたのではないでしょうか。

また、本件でふじいりょうという方がプロの立場から(こちらのように)批判しておられます。言っている事はプロとしてもっともだと思いますが、ちょっと建前論過ぎるのではないという印象を受けました。たとえばふじいさんの会社が天王寺区の中にあり、経営に余裕があれば、会社の利益を区民へ還元する試みとして捉える事はできたと思います。

もう一つ、既に経営が起動に乗っているデザイナー(会社)は別として、売り出し中の若手プロデザイナーとか、プロを目指すセミプロや学生が「箔」を付ける為に、この企画を「踏み台」として利用する事はアリだと思います。肝心な事は、参加したい人が居たとして、提供する役務と、踏み台としての価値が釣り合っているかどうかに、自分で納得できるかどうかです。

今回の件で残念に感じたのは、区役所が謝罪した事です。募集要項を内容変更して継続しており、変更前と変更後の内容を併記させているという事は、区役所としては「本心」では間違っていたと思っていないのでしょう。ならば尚更、区民の為という信念があり、それなりに考えて發表したのであれば、法的な問題などの見落としが無い限り、むやみに謝罪などせずに「突っ張った」方が良かったのではないかと思います。

2 comments - What do you think?  Posted by bobby - 2013/02/11 at 16:14

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原発再稼働の条件

3・11の後、日本のすべての原発が法的根拠もなく、菅直人(元)首相のおかげで停止させられました。その彼が、きょうはこんな事を言っています。この人のおかげで、日本は電力が足らなくなり、大量の化石燃料を追加で輸入出ざるを得なくなり、日本の衰退がスピードアップしています。もういい加減にしてほしいと思っています。

人間というのは感情に動かされる生き物です。だからこそ、重要な判断は合理的でありたいと考えています。怖いとか不安というのは、気持ちとしては分かりますが、それで国全体の進路を曲げても良いとは思いません。分からないから不安なら、分かるようにすれば良いのです。

たとえ直下型の地震が来ても、原発は地震初期の振動を検知して自動で安全装置が働きます。3・11の時にも制御棒はちゃんと挿入されて核分裂連鎖反応は止まりました。だからそこのところは問題ありません。問題なのはその後です。

核分裂連鎖反応は停止しても、燃料棒はその瞬間から冷える訳ではありません。燃料棒はまだかなりの熱源(放射性同位体)を含んでいて、大量の崩壊熱を発していますので、継続的な冷却が必要です。3・11では全電源喪失でメインの冷却装置が機能停止してメルトスルーの結果を招きました。ならば全電源喪失しても非常用冷却機能がきちんと機能して、メルトスルーを防ぐ事を証明すれば良い訳です。証明の仕方は2つあります。

1)実際の原発で全電源喪失させて、非常用冷却装置だけでメルトスルーが防げる事を証明する。
2)スパコンで上記1の精密なシミュレーションを行なって証明する。

実機でテストする時の問題は、炉内の圧力を下げる為にベント(炉内の放射能汚染した水蒸気を外へ放出)して減圧しなければならない事です。ベントだけで大きな放射能汚染が発生するとは思いませんが、これは政治的にはクリアするのが難しいでしょう。

そこで日本が世界に誇るスパコンを使い、実機での(ベントしない程度の)テストも行なって、できるだけ精密なシミュレーションを行なって、全電源喪失しても非常用冷却装置がきちんと作動する事を証明すれば良いのです。

逆に、このシミュレーションで駄目な原発は、それを理由に廃炉と決めれば良いのです。

如何でしょうか。

5 comments - What do you think?  Posted by bobby - 2013/02/03 at 21:40

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電機メーカーがオワコン

表題は撒き餌です。電機メーカーと書きましたが、これからDISるのは液晶やプラズマの大型テレビを製造している日本国内の大手メーカーです。以前に、ゾンビ企業は間引くベシとか、電気メーカーの生存条件などという記事を書きましたが、ひとつ大事な事を書き忘れていましたので、同じネタで恐縮ですが続きを書きます。

日本の国内には、テレビ製造の事業部を持っているグローバル・クラスの大企業が最低5社あって、常に激しく価格競争をしています。1つの国で地元の大手ブランドがこんなに沢山ある地域は他にありません(中国を除く)。市場での競争は短期間で価格競争になってしまうので、せっかく開発した付加価値の高い商品でも、高収益の期間を長く維持するのが難しく、大企業といえども体力を削っている状況となっています。

ところで北米やEUでは、サムソンやソニーのような外国メーカーも地元ブランドとある程度同じ条件で市場競争ができますが、日本の国内テレビ市場は、B-CASという非関税障壁の超高いハードルがあるので、韓国や台湾や中国の大手メーカーが日本の国内市場へ殴りこみをかける事がとてもむずかしくなっています。北米やEUでは、韓国や台湾や中国や日本のメーカーによる「安くて高品質」なテレビが地元メーカーを圧倒する事ができるのですが、日本の国内テレビ市場は、B-CASカードのおかげで外国メーカーの市場侵略を免れているのです。

つまり、日本のテレビメーカーが安値で体力を削ってしまったのは、ひたすら、国内企業どうしの削り合いの結果に他ならないという事です。

前の記事でも書きましたが、テレビにしろパソコンにしろ、日本には大手メーカーが「多すぎ」るので価格競争が常に激化するという宿命を負っています。これはもちろん、ユーザーの視点では良い事なのですが、労働者の雇用という視点からはきわめて不都合であると言えます。

雇用という視点から見た場合、こんなに沢山の大手企業が1つの市場に存在する状況は、なんとかならないものでしょうか。っていうか、B-CASがダメダメだっていう議論はどこへ沈んでしまったのでしょうか。

Be the first to comment - What do you think?  Posted by bobby - at 02:16

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4Kテレビを違う視点からDISってみる

4Kテレビ批判の火付け役となったのは山田肇氏の「4Kテレビは失敗する」。これに、下記の論客が火に油を注ぎました。まずは4K肯定派の意見を紹介します。

 

1)西和彦氏の「4Kテレビは安くなる。そして売れる

  • 2Kテレビの技術を流用できるのですぐに安くなる。
  • 2K放送を見るのに最適なのは4Kテレビである。
  • 4Kの綺麗な色に慣れたら2Kには戻れない。

 

2)うさみのりや氏の「何でも否定すればいいってもんじゃねーんだよ

  • 産業用途にはニーズがある。

 

3)やまもといちろう氏「4Kテレビを無関係な方向からDISって壮絶に突っ込まれる

  • 4Kは世界の趨勢。

 

4)青山友紀氏の「4Kテレビには未来がある

  • 家庭内で映画館のような大型高精細画面はニーズがある。

 

次に、4K否定派の意見を照会します。

 

5)大西宏氏の「画質がよくなることだけではテレビの需要は増えない

  • テレビの機能や性能は成熟してコモディティー化している。

 

6)永江一石氏の「4Kテレビは家庭用には売れないに一票

  • テレビ自体がオワコンだから。(オワコンの意味はこちらを参照)

 

BLOGOSの4K特集ページをもとに、現在までの記事を上記のようにまとめてみました。各氏の意見を私の独断で箇条書きに圧縮しましたので、論点は非常に見えやすくなったと思います。さて、どちらかというと4K応援団の方が数の上では優勢のようですが、肯定派・否定派ともに、正面からとらえた場合の論点はほぼ出尽くした感があります。

そこで、記事の表題通り、ちょっと違う観点から4KテレビをDISって見たいと思います。

肯定派の複数の方が、4Kテレビが安くなれば普及すると述べておられます。では、いまの2Kテレビの普及に伴う低価格化よって、日本の電機業界(特にパナとシャープ)がどのような状況になったかを考えてみましょう。政府がエコポイントで支援した結果、店頭売価がどんどん安くなりました。

国内にはグローバルに勝負できる規模の電機メーカーが少なくとも5社もあります。ちょうと1月前に「ゾンビ起業は間引くベシ」で書いたように、国内市場が盛り上がれば盛り上がる程、大企業間での価格競争が激しくなります。短期勝負になるので、大量販売にキャッチアップする為に生産ラインをどんどん増やさざるを得ません。そして、ある時点で4K市場が飽和点に達すると、急に売れなくなります。たちまち事業の収益が悪化して、企業は体力が削られてしまうというシナリオが再現される可能性が高いと見ています。

しかも、他の方も述べているように、国内では4Kテレビの主な客層である地方の老人の絶対数は減少してゆくので、4Kテレビの客層の母数は2Kテレビよりずっと少ないのではないかと見ています。

そいいう見通しのもと、日本の電機メーカーは自爆リスクの高い4Kに邁進するべきではないと考えます。

6 comments - What do you think?  Posted by bobby - 2013/02/02 at 12:11

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ノマド経営者っていう記事が少ない件

さいきんノマドっていう言葉をネット上でよく見かけるようになりました。ノマドとは遊牧民を指す言葉だったようですが、最近は在宅あるいは特定のオフィスを持たない個人企業型の就労形態の事を指して使われているような感じがします。しかし遊牧民というのは、ある意味、季節により同じ場所をぐるぐる回るという固定パターンをもっている筈なので、現在のノマドワーカーが真にノマドなのかという疑問があります。

