Posted by bobby on January 16th, 2012
地球温暖化に対する懐疑論を読むと、懐疑論を反駁する典型的な手法は、図1のホッケースティック曲線部分で示されるような「現在の突出した温暖化には人為的CO2増大が不可欠である」事を論理的に示すという手法のようです。特に最近の温暖化シミュレーションは、たとえ短期間でも過去の気候をフォローする事ができるようなので、「だから最近の温暖化は人為起源である」という主張を突破する為には、現在の科学レベルが到達していない「知見」による証明が必要になり、懐疑論をギブアップせざるを得ない状況にあると思われます。逆にいえば、現在のような温暖化が過去に自然現象として生じている事を示せれば、懐疑論の大きな得点になる可能性もあります。
図1

まず現在は地球の気候について長期的な視野の中で考えます。地球は過去100万年のあいだ、約10万年周期で氷期と間氷期を繰り返している事を下記の図2は示しています。青いギザギザの線が下へ振れると氷期になって寒冷な気候を示し、上に振れると間氷期の温暖な気候を示します。
図2

図2の右端(現在)は青い線が上へ振れているので間氷期を示し、なおかつ温暖期のピーク付近である事がわかります。図1の時間軸は550万年と長いので、最近の40万年の気候変動を見る事ができる図3(左端が現在)を下記に示します。10万年周期で氷期と間氷期が繰り返すと述べましたが、それぞれの期間は半分ずつあるのではないようです。
オレンジ色の線を示した部分(私が元のグラフへ追加)は、氷期のおわりから間氷期の温度ピークへの急激な上昇を示します。図3によれば上昇の期間は1~3万年。青色の線で示した部分(私が元のグラフへ追加)は、間氷期の温度ピークから氷期の底への比較的緩やかな下降を示します。下降の期間は7~9万年。「氷期の底から間氷期の頂上までの期間」対「間氷期の頂上から氷期の底までの期間」の比率は、図3によれば、だいたい1対9から3対7くらいです。単純化すると、10万年のうち1~3万年が温暖な気候、7~9万年が寒冷な気候になります。
図3

更に図3によれば現在は(グラフの左端に注目!)、約1.5万年前に終了した氷期の後、高温期のピーク付近にある事がわかります。過去数十年の突出した温度上昇があろうと無かろうと、現在が長期気候変動という「森」の中で温暖期のピーク付近にあるという事実は明白です。
温暖化危機説のなかで論じられている、両極やその他の大陸の氷床の大幅な減少、大気の平均気温やCO2濃度が高い事、海面高度が高い事、それらが原因とされる気候変動などはいづれも、別に人為起源温暖化を持ちださなくても、自然現象による温暖化で十分に説明がつきます。
このような合理的な説明が存在する温暖化論の土台の上に、更に人為起源CO2増大の危機説を論じる為には、「自然現象」の土台部分と、人為起源CO2由来の「追加の環境変化」とを定量的に分離して論じる事ができなければ、各国政府が莫大な税金を投入する為の十分な根拠有る科学的仮説とは言い難いのではないかと考えます。
ところでこれまでの私の主張は、引用した古気候の分析グラフをベースにしていますが、辻元氏から前記事のコメント欄で反論を頂きました。図1を見れば、現在の数値が過去に比較して突出している事は明白なので、もし過去に同様な突出が自然現象として存在するのなら証拠を示すべきだという主張です。記事冒頭で述べたような、懐疑論への反駁の典型的な手法です。そして、この証拠を示す事ができれば、ある意味、人為起源温暖化論は現在の突出を「特別扱い」し難くなるのではないでしょうか。
そこで、グリーンランドの氷床分析から得た過去4000年の温度グラフを下記の図4に示します。グラフの時間解像度は約12.5年と思われます。グラフの真ん中の横線は、同じくグリーンランドの2000年から2010年までの10年間の気象観測による平均気温なので、4000年前から現在までの気温をほぼ同じ条件で比較検討できます。
図4の赤色の線で囲んだ部分(私が元のグラフへ追加)は3500年前から1000年前までの2500年の間に、現在の平均気温をはるかに超える温度上昇を何回も示している部分です。また黄色の線で囲んだ部分(私が元のグラフへ追加)は、10年平均値の温度が、1年平均値のホッケースティック曲線の突出に匹敵している箇所です。現在のような突出した温度上昇が少なくとも2回は自然現象として存在したという事を示しています。
図4

最後に、図4のネタ元である国立極地研究所のグリーランド氷床の表面温度を過去4千年にわたり正確に復元の結論部分の一部を以下に抜粋します。
「過去4千年間には、現在を上回る温暖期が繰り返し発生していることがわかった。これらの結果から、最近十年間の平均気温は、過去4千年でみれば自然起源で変動しうる範囲に収まっている。」
参考文獻
図1:Carbon Dioxide Variations
図2:Five Myr Climate Change
図3:南極ボストーク基地の氷床コアから得られた過去42万年の地球環境の記録(筆者が一部加工)
図4:グリーランド氷床の表面温度を過去4千年にわたり正確に復元 – 国立極地研究所(筆者が一部加工)
本記事はアゴラへ投稿致しました。
Posted in 環境問題と地球温暖化ネタ | 8 Comments »
Posted by bobby on January 1st, 2012
下記はボストーク基地の氷床コア分析のCO2図に、私がすこし手を加えた図です。
1)X軸は時間軸で左端が現在です。
2)CO2濃度の頂上と思われる部分には赤い丸で示しました。
3)頂上から谷底への下降を青い線で示しました。
3)谷底から次の頂上への上昇をオレンジ色の線で示しました。

この図でわかる事は、1.5万年前に谷底を迎えた大気中のCO2濃度は、現在に向かって急速に上昇しているという事です。図のCO2濃度と温度には強い相関関係が見られますので、最終氷河期の終了から現在までの間、地球は急速に温暖化しており、現在はその頂上付近にあるという状況が読み取れます。
Posted in 環境問題と地球温暖化ネタ | 5 Comments »
Posted by bobby on December 20th, 2011
LCCで興味深い「回送飛行機」 – カエルの卵
LCCは無料で全員に配膳する食事を止めて、希望者だけに機内販売する有料化によって、積込む食事の重量が減って燃料代が浮いたり、配膳の時間を減らす事で機内の労働が軽減されて人件費を削減できたり できるので、チケット代を1万円も安くできるそうです。
しかし私の経験では、LCCの機内食は値段の割に見た目も味を悪いので、あれにお金を出すのはけっこう厳しいものがあります。
そこで日本国内のLCCへの提案ですが、LCCは搭乗口で弁当やお酒を販売してはどうでしょうか?弁当は、駅弁のような「ご当地」弁当を置けば