私はIT企業の経営者(共同経営)ですが、事業やっている会社や事務所が香港、深圳、東莞、セブにあり、必要に応じて週に数回から数年に1回の頻度で、ぐるぐる回りながら仕事をしています。これって実はノマドじゃねっ?と常々感じておりました。ノマド経営者って、自営業者の柔軟さとサラリーマンの安定性と経営者の社会的地位の良いとこ取りしたような感じです。

ノマドワーキングを絶賛するイケダハヤト氏は、ノマドワーキングの許容は日本社会を豊かにするで下記のようなメリットを列挙しておられますが、実はノマド経営者は下記のメリットを全て受ける事ができる上に、企業の業績に応じて高収入を得る事ができ、故に生活を高いレベルで安定させる事ができ、経営能力次第で自分の好きな事を仕事のネタにして、人生をより楽しくエキサイティングにする事ができます。

  • 親子の時間が増える
  • 生産性が向上する
  • 満員電車が軽減される
  • 働けない人も働けるように

ノマド経営の良い面を述べました。では、どうすればノマドワーカーからノマド経営者にアップグレードする事ができるのでしょうか。その辺の事について、簡単にまとめてみます。

1)最低限の生活を担保する事業をまず安定させる。

優先順位はノマドではなくて生活の安定です。しかしサラリーマンでは永久にノマド化できないので、独立して個人事業主になるとか、友達集めて起業するとか、自分で自分の生活費をかせげる主体的な事業形態であるべきです。その際に、事務所の有無は重要ではありません。事業形態や集まった人達の状況に応じて決めれば良いと思います。もちろん、固定した事務所なしで事業ができれば、月次の損益を黒字化するのが容易になる事は言うまでも有りません。

2)一点成長ではなく複数成長路線。

生活が安定してきたら事業拡大を考えますが、現在の地域での事業を大きくするのではなく、営業する地域を広げる方向で事業拡大に努力します。たとえば東京で事業開始したら、次は仙台とか大阪とか、離れた場所へ新しい拠点をつくり、2つの場所を行き来しながら両方の事業拡大と利益の増大を図ります。こうして、自分の能力に見合う規模まで拠点を作る事で、経営者としていろんな都市をノマドのようにぐるぐるまわりながら仕事をする事ができます。

3)拠点毎に責任者を育てる。

ノマド経営の基本は、自分がその仕事に必須の人材でなくても良い状況を作り出し、可能な限り緩やかな経営を行う事を基本ポリシーとして組織作りを行います。なぜかといえば、必須の経営者になると、ノマドじゃなくて、ただの忙しい経営者になってしまうからです。ノマドというからには、なるべく時間に余裕があり、お客や社員や経営上の都合ではなく、自分の都合で動きまわれるようである事が望ましいからです。また、そうである事で、自分のノマド経営を余裕をもって楽しむ事ができます。

4)どんな業種が向いているか。

これはなんとも言えません。上記の例はいろんな業種に適応可能だと思います。ちなみに、私の知っている範囲で、私以外にも、いかにもノマド経営者だなっていう実例となる知人が何人かおります。具体的には、ウェブ開発企業の社長さん(東京と大阪とシンガポールを行ったり来たり)、投資企業の経営パートナー(日本各地と中国各地をぐるぐるまわり週末はマカオの自宅へ帰る)などです。重要なのはどんな業種の仕事をするかではなくて、どんな経営スタイルで仕事をするか、ではないでしょうか。

ノマドワーカーの記事は多いですが、ぜひノマド経営者へのアップグレードを目指して頂きたいと願うものです。ちなみに、ノマドワーキングの事を書いているイケダハヤト氏は、ノマド経営者ですよね、すでに。

Be the first to comment - What do you think?  Posted by bobby - 2013/01/28 at 00:29

Categories: ブログ評論, 1.政治・経済   Tags:

イルカ問題もかく議論されるべし

さっき中絶問題はかく議論されるべしという記事を書きましたが、知性を持つ動物、たとえばある種のイルカやクジラなどの動物についてもまったく同じであると考えています。どういう事かといえば、知性を持つと思われる動物に対して、人間がどのように対する(漁をして食べる、害獣として殺す、積極的に保護する、積極的な無干渉とする)べきかという議論は、

「人類社会をより良くする、より繁栄させるという大前提に立って議論を出発させるべき」

という大前提のもとで行うべきであるという事です。地球上の人類というフレームワークの中では、人類の社会がより幸福により繁栄するという目的の為の議論こそが有用であり、そこから外れた、イルカやクジラそれ自体の権利を主張する事は、まったく人類の為にならない不毛な議論となるだけです。

日本人はクジラやイルカを殺して食べます。人間も自然の一部と考えれば(実際にそうなのですが)、知性の有無と生存の為の殺生は別の事と考える事は合理的です。

ならば人類の為に知性ある他の動物はどうなっても良いという事かといえば、そうではありません。人類が人類以外の低級の知的動物(バンドウイルカ、チンパンジ、犬、馬など)に一定の権利を認める事は、人類がより高次の倫理観に達するという事であり、それは人類社会にとってより長期的な繁栄の根拠となり得ます。

このように考える事で、他の知的動物との共存という課題を克服する事が可能だと考えます。

Be the first to comment - What do you think?  Posted by bobby - 2013/01/27 at 22:07

Categories: ブログ評論, 2.科学技術   Tags:

やまもといちろう氏も木から落ちる

先週のBLOGOSで、一番印象に残ったのはやまもといちろう氏とイケダハヤト氏のブログバトルです。なぜ強く印象に残ったかといえば、普段は大人しい(ように見える)イケダハヤト氏が、隠し持ったキバを突如剥きだして、あまりにも見事な一刀両断にやまもといちろう氏を真っ二つにしたその技に目を見張ったからでした。リンクを張ったので、ご存じない方はぜひ下記記事に目を通してください。

イケダハヤト師型炎上をどう表現するべきか?

V.S.

「人を笑い者にする」天才、やまもといちろう氏

言ってみれば、イケダハヤト氏の実力を見誤った(甘く見た)やまもと氏が、ネタ切れを凌ぐための「閑話休題ネタ」なのか、毒のない無害なネタ記事を供給し続けるイケダ氏を笑い者にする記事ミサイルを発射してしまいました。笑ってゆるしてもらえるか、そのままスルーされると思っていたのでしょうか。しかし、そういう訳には行きませんでした。

イケダハヤト氏にしてみれば、国交の無い遠い国から、宣戦布告も無しに突然ICBMが飛んできたような、そんな感じだったのではないでしょうか。心に湧き上がる怒りを押さえながら、筋を通しながら、なおかつ重たくならない軽快な文章で、あまりにも見事なクロスカウンターが炸裂。いや、やまもと氏がICBMなら、イケダハヤト氏のはさしずめザフト軍のジェネシス級のガンマ線レーザー砲が天(軌道上)から降ってきた感じです。

典型的なやぶ蛇状態。しかも筋論で反論するイケダハヤト氏の記事に一言も反論できず、やまもと氏はあたまを抱えてもんどり打った事でしょう。愚かな記事を書いた事を後悔して、しばし自己嫌悪に陥った後、全てを忘却のゴミ箱へ放り込んで蓋をして、なかった事にしてしまったようです。というのも、対反論ミサイルへの反論がいつまでたっても発射されなかったからです。

ネットイナゴ(私も含む)はきっと、固唾を飲んで期待していたのに。

まあ、人生には「やっちまった」と後悔するような記事をつい書いてしまう事が一度や二度はあります。私も以前に、穴があったら入りたいようなiPhoneの記事を書いてしまった事がありました。そういう時には潔く(記事のコメント欄で)誤って、(こっそり)反省して気持ちを切り替えるのが一番です。

ちなみに私は、お二人のブログをファンとして愛読しています。今後とも、お二人のネット上での活躍を願っております。

Be the first to comment - What do you think?  Posted by bobby - at 21:22

Categories: ブログ評論, 釣りネタ   Tags:

長時間保育の功罪

(本)長田安司「『便利な』保育園が奪う本当はもっと大切なもの」が、長時間保育は母親と子供の時間を奪っていると問題提起し、親や保育施設の問題よりも、母親が長時間働かざるをえない労働環境を維持している企業の経営者の問題だという結論で記事を結んでいます。なるほどそう言うか、という感じです。長時間保育で育った「もと」子供として、ハウスメイドに託して共働きしながら子育てした親として、そして子を持つ母親を雇用する企業の経営者として、この記事になにか反論してみたくなったので、つらつらと書いてみます。

日本国は憲法に国民に労働を権利としてだけでなく義務としても課しています。たとえ母親だけの家庭でも、五体満足でそこそこ健康なら、労働の収入により給料を得て生活する事を大前提としています。ならば憲法で保証された労働の権利を行使し、より良い経済状態を得る為に必要とあらば、親が幼児や子供を保育施設へ長時間預ける事は「必要悪」として社会から認知されるべきです。

その為には、保育施設にいる子供が1歳の幼児で、39度の熱があっても、親が会社を早退できない事情があれば、すぐに迎えに行かない事を選択する事は十分にあり得ます。定時に帰れなくて、残業の為に保育時間を延長するかもしれません。そんな母親を責めるべきではないし、保育施設も病気の子供を親に無理やり突き返すべきではありません。子供が病気になるのは「当たり前」の事ですから、保育施設はそれを前提として営業するべきです。保育施設は業者としての責任の範囲で子供をフォローし、それでも何かあった時には預けた親が責任を取る(結果を受け入れる)ようにすれば良いだけです。

労働の権利と義務を親にまっとうさせようとすれば、そういう保育施設がたくさん必要になるのは当然といえます。

では、子育てしている親(特に母親)を受け入れている企業の経営者はどのようにすればよいでしょうか。時短とか在宅勤務とか育児休業をもっと普及させろという事でしょうか。それには2つの事を検討しなければいけないと考えます。

1)企業が雇用者の時短や育児休業に絶えられる経営状況か?

2)在宅勤務や育児休業は日本の文化として受け入れられ根付くのか?

経営状況が耐えられるかという事について言えば、雇用者の給料を払う為に銀行から借金ができる大企業を別にすれば、多くの中小企業では、時短や育児休暇をやるのは厳しいでしょう。一人のフルタイム雇用者は、中小企業では広範囲の業務をフォローしており、時短にすれば中途半端な仕事しかできないので、仕事のコストが増大して採算が悪化します。給料はらって仕事の対価が長期間得られない育児休暇などは「論外」です。それでも法律で強制すれば、多くの女性をクビにせざるを得ないでしょう。典型的な制度設計のミスといえます。

文化的に根付くかについても懐疑的です。アジアの中で、日本・中国・韓国・台湾の4カ国は、中国の古い文化の影響を強く受けており、育児や家事が母親の仕事、顔を合わせて仕事するというのは、その文化的影響の中の一つです。都合の良いとこだけを切り取って残し、都合の悪いところだけ変えようとするのは、それこそご都合主義というものでしょう。

百歩譲って文化が根付くという前提があったとしても、政府の借金が1000兆円というご時世に、親が3歳まで家で育児できるように、中小零細企業を税金で支援しろというのは机上の空論のような現実味の乏しい意見ではないでしょうか。第一、従業員の中に子育てしている母親がいるかどうか、税金で支援するべきかどうかを政府が識別する効果的な方法はありません。そうすると、結局は無差別的なバラマキになり、育児している働く母親まで十分な支援が届きません。それよりは長時間保育施設を税金で支援して経営を容易にした方が、育児する母親の就業をピンポイントで支援する事ができます。

Be the first to comment - What do you think?  Posted by bobby - at 20:41

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人工中絶はかく議論されるべし

受精した卵子は、いつ人間になるのでしょうか。受精した瞬間でしょうか、数週間、数ヶ月後でしょうか。胎児はだんだん人間になってゆくのか、ある瞬間に器である肉体に外から来た魂がスッと宿って人間になるのでしょうか。これは生物学的にも哲学的にも非常に興味深い課題です。北村隆司氏が「人工中絶のあり方を議論すべし」と言っていますが、人類社会という価値観のフレームワークの中の議論としては、ここを外したら不毛となるという明白な大前提があると考えます。

それは何かといえば、人類社会をより良くする、より繁栄させるという大前提に立って議論を出発させるべきであるという事です。

受精した卵子がいつ人間になるのかを、人間が科学的に証明する事はほぼ不可能でしょう。その為には、人間の魂の有無や魂とはなんぞやというところを証明しなければいけないからです。その一方で、社会の秩序を保つ為には、一定の範囲内での中絶を必要悪として許容する事が求められます。

北米ではキリスト教価値観から人工中絶を悪として排除すべしという意見がありますが、日本は仏教「的」な倫理観により受胎後の生命を曖昧化する事で、一定の範囲において中絶を容認しています。しかし、倫理観はあいまい許容するが故に、人工中絶は殺人ではないかというジレンマに苦しむ事にもなります。

では、どうすれば良いのか。

まず、言える事は、「中絶された命」という視点で議論を始める事は、なにも生まず、なにも助けず、不毛です。死者の人権を残された人間と切り離して議論するが、どれほど不毛かというのと同じ事です。そういう議論は、哲学者と宗教学者と法律学者が自分たちのグループの中だけで知識を追求する為だけに行えば良い事です。

我々が社会というフレームワークの中で議論する時には、人工中絶を行う事が、残された親、家族、社会にどれだけメリットをもたらしたか。胎児を人間と認め、人工中絶を必要悪と認めて、親と社会がそれを減らす努力をする事が、社会の安定性にどれだけ寄与し、長期的な繁栄をもたらすかという建設的な視点で議論をするべきだという事です。

1 comment - What do you think?  Posted by bobby - at 17:13

Categories: ブログ評論, 1.政治・経済, 医療   Tags:

日本の学校って軍隊教育?

記事の表題はもちろん撒き餌ですが、欧米式のインター校を見ていると、そう感じてしまうところが多々あります。ちょうどいま、息子が通う香港のインター校のスポーツデイ(運動会)の会場となっている私営運動場のスタンドからこの記事を書いています。日本の学校(特に公立の小中高)は、どちらかといえば左寄りの方が多いのかと思われ、こんな記事をみたらびっくりして反発されるかもしれませんが、ちょっと辛抱して記事の続きを読んで頂けないでしょうか。

日本は学校側が生徒に対して、授業や行事に規律のとれた団体行動を比較的強く求める傾向があると思います。たとえば授業の開始に起立・礼とやったり(もしかしてそんな学校は減っているのかもしれませんが)、中高生に詰め襟の入った軍隊のような制服を着せたり(黒い制服もだんだん減っているのでしょうね)というのは比較的わかりやすい例です。こういう行為は軍隊を連想するので嫌がる先生がいるのではないかと思います。

ところがそういう先生方でも、指摘されるまでわからないのが、下記のような例です。

1)大勢が整列し、行進曲に手足の動きを揃えて歩く入場行進。

2)大勢が傘などを持って行う演技。(一例

3)大勢が一斉に動きを揃えて行うピラミッドや組体操。(一例

大勢の生徒が同じタイミングできれいな動きを見せる事を、日本の学校では、生徒と担任教師が一緒になって熱心に練習するのではないでしょうか。ところがよく考えてみると、手足をピシっとそろえた行進というのは軍隊行進です。また、集団で演技、ピラミット、組体操などは、中国共産党や北朝鮮が国家行事の出し物でやるマスゲームを非常に強く連想させます。(私はそのものだと思っております)私は軍隊式の教育が悪いと言っているのではありません。日本の(特に公立校の)教育はそのように見えると指摘しているだけです。

私の息子は幼稚園と小学校は北米カナダ式、中学からは英国式のインター校へ通っています。私はこれまで息子の学校行事に「そこそこ」参加してきましたが、体育イベントであれ文化イベントであれアウトドア・イベントであれ、教師は行事の大枠と進行を管理しますが、基本は生徒の主体的行為に任されているようです。主体的行為というのは、たとえば生徒会が生徒の行動を自主的に管理して規律のとれた団体行動をさせるという意味ではありません。私の経験したインター校の行事では、率直に言って、入場行進もマスゲームもありません。団体演技がないので、運動会の為の練習時間というのもほとんどありません。それだけではなく、進行中のプログラムと関係ない生徒は、邪魔しないようにしながらも、生徒の待機場所だけでなく、グランドの中でも自由に時間を過ごしています。

この違いは「規律」という言葉が鍵になるのかもしれません。

日本語の「規律」は、秩序という意味合いが強いようです。教育の場で秩序を守る事を教えるという意味で、行進やマスゲームが導入されているのかもしれません。ところが規律の英語の意味である「Discipline」は鍛錬・統制という意味が強いようです。柔軟な思考や主体的なリーダーシップを身につけさせる事を目標としている英米のインター校では、教師が介入して鍛錬や統制の練習は必要最小限にしたいと考えているのかもしれません。

私は、日本の教育は軍隊みたいで駄目だと言いたい訳ではありません。ただ、多くの小中高の多くの教師が、運動会ともなれば生徒と一緒に行進やマスゲームを熱心に練習しているが、実はそれが軍隊式であるという事を自覚しているのか、あるいは無自覚にやっているのかという事にたいへん興味があります。

Be the first to comment - What do you think?  Posted by bobby - 2013/01/15 at 17:40

Categories: ブログ評論, 5.閑話休題, 海外子女教育   Tags:

そもそも論で考えてみれば

これでいいのか自衛隊が、BLOGOSに掲載されたのはチト驚きました。もとネタである数多氏は、戦車ネタと空母ネタは盛り上がりやすいとの事でしたが、この記事もそうなりそうな気配です。

実はうちの14歳の息子は陸上自衛隊に入隊するのが希望なんです。で、私の記事がBLOGOSに掲載された事を伝えると、「俺の就職の邪魔しないでね」とクギを刺されました。いやいや、陸自の中でもこういう事考えている人はいるそうだよと言ってお茶を濁すと、息子の最近の希望は戦車部隊配属なんだそうです。そういえばアニメとかでも戦車が人気なようですね。

戦車といえば数多氏の記事。敵が大挙して上陸してくる状況というのは、空自と海自が壊滅した後なので、10式だろうがなんだろうが、空から精密誘導爆弾くらって即全滅だよと言ったらがっかりしていました。気分を損ねたのか、息子が反撃してきて、「そもそも日本に大挙して上陸できる国ってあるの?」というので、私は即時反撃して、「そもそも論でいえば、中国やロシアがいまさら日本を攻撃する事なんてもうないだろうから、それを言ったら自衛隊そものが不要じゃん?」

まあ、それを言ったいろんな人が困るので、そこは大人の態度で呑み込んでみました。

 

Be the first to comment - What do you think?  Posted by bobby - 2013/01/13 at 22:33

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これでいいのか自衛隊

私はみんなの党の山内康一氏のブログのファンです。彼の記事は普通の政治家とはちょっと違った視点があり、価値観を感じる事ができるからです。その山内氏のブログで「自衛隊のバランスの悪さ」という記事を読みました。昨年の7月の事です。この記事を読んで、いつも自衛隊について違和感を感じている部分で、目からウロコが落ちた感じかしました。

なぜ自衛隊は、人数も予算も陸上自衛隊に大きく偏っているのでしょう。沖縄戦の悲劇は、国土で戦争をしたせいで起きました。国内で地上戦をやれば、大勢の国民が死んだり、大怪我をしたり、多数の悲劇が生じる事は誰にとっても明らかです。どこかの国の軍隊が日本へ攻めて来るのであれば、迎え撃つのは海岸線から外側の空と海であるべきです。ところが山内氏が記事中で紹介している資料では、下記のように陸上自衛隊の隊員の数が圧倒的に多くなっています。

●陸上自衛隊:15万1千人(0.62)
●海上自衛隊: 4万5千人(0.19)
●航空自衛隊: 4万7千人(0.19)

では他所の国の軍隊はどうなっているのでしょうか。やはり山内氏のブログ記事の資料を引用させて頂き、自衛隊と他所の国の軍隊を比べてみると、

陸上自衛隊(0.62)、海上自衛隊(0.19)、航空自衛隊(0.19)
アメリカは陸軍(0.45)、海軍(0.29)、空軍(0.26)
イギリスは陸軍(0.55)、海軍(0.21)、空軍(0,24)
フランスは陸軍(0.55)、海軍(0.18)、空軍(0.26)
中国は陸軍(0.53)、海軍(0.21)、空軍(0.23)
ロシアは陸軍(0.57)、海軍(0.20)、空軍(0.23)

未だに連邦内で内戦の火種を抱える陸軍大国ロシアとくらべても、日本は陸自の比率が高くなっています。専守防衛思想でつくられた自衛隊で、陸上兵員の比率がこれだけ高いというのは、これはもう、はじめから国内の陸上で敵を迎え撃つ事を大前提とした戦略と疑われても仕方がないのではないでしょうか。

ところが昨日、更に興味深い記事がBLOGOSに掲載されました。元自衛官で数多久遠氏の戦車増強論者に提示する5つの命題という記事です。数多氏は、攻めてきた軍隊が海岸線から大挙して上陸準備をはじめ、それを陸上自衛隊が大勢で迎え撃つという状況は、航空自衛隊と海上自衛隊の守備力(空自の戦闘機、海自の戦闘艦、陸自の対艦ミサイル部隊)が沈黙した後に実現され得る状況だとの事です。

なるほど確かに、小規模の潜入工作部隊なら奇襲的上陸は可能でしょうが、敵の大部隊の本体が上陸用舟艇の大群で浜辺を目指してやってくる状況は、空自と海自が沈黙した後と考えるのが合理的です。陸上自衛隊の人数の比率が圧倒的に大きい理由が、この時に備える為であるとしたら、そもそも論的に、防衛に対する考え方が間違っているのではないでしょうか。空自の戦闘機が空を守ってくれなければ、海岸線近くに集結した味方の兵隊や戦闘車両は、湾岸戦争の時のイラク軍のように、空から狙い撃ちされて、たちまち消滅してしまうのではないでしょうか。攻めて来る敵にしてみれば、なにも陸兵には陸兵で正面から攻撃する必要など微塵もありません。

私は山内氏の考え方に賛成で、防衛というのは国民を戦争という悲劇から守るために行われるべきです。ならば自衛隊は本土の陸上ではなく、最後まで「空と海」を主な戦場にするべきであり、その為には陸自と空自・海自の比率を逆転させるくらいの予算にしてもかわまないのではないでしょうか。

最後まで海岸線から外側の陸と海を防衛の為の戦場とするのであれば、陸上自衛隊に十数万人の兵隊や何百両の戦車は不要であり、それよりも日本へ向かってくる敵の戦闘機や戦闘艦を、陸上から発射するミサイルなどで、遠距離からの攻撃する事を主目的とするような戦略へ転換するべきではないかと感じます。もちろん、有事に政府や重要施設を防衛したり、奇襲的な小中規模の上陸攻撃に迅速に対応できる少数精鋭の陸自戦闘部隊は必要だと思っています。

8 comments - What do you think?  Posted by bobby - at 16:56

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人口減少の特効薬

BLOGOSで「人口減少に歯止めをかけるには?」という議論板が立っています。そこでの議論の最中に、ネット上の資料を漁っていてたまたま見つけたのですが、国土交通省で総人口の長期的推移という資料(オリジナルはここをクリック)を見つけました。この図は西暦800年から2100年までのスパン(当然、推測値を含む)での総人口想定なのですが、興味深いのは現在を堺にして、人口が真っ逆さまに減少傾向を辿っているという事です。

 

 

 

下の図をご覧ください。総人口もそうですが、生産年齢人口も減り続けています。(もと記事はこちらを参照)要するに、日本は衰退期にはいったという感じでしょうか。人口というのは、たぶん、政府がなんとかしたから増えるようなものではないと思います。たとえば戦争や伝染病で何百万人とかが死ぬような危機的な状況が生じないと、人間の心理は容易に人口を増やすという方向へ転換しないのではないかと思われます。

 


人口の減少で困るのは、税収や年金の積立が減る事です。日本の労働生産性は、製造とサービス業ではかなり生産性が高いと思われますが(これはあくまで私の経験に基づく意見です)、経営職や中間管理職の生産性は、はっきり言って中国人の大企業の経営者や中間管理職に負けていると思っています。本来、日本のGDPを稼ぐところの大企業において経営職と管理職の生産性が悪い上に、労働人口が減少してしまっては、企業にGDPの嵩上げを望む事はできないのでしょうか?

企業の管理職と経営職の生産性を短期間で上げる事ができる方策があります。それは、企業の管理職や経営職へ女性をもっと登用するという事です。もっとという意味は、男女比で50%前後くらいという事です。

企業の生産性が非常に高い香港では、マネージャーの女性比率は半分弱くらいあります。我社のソフト部門のマネージャーも女性です。だいたい、新卒入社前の大学時代において、女性の成績は平均でも上位成績者でも(男女比を50:50に補正すると)女性が占める割合の方が高くなります。

来年に就職する女性に対して、企業はもっといろいろな機会を与えてみてはどうでしょうか。もちろん、結婚しても子供が生まれても働き続けられるような環境や待遇を用意する事が前提となります。そして、男女含めて全ての社員と管理職が普段は定時で帰れるような労働環境にする事も必要です。慢性残業というのは、もともと社員が足りていない証拠です。企業が雇用できる予算内で十分な社員が雇用できないというのであれば、それは経営職と管理職が十分な付加価値を生み出していないという証拠です。雇用予算が先か、付加価値を高めるのが先かというのは、鶏とタマゴの関係のようなものかもしれませんが、銀行から借金できる大企業であれば、十分な人数の社員を先に雇用して慢性残業を無くす事から始められます。借金できない中小企業は、既存社員の給与を下げてでも、十分な人数の社員をまずは雇用するべきです。

その上で、男性でも女性でも同じように働ける環境の下で、企業は女性の能力を十分に利用して、仕事や商品の付加価値を高める努力をして欲しいと願うものです。

Be the first to comment - What do you think?  Posted by bobby - 2013/01/05 at 15:49

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幸せに生きるコツ

私は幼少の頃から(親譲りの)けっこうユニークな性格だった為か、中学校くらいまではかなりのいじめられっ子で、どちらかというと幸福とはいえない人生の滑り出しでした。大学時代にメンタルトレーニング的な本を読んで実践をはじめ、またシステム屋に特有のデスマーチを凌ぐ過程であるコツをつかむ事ができ、以降の人生をわりと幸福に生きる事ができるようになりました。昨日読んだ、不幸な人生を送る10の方法(*1)というブログ記事に触発され、ではどうすれば人生を幸福にする事ができるのかというコツについて書いてみたくなりました。この記事はあくまで私見ですが、不幸な人生で苦しんでいる読者の参考になれば幸いです。

 

1)幸福も不幸も単なる脳内の化学作用であると割り切る

最初に極論を述べます。幸福というのは純粋に主観的なもので、まったく同じ環境にいても幸福と感じる人もいれば不幸と感じる人もいます。もし今、非常に大きな問題を抱えている訳でもないのに、自分が比較的不幸だと思っている人がいるとすれば、それは単に、あなたの「感じ方」に問題があるだけです。よく言われるところの、楽観的な人と悲観的な人の違いです。では楽観的な人と悲観的な人の違いは何でしょうか?私は、人間が脳内で幸福と感じるある種の化学物質(以下ホルモンと仮称する)が出やすいか、出にくいかという体質の差だと思っています。不幸感も同じです。(これはあくまで私の個人的な仮説です)(*2)要するに、あたなが幸福と感じる時、それは単に脳内で化学反応が生じているだけです。生理的にいえば恐らく、麻薬中毒者が麻薬を欲するのと本質的な差はありません。どうですか、これであなたも、幸福でない事を悲観するなんて馬鹿らしいと思えるようになったでしょうか?駄目?やはりそうですか。では次に進みましょう。

 

2)問題解決の期待値を大幅に下げてみる

幸福感というのは、自分が設定した期待値あるいはそれ以上に達した時に生じると(私の仮説では)考えています。仕事なんでどうでも良いと思っている人は、仕事で上司に褒められてもあまり幸福ではありません。人間関係なんてどうでも良いと思っている人は、誰かに嫌われても不幸とは思いません。仕事にしろプライベートにしろ、思い通りにうまく行かずに幸福感を得られないと感じている人は、まずは問題とおもっているところの期待値の設定を下げて見てはどうでしょうか。小さな期待値には小さな幸福感しか得られないとしても、それを継続的に積み上げる事ができれば、不幸な人生とおさらばする事ができるかと思います。

 

3)決断から悩みと後悔を取り除く

人は悩み後悔する事で不幸を感じます。人生は日々、判断や決断の連続ですから、悩みやすい人は優柔不断、後悔し易い人は不幸を感じやすいと言えます。では、いままで通りに日常生活を続けながら、悩みや後悔から遠ざかるにはどうすれば良いでしょうか。その為には、他人や書物に相談する事は良いとしても、最終決断は常に自分で行う事。そして決断した理由を記録しておく事です。後悔する理由は、「なぜあの時にこちらを選んだのか!」という判断のプロセスを事後から見て、一定の合理性が感じられないか、あるいは曖昧になってしまっているからです。また、人が決断で悩み疲弊する理由は、どの選択枝にもメリットとデメリットがある時に感情が邪魔して合理的な判断ができず、心の中の閉ループを何十回、何百回と思考を繰り返し、そこで膨大なエネルギーを消耗するからです。決断で悩まない為に、決断プロセスに感情をなるべく入れないようにするひとつの簡単なテクニックとして、私が知人へ進めている方法があります。1枚の白い紙の上に、それぞれの選択をした場合のメリットとデメリットについて思い浮かぶかぎり書き出し、紙に書いた項目の中から決断理由を決めるようにします。こうすると、感情で曇っていたメリット・デメリットがはっきりと見えるようになり、合理的に判断するにはどれを選ぶが見えやすくなります。ここで一番大事な事は、この手順を自分で納得して実行する事です。

 

上記は、日常的な仕事や生活の中の、比較的ありふれた問題へ対処しながら幸福感を増すコツについて述べました。

 

しかし人生には、とても重大な問題というのも時々起こります。激しいイジメに会った時、仕事が死にほど厳しくて心が折れそうな時、借金が膨らんでどうしようもなくなった時。そういう時、人はノイローゼになったり、自殺を考えたりします。こういう大きな問題に対して、私の経験をもとに、わりと即効性のある対処法についても述べてみたいと思います。

 

1)誰にも言えない問題は自分自身に相談する

誰にも相談できない問題で悩んでいる時には日記を書きましょう。心の中の問題を誰かに話すだけでも、精神的なストレスを一時的に下げる事ができるものですが、他人には絶対に話したくない問題というのも世の中にはあります。また、相談する友人が身近にいない時もあるでしょう。そういう時には、自分自身に話してみましょう。つまり日記です。紙の日記帳でも良いし、ブログを非公開モードで書くという手もあります。ただ書くだけでも良いのですが、問題が生じた原因、過程、現在の状況、どのように解決したい等、問題を整理しながら解決方法を書いてみましょう。今日の日記を書いた後で、余裕があれば過去のページも読み返してみましょう。書いたものを読み直す事で、合理的な思考が戻ってきて、どうするべきがが見えてくるものです。

 

2)どんな問題や失敗でも死ぬ訳ではないと言い聞かせる

仕事にしろプライベートにしろ、失敗したらほんとに命を取られるような問題は現実世界ではほとんどありません。私は長くシステム屋をしていますので、デスマーチで精神的に追い込まれた事も何度かあります。中にはヤクザ口調で脅すお客さまもあり、小心者の私にはけっこう効きました。精神的に追い込まれているときには、普段の冷静な判断ができず、視野がどんどん狭くなります。しかし、そういう時にはいつも、「たとえ失敗しても命が取られるわけじゃない」と自分に言い聞かせる事で、心を落ち着かせていました。あなたもぜひ試してみて下さい。

 

3)夜逃げは死ぬよりマシ

サラリーマンや会社経営者にとっては、死ぬほど辛い事というのはたまにあります。為替で失敗して帳簿に大穴を開けたとか、資金繰りがつかなくて社員の給料や取引先の支払いができなくなってしまった時とかに、首を括るか電車に飛び込むかと考えるかもしれません。しかし、実行する前にもう一度よく考えてみてください。クビになったり夜逃げする事になったとしても、べつに死ぬ訳ではありません。会社や従業員や取引先や家族や親類や銀行に迷惑をかける事になったとしても、あなたが生きていれば、いつかは借りを返せる時がくるかもしれません。ここは一つ、多少なりとも前向きに考えるようにして、死ぬよりは逃げる事を考えて見て下さい。

 

この記事がなんらかの参考になりますように。

 

引用記事

1)不幸な人生をおくる10の方法

2)幸福は個体差の大きなベクトル量である

 

Be the first to comment - What do you think?  Posted by bobby - 2013/01/03 at 16:03

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自民党政権に願う、真に命を大事にする政策

自由人さんのポピュリストの誤算とポピュリズム政治の終わりは、興味深く、刺激的で、また賛同する記事でした。実際の社会というのは難しい対象であり、全ての人を救う政策など何処にもありません。そこには、誰かを救えば誰かが死に、誰かを幸福にすれば誰かが不幸になるという厳しい現実があります。現実社会では、あらゆるものが、なんらかのトレードオフの関係になっているという事です。と、こんな事を書いても抽象的過ぎてわかりませんよね。

まず政府の行う政策は、政府予算の範囲内でのみ実行できるという制約条件があります。貧困をなくす為には、国民全員にお金を配るベーシックインカムという政治的手段があります。以前に詳しい記事をかいたので詳細はこちらを参照頂きたいのですが、国民全員に5万円の現金を毎月配る為には、年間で72兆円(それを配る為の行政コストは含まない)もの予算が必要です。これは既に日本の一般会計予算1年分に等しい金額であり、実現はかなり困難です。そこで、必要な予算を1桁減らし、家計所得が低い家庭だけを対象とした負の所得税という政策があります。しかし、年間数兆円という予算枠を新たに設けるのも現在の日本では困難なので、結果として予算を更に絞らずるを得ず、子供手当という政策が実施されました。予算という制約条件の中で、子供のいる低所得家庭は援助され、子供のいない低所得家庭が切り捨てられたと考える事ができます。

別の例を考えてみましょう。政府は国民を病気から守る為に公衆衛生に関する政策を実施しています。数百年前は医療技術が発達しておらず、コレラ、はしか、結核などの伝染病で一時に何万、何十万人もの死者を出していました。抗生剤とワクチンが普及しはじめてからも、政府にとって伝染病は大きな脅威です。そこで病原体が抗生剤の耐性を得る機会をなるべく少なくする為に、必要性が確実でない抗生剤の処方を抑制するように医師へ指導しています。これは、未来のいつかに生じる可能性のある大きな伝染病禍の死者を救うと同時に、予防的に抗生剤を使用する事でたまたま救われたかもしれない不幸な個人の死を生み出しています。SARSや鳥インフルエンザの例を見てもわかるように、国民全員に配るほどタミフルを備蓄する事は現実的ではありません。政府が行うべきは、伝染病の死者を一人も出さない事を目的とした非現実的な政策ではなく、予算と技術的制約の中で、より多くの国民を伝染病から守り救う為の政策です。そこには、多くを守り助ける為に、あえて死者がでる事を前提とする非情な判断が要求されます。

エネルギー政策も同様です。国民が便利で幸福な生活を送るにはたくさんの電気が必要です。日本が経済的に発展する為にも多くの電気が必要です。でも、経済的に合理性のある火力発電は大気汚染を免れず、過去から現在に至るまで、みえざる被害者・死者を大量に生み出し続けています。エネルギーを供給する事と、その副作用により寿命を奪われる人を生み出す事とは、まさにトレードオフの関係にあります。その極端な例がまさに原子力発電といえます。何千年、何万年に一度という確率の地震による大津波が福島第一発電所を襲い、周辺の土地は大規模な放射能汚染が生じました。しかし、非難の影響で死んだ人はいても、放射能被ばくで死んだ人はまだいません。福島県住民の放射能汚染もおおむね管理できている状況と言えます。今現在の国民の健康を考えれば、実は旧型の多い火力発電をすぐに止めて、原子力発電を動かす方が理にかなっていると言えるのですが、トレードオフを国民に説明する政治力の無い民主党は、菅元総理が全国の原子力発電を止めたままであり、野田元総理がかろうじて大飯原発を再起動させただけです。

国民の望みに迎合するのが正しい政治ではありません。たとえ多くの国民の意思があれ、それに合理性がなく、後の世の国民を不幸にする事がわかっているのであれば、国民を教育し、説得して、正しい道を選択する事が真に国民の命を大事にする政治であろうと考えます。私個人として、自民党政権の復活を期待していた訳ではありませんが、政権を取ったからには、プロの政治家集団として、過去の自民党の誤りを反省して正し、国民を長期的な視野において大事にする政策を実現させて頂きたいと願うものです。

 

Be the first to comment - What do you think?  Posted by bobby - 2012/12/23 at 15:18

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ペニオク=詐欺の見分け方

今朝BLOGOSを見たら、あいかわらずペニオクというビジネスモデル自体への非難が続いているようです。ペニオクは「コンプガチャと同様、きわめて犯罪性発生率の高い、ネット社会の不整備を突いたマネタイズ方法」という意見です。たぶん多くの方が、このように考えられているのでしょう。その理由は恐らく、ペニオク=詐欺に非ずに説明したように、業者側が入札コインの総額を高める為のシステム上の仕組みと、そして落札者が本物かどうかわからない事を指しているのだと思います。このように話題がネットやメディアで盛り上がると、官憲がペニオクのビジネスの中身へ捜査を開始する可能性が考えられます。

この記事では、システム上の設計+運用面から考えた場合に、ある特定のペニオクの入札に詐欺行為があるか、または意図的に入札者の射幸心を煽っているかを、どのようにしたら確実に証明できるかについて考察します。この記事が、ペニオク捜査を行う方へ、正しいアプローチを選択する為の参考になれば幸いです。

私はペニオクのシステムを開発した事はありませんが、証券会社のディーリング関連のシステムと通販サイトのシステムの開発経験から、ペニオク・システムの全体像を推測してみました。そこから導き出される、詐欺・意図的な射幸心を煽る行為を証明する為のアプローチは下記の通りです。

 

1)システムは全ての入札行為の情報(誰が、いつ、どのように)を記録している。

入札終了時間がある会員の入札行為で時間延長された場合、その入札に関連する入札者の会員IDを調べて、その会員が実在するか、サイト運営者と会員との関係、入札に使用されたコイン購入の決済記録を調べれば、さくら、またはプログラムによるダミー入札行為により、入札参加者の射幸心を意図的に煽る行為があったかを、かなり確実に証明する事ができると考えます。とはいえ入札件数は膨大です。注目するべきは、延長対象時間内での入札記録かと思われます。

 

2)システムはすべての落札者の会員情報、コイン購入記録、入札記録を持っている。

ペニオクはサイト運営者=商品出品者ですので、落札者に対して商品を出荷しなければなりません。また入札参加者は商品落札が目的なので実際の住所(自分でなく知人・友人の場合も想定される)を登録する必要があります。そしてサイト運営者は、会員が不正行為(会員の多重登録や虚偽のクレーム)への対策として、システムは落札者の会員情報(会員ID、名前、住所、コインの購入記録、購入時の決済記録、過去の入札記録)を持っている必要があります。落札者の実態の有無、購入商品の追跡調査(サイト運営者の帳簿と決済業者、商品販売業者の伝票のと照合)、出荷記録の追跡調査(サイト運営者の出荷記録と運送業者の伝票と荷受伝票に署名した人物の照合)を行う事で、商品購入と出荷の有無、落札者が本物かさくらかを判別する事が可能だと考えます。

 

3)商品在庫は必要無い

ペニオクを事業として考えた場合、身軽な経営は成功の秘訣です。その為には、商品在庫は少ない方が良いし、できればゼロにしたいもの。業者の商品納期が十分に短ければ、落札してから業者へ発注しても問題ありません。故に、ペニオク事業者に商品在庫が無い事は、必ずしも詐欺とは関係無いと考えるべきです。しかし、上記2で述べたように、商品の発注記録・出荷記録の帳簿がシステム上かパソコンのエクセルファイルに存在する筈です。それらの情報が消失している場合でも、商品販売業者と運送業者には記録があり、商品決済をクレジットカードや銀行振り込みで行えば、そこにも記録が存在します。

 

ペニオクに限らず、「ずる」をして金儲けをする事は筋の良いビジネスとはいえません。法規制でペニオク自体を禁止する事なく、さくらやダミー落札者を防ぐ為の方法としては、四半期ごとの外部監査法人による監査義務を課すというのはどうでしょうか。落札に商品の購入と出荷と決済が伴えば、たとえ業者がさくらを用いても、商売の効率はかなり下がります。そして購入と出荷と決済は帳簿に記録が残るので、落札行為の実態の有無の調査を監査法人が行う事は効率的であり合理的であると考えます。

今回の件を引き金として、ペニオクという事業が禁止されるのではなく、合理的に対処され正常に発展する事を祈ります。

3 comments - What do you think?  Posted by bobby - 2012/12/16 at 12:44

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ペニオク=詐欺に非ず

ペニーオークションは2年前にいろいろと調べ、実際に参加してみた経験も踏まえて、興味深いビジネスだと思っていました。ただ、みなさんご存知のように、サイト運営者=出品者なので、高額商品の出品ではサイト運営者が「ずる」をするインセンティブが働きやすいという欠点を内在したビジネスモデルである為、入札参加者から信用を得る(維持する)のがなかなか難しいという問題があると理解しています。

ところで今、ネット上ではペニオクのステマ詐欺の話題で盛り上がっていますが、中にはペニオク=詐欺と決めつけている記事などもあったりするので、ペニオクのしくみを簡単におさらいしてみましょう。

サイト運営者はオークション・システムを構築し、オークション会員を募り、ウェブサイト上に商品を出品します。オークション会員は電子的なコインを購入して、1つのコインで1回の入札を行います。オークションは原則的には制限時間があり、一番高い金額を最後に入札した人が商品を落札します。サイト運営者の粗利は、入札価格+入札コインの総額ー出品した商品の調達価格ー送料です。これにサイト運営の間接費用を出品商品に按分した額を差し引くと、税引前の入札別利益となると思います。

上記の計算を見れば分かるように、このビジネスのキモは入札コインの総額をいかに増やすかというところにあります。当然、人気の無い(入札数の少ない)ペニオクは、容易にコスト割れして赤字が出ます。逆に、数千人以上が参加する入札では、大型液晶テレビや高性能パソコンなどでも十分に利益を出す事ができます。

このビジネスで成功する為に、キモとなる入札コイン総額を多くする為に、いろんな仕掛けを作っているサイトが多いようです。その仕掛けのいくつかを以下に示します。

1)入札時間が終了しても、一定時間(数十秒とか)以内に新しい入札があると、制限時間が延長され、これが延々と繰り返される。
2)1のルールを有効活用してもらう為に、ネット株取引の自動売買機能のような仕組みを導入して、入札者がパソコンの前にいなくても、自動入札を繰り返す事ができるようにする。
3) 高額商品の場合、入札者に指値をさせず、1枚のコインで、固定された小さな金額しか入札金額を増額できないようにする。

上記のような仕組みははいづれも、サイトの手引きやQ&Aをよく読めば理解できる事です。

ところでステマ詐欺と言われている今回の件ですが、芸能人がブログを書くのは宣伝活動な訳ですよね。テレビCMで芸能人が(嘘が見え見えの)宣伝したり、新聞・雑誌で商品の提灯記事を書いてもらうのはアリで、ネットのブログは駄目という根拠がイマイチ解りません。要するに、バックにテレビ局や大手出版社がいない事が問題だと言うのでしょうか?

ちなみに私がペニオクに挑戦した経験で言うと、人気の無い商品であっても、素人が落札するにはかなりの運が必要です。私はこういうゲームは苦手なので、結局1個もゲットできませんでした。

2 comments - What do you think?  Posted by bobby - at 01:28

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天は自ら助けるものを助ける

赤木智弘氏の仕事の無い人間を妬むなよ(苦笑)は、3回読みなおしたのですが、正直良くわからない記事でした。

この記事は竹中平蔵氏が述べた「貧しくなる自由と、成功した人の足を引っ張るな」と、宮島理氏の賛同記事を批判したものだと理思います。なぜなら本記事は、「この両者の強弁は、ハッキリ言って無知蒙昧に過ぎる」と述べているからです。

ところが腑に落ちないのは、その後の段落にて、「少なくとも現状としては、グローバル化する経済市場で勝ち残るには、効率化以外にありえない」とか「資本主義における「増強」とは産業の効率化に他ならないのであり、効率化の上で働く人間が減るのは必然」とか「そうした文脈の上にベーシックインカムや、負の所得税という新しい利益分配の考え方が産まれ」と述べており、竹中氏の経済施策およびセーフティーネット政策に近い考えを、筆者の意見として述べている事です。いったい赤木氏は、竹中平蔵氏を非難しているのか、彼の考えに賛同しているのか、この記事を何度読んでも理解できません。

赤木氏はフリーターやニートを擁護する立場のようですので、竹中氏の「貧しくなる自由」という言葉に脊髄反射的にこの記事を書いてしまったのでかもしれませんが、その実、考え方は竹中平蔵氏とさほど違わないという事を自覚していないのではないかと疑わずにはいられません。

ところでこの記事で赤木氏は、「この社会において個人責任の範疇など、たかが知れている」と述べており、日本が不況で就職が難しい事は個人の責任ではないと述べていますが、これは彼の大きな勘違いを示していると思います。何が勘違いかというと、日本で貧しい生活と言われているレベルが、ベトナムやタイやミャンマーや中国の地方と比較すれば、いかに豊かな生活であるかがわかっていないという事です。

私も竹中平蔵氏と同じ意見で、日本には経済的に貧しくなる自由がある事を知っており、少なからぬ若者がその自由を選択しており、住民票もなくなるほど落ちぶれる前であれば、やり直す事が容易である事を知っています。

Be the first to comment - What do you think?  Posted by bobby - 2012/12/09 at 00:46

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尖閣諸島で1ミリも妥協できない理由

昨日の昼間、ブロゴス総合ランキングの1位(内田樹氏の中国離れについて)と2位(橘玲氏の尖閣問題で、海外メディアは日本に対して予想以上に厳しい)が、尖閣問題について冷静を説く記事である事は興味深い状況です。

アメリカの後ろ盾があり、強い自衛隊がいるという事で、日本のネット世論は戦後かつてないほど舞い上がり、「戦争の危機」に鈍感になっているのではないでしょうか。そういう方には、橘玲氏の記事のコメ欄に私が書いた内容を改めてご覧頂きたいと思います。

1)マスコミは日本に好意的な記事だけを国内で紹介し、あたかも中国人を除く世界中が日本の見方であるかのように印象操作している。(各社とも海外特派員がいる筈ですが、否定的な記事は日本側が握りつぶしているのでしょう)

2)多くの領土問題には正解も正義も無く、戦争以外で解決する為には互いが歩み寄る(互いが納得できる何処かで妥協する)しかない。(外交とはそういうものである)

3)印象操作された国民は、自国の主張(自国の正当性)を世界が認めていると思い込み、中国の意見の(客観的に見た)正当性の有無を考慮しなくなり、戦後最も好戦的な世論が形成されている。(と欧米のメディアも考えている)

4)仮に現在の状況がエスカレートして、尖閣を巡り日中で戦争が起きれば、先に撃ったのが中国だったとしても、国有化という「引き金」で中国を刺激し、外交交渉で妥協の余地を与えなかった日本は、欧米社会から見ると戦争に対する相応の責任を免れない。(と欧米のメディアは考えるだろう)(本件で太平洋戦争におけるアメリカの責任を持ってくるのは無意味である。)

5)マスコミ(特に本社で報道内容の選別に責任を持つ者)は以上の内容を理解して、売る為に煽るのはやめて、国民に対して正しく情報を提供し、国民が冷静に考える事ができるようにするべきである。

これはマスコミだけではなく、我々ブロガーにも同じ事が言えます。中国の軍艦が尖閣諸島の近辺まで出張っている時に、脳天気かつ無責任に戦争を叫び、反中を煽る事は戦前の東京朝日と同罪で、ネットメディアのひとつとしての我々の信頼性を損なう行為ではないでしょうか。

 

 

もう1点、内田樹氏の記事(こちらこちら)から下記の2つの文章を引用したいと思います。

外交とは両国の「利害の一致点」を探すことにあるのではない。「利害がずれるところ」を探すのである。

「尖閣なんかどうだっていいじゃないか」というのは中国を生産拠点、巨大な市場として依存している日本企業にとっては「口に出せない本音」である。

私は「尖閣なんかどうだっていいじゃないか」とは思いませんが、「外交とは両国関係の利害のずれるところ」はあるのではないかと考えます。その件について、以下に少し意見を述べたいと思います。

1)固有の領土って何?
固有の領土ってなんでしょうか。自民党や民主党だけでなく共産党までが、尖閣諸島は日本の固有の領土だと言っていますが、固有の領土って何でしょうか。国際法では固有の領土を説明できないらしいので、「固有」という言葉の意味を調べてみました。これは「本来もっている事」、「そのものだけにある事」という意味です。

では、日本政府の言う固有の領土の説明を見てみましょう。以下は外務省ホームページから引用しました。

尖閣諸島は,1885年から日本政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行い,単に尖閣諸島が無人島であるだけでなく,清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重に確認した上で,1895年1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行って,正式に日本の領土に編入しました。この行為は,国際法上,正当に領有権を取得するためのやり方に合致しています(先占の法理)。

上記の説明によれば、国際法的な手続き論として尖閣諸島は日本の正当な領土である事には疑いがありません。しかし、正当な領土の事を固有の領土というのはなんだかおかしい気がします。本州や四国が固有の領土であるという文章があるとすれば、それはそうだろうと思いますが。

2)尖閣諸島は歴史的に琉球の領土か?
いまは沖縄県という日本国の地方自治体ですが、明治政府による武力的威圧(琉球処分)で強制的に日本国に編入された琉球王国が、日本固有の領土でなかった事は事実です。

でも、それでは話しが終わってしまうので、100歩譲って、いまは沖縄県も日本固有の領土だと仮定して、尖閣の問題について考えてみましょう。

私の知る限り、釣魚島(中国人がつけた尖閣諸島の魚釣島の名前)は16世紀頃に明と琉球の双方の文献にはじめて出現し、「航路の途中の目印」というニュアンスで記述されているそうです。その後も釣魚島という名は時々文献に出てくるようですが、日本政府が述べているように、どんな国の支配も定住者も所有者もいなかったという理由で明治政府が沖縄県に編入した島を、実は琉球政府の領土でしたとは言えないような気がしていますが実際にはどうなんでしょう。

いや、法的支配ではないが昔から漁師や船乗りが利用していたというのであれば、それは日本だけでなく、中国と台湾でも同様という事になり、日本だけが強く主張できる正当な理由とは言い難い気がします。

3)領土としての尖閣諸島の価値とは何か?
領土って何でしょう?私は思うのですが、日本人が定住している訳でもなく、経済的なメリットも生まない領土というのは、領有しているメリットがあるのかと思います。ましてその島が隣国との火種になっているとすれば尚更に、領有し続ける経済的メリットは、失った場合の経済的メリットを上回らなければ意味がありません。政治(軍事)的なメリットの重要性を説く人もいると思いますが、それらも最終的には経済的なメリットに行き着くので、政治(軍事)と経済を分けて考える事に意味があるとは思えません。では、尖閣諸島を失った場合にどんなデメリットがあるのかについて考えてみます。

5)漁場の価値
わざわざ中国からも沢山の漁船が来ている訳ですから、この周辺の漁場には一定の価値があると思います。しかし漁業権というのは外交的な交渉の中でも、それほど難易度が高いものであるとは言えません。したがって尖閣諸島の領有が絶対に必要であるとは言えないような気がします。

6)海底油田の価値
尖閣諸島周辺の大陸棚には「非常に厚い堆積物がある」ので中東なみの油田・ガス田が眠っている可能性があるというのは1968年に国連のECAFEという下部組織の調査報告ですが、現在までに1本の試掘も行なっていませんので、巨大な油田・ガス田の有無というのは、実際のところはまったく不明です。仮に油田が見つかったとしても、自衛隊の護衛艦に守られながら石油を掘る会社は、日本には1社もありません。仮に中国からの武力威圧もなく、油田の開発に成功したとして、尖閣諸島から九州までの間には深い海溝があって海底パイプラインは無理なので、低コストで効率良く本土へ運んでくる事はできません。

そういう問題をすべて除外したとしても、もっとも大きな問題が残っています。国連海洋法では大陸棚条項と排他的経済水域のどちらが優先するか明示されていません。中国は沿岸から最大350海里までを権利主張できますが、沿岸から尖閣諸島までは195から220海里の範囲です。もし国連で中国の主張が認められれば、日本が尖閣を領有しつづけても、島周辺の領海(12カイリ)から外側の油田は、いまは日本の排他的経済水域として日本に権利が認められていますが、あとから中国に(国連海洋法に従い合法的に)取られるかもしれないという大きなリスクがあります。(これは春暁ガス田にも共通する問題です)

話しが長くなったのでまとめると、尖閣諸島周辺の大陸棚に中東なみの石油やガスがあるかもしれないというのは、「非常に厚い堆積物がある」というだけで、誰も実際に確認していません。もしあったとしても、中国の威圧や、あとから中国に取られるかもしれないというリスクがあるうちには、日本の会社は手を出す事はできません。あっても無いのと同じなら、何の意味があるのでしょう。

7)シーレーン防衛のリスク
尖閣諸島を取られるとシーレーン防衛に重大な問題が発生するという意見を目にしますが、実際問題としてどうなのでしょうか。中国が仮に尖閣諸島を領有して軍事基地をつくったとして、先島諸島と沖縄諸島の隙間が物理的に広がるという訳でもありません。この付近の海は内側から太平洋へ抜ける通路も限られており、潜水艦の出口には米軍の探知装置が見張っているそうなので、中国が尖閣諸島に潜水艦基地をつくったとして、何の意味があるのかわかりません。

6)台湾を中国の武力侵攻から守る為の戦略的重要性
中国の武力侵攻から台湾を守るのは自衛隊じゃなくて米軍の責任(仕事)だと思います。米軍から見て尖閣諸島を中国に奪われる事がそんなに大きな問題であるならば、10年も20年も前に、日本が安定して領有できるように、米政府による工作があってしかるべきではないでしょうか。米政府が「命がけで領土を守る覚悟が日本人になければ日米安保は発動しない」と言うのなら、そもそも尖閣諸島には、客観的に見て戦略的な重要性など無いという事かもしれませんね。

7)尖閣諸島の次は沖縄?
こういう事を言う人もいますが、意味不明です。日本国の一部である沖縄に武力侵攻すれば、日米同盟が100%発動する事は彼らも分かるでしょう。故に、そのような状況が起こる事はあり得ないでしょう。沖縄県が日本国から合法的に独立すれば話しは別ですが、どんな理由で独立するのであれ、独立した後でどうするかは沖縄人次第じゃないでしょうか。

8)尖閣で1ミリも譲歩できない本当の理由は何か?
上記で検討してきた内容に大きな間違いや見落としがない限り、実は日本が尖閣諸島を手放しても、経済的にも軍事的にもおおきなデメリットは無いのかもしれません。その一方で、尖閣問題で今後ともに中国と対立を続け、中国進出した日系企業の不利益や、日本企業が中国市場へアクセスを失う不利益を考えれば、日本側が尖閣で妥協するメリットは十分あり、日本の国益にかなうと感じられます。

現在のように反日騒動が大きくなってしまうと、中国政府は経済面よりも政治面のウェートが大きくなります。尖閣問題での(元の棚上げ状態へ戻るより大きな)妥協は共産党の敗北となり、一党独裁政権にとっては極めてまずい状況で、現時点では彼らの方が選択オプションの幅が狭いように思います。こういう時こそ、日本が尖閣の札を切って、別の利益を得るチャンスではないでしょうか。

しかし日本政府が妥協案を出すのを難しくしているのは、国益うんぬんという経済的な問題ではなく、ナショナリズムという感情問題ではないでしょうか。1ミリも譲れないというのは、実はここから来ているのだと思います。ところで、中国は最近、ロシアに実行支配されていた(もともと中国領土だった)島を、互いに譲歩する事で半分取り戻すという大きな成果をあげ、ロシアと中国は互いの国境線をすべて合意の上で確定しました。

反日騒動で盛り上がっている今のような時こそ、中国から見た尖閣カードの価値は、逆に高まっています。日本政府はそのカードをどのように切り、かわりに何を要求するのか。そういう事が、日本にとって本当の国益と言えるのではないかと思います。

2 comments - What do you think?  Posted by bobby - 2012/09/28 at 11:13

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生活保障と最低賃金

2日前に配信されたJMMメルマガで信州大学経済学部教授の真壁昭夫氏は、「最低賃金が生活保護の水準を下回る、いわゆる”逆転現象”が生じている自治体が11都道府県に上っている」事について、「かなり奇妙な現象」であり、「最低賃金水準を引き上げて逆転現象を解消する必要」があると述べています。私はこの意見に2つの点で違和感を覚えました。

最低賃金でフルタイム就労時の月収が生活保護の水準を下回っているという意味と思いますが、最低賃金の高低を論じる前に、まずは生活保護の水準の妥当性を検証する必要があります。最低賃金の生活でも場合によっては、月末に支給額が余ると聞きます。また、国民年金も生活保護の水準より低いそうです。フルタイム就労でない非正規労働者も増加している現在、「健康で文化的な最低限度の生活」水準を、現在より引き下げる事は検討されるべきです。ちょうどアゴラで辻さんが、生活水準を下げようと提案しています。

次に、生活保護が妥当な水準であると仮定した場合に、これと比較するべきは最低賃金ではなく最低月収であるべきです。最低賃金とは単位時間あたりの給料の水準を指すと考えられます。賃金の時間単価が高くても、1ヶ月の合計就労時間が少なければ、生活に必要な十分な月収を得る事はできません。逆に、雇用主が寮や食事を提供すれば、最低賃金を下回ってもそれなりの生活を送る事ができます。

では、企業に対して雇用者への最低月収を保証する事は可能でしょうか。フルタイム労働者にもパート労働者にも最低月収を保証しなければならないとすれば、企業はパート労働者をすべて切り捨てる以外に選択の余地はなくなります。すると雇用されている労働者は最低月収で生活できるが、切り捨てられた労働者は生活保護に救いを求める以外に手段がなくなります。最低月収を労働者個人ではなく世帯で捉えた場合、扶養家族の多い世帯の労働者はより大きな最低月収を要求する事となります。企業としては必然的に、扶養家族がより少ない労働者を選択せざるを得なるでしょう。

要するに、労働者の最低月収(生活の保証)を企業に求めるのは筋が悪いと言わざるを得ません。もしそれを考えるならば、政府によるベーシック・インカムを検討するべきでしょう。

 

Be the first to comment - What do you think?  Posted by bobby - 2012/07/25 at 14:33

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まず疑問に思って欲しいと思うもの

昨日のBLOGOSで非国民通信さんが疑問に思って欲しいものという記事をあげました。消費者のリテラシーについての問題、あるいは政府の姿勢についての問題提起が記事の趣旨かと思われます。それ自体には同意しますが、ひとつ、ひっかかるところがありました。記事中でニュースを引用した下記の2点について、行政による積極的な広告の検査を肯定的に捉えているような印象を受けました。

1)問題点1
「都生活文化局は消費者行政の一環で、ネット通信販売のバナー広告などを日常的に監視しており、昨年度は約2万4000件をチェックした。」

問題点2
「サントリー食品インターナショナルが販売する特定保健用食品「黒烏龍茶」のテレビCMが誤解を招く恐れがあるとして、消費者庁が同社に改善を求める通知文を送っていたことが25日、わかった。」

上記のような行為を極端に行なっているのが現在の中国政府です。よく、中国は民主化されていないと言いますが、人々の生活に関する部分で外国人が非民主的だと判断する問題の多くが、実は人民の生活の為に事前に問題を除去しようとする規制行為の結果であるとは、何とも皮肉です。

このような政府による余計なお世話行為は、単に不要なだけでなく、消費者のリテラシーの低下を招く自滅行為と言えます。非国民通信さんには、まずこの点について疑問に思って欲しかったですね。

Be the first to comment - What do you think?  Posted by bobby - 2012/06/30 at 15:06

Categories: ブログ評論   Tags:

「夢想家」に未来はあるか?

内田樹氏のリアリストの未来に言及した記事をたいへん興味深く拝見させて頂きました。2つのポイントについて述べさせて頂きます。最初はまず国旗国歌問題から入ります。

>国歌国旗問題については、これまでも繰り返し発言してきた。
>私が統治システムにかかわることで主張しているのは、つねに同じことである。
>「その政策は健全な公共心をもつ成熟した公民をつくりだすことに資するかどうか」

内田氏は教職員に君が代の起立斉唱を強いる事を、国旗国歌問題として議論しようとしていますが、残念ながらこれは出発点が間違っています。何か間違っているかといえば、出発点は国歌の中身(思想信条)の問題ではなく、外形的にルールに従わせるという組織統治の問題を橋下氏は述べているのです。(大阪都市構想はガバナンスの問題に収束する

学校においてクラスの生徒を統治するのは教師の仕事です。その教師を統治して効率的な教育業務を運営するのが主任や校長の仕事です。そのような学校を地域ごとに統治するのが教育委員会です。

その教育委員会が決めたルール(学校行事における教師の君が代の起立斉唱)を、学校行事の最中に大勢の父兄や生徒の面前で、末端の教師が意図的に、かつ繰り返しルールを破るという行為を行えば、組織統治上のどのような問題は生じるかは、会社を経営した事のある人なら容易に理解できるでしょう。

>「憲法に反対なら、公務員をやめろ」というようなことは言わない。
>私はいずれについても処罰を求めない。

学校(あるいは地域の学校群)という組織を正しく機能させて、教育委員会の望む方針を実現する為には、学校の中で末端教師に対する統治能力を維持する事が重要です。ルールを破るという悪い影響を与える行為を行う教師には、学校という組織が指導を行って改善する必要があります。ルール破りを意図的に繰り返す教師は、教師である前に組織人としての資質に欠けます。ゆえに組織から排除する必要があります。排除とは「やめさせる」という事です。

ここまでをまとめると、橋下徹大阪市長が求めているのは、大阪の生徒の成績を向上させられるように、まずは学校内で統治責任者が末端教師に対する統治能力を向上させようという事であって、思想信条の議論はしていないという事です。内田氏にはぜひ、同じ土俵で「噛みあう議論」をして頂く事を期待しています。

では、次のポイントへ移ります。

>国民国家は擬制である。
>福沢諭吉はもっとはっきりと「私事」だと言った。
>昔誰かが勝手にそういうものをつくったのである。
>国境線をひいて、「こっちからこっちはおれの国だ。入ってくるな」というようなことを言い立て、国法を定め、国語をつくり、国旗をデザインし、国歌を作曲した。
>どれもみな「つくりもの」である。

実は最近、このような考えに強い魅力を感じています。私は思想家ではなくて企業の経営者ですが、以前に国家とは何かという記事を書いて、多くの人が当たり前のように「日本を守る為に戦争も辞さず」という考え方に疑問を呈しました。

少なくとも20世紀までは、他国の侵略により国民の生命財産を失う危険がありましたが、21世紀の現代においては、一定の経済規模と文化レベルを持つ国家による侵略行為は、少なくとも経済に利する事が目的であり、治安維持組織へのテロや暴動が起きない限り、グローバル市場からそっぽを向かれるような非人権的な行為が大々的に行われる事は考えにくいと考えています。

極論すれば「国名」というラベルと「政府」という管理組織が変わるだけです。ならばそのようなものにこだわって防衛戦争に執着し、国民の生命財産が失われる事に何の合理性があるのか、と考え続けております。

2 comments - What do you think?  Posted by bobby - 2012/04/09 at 10:51

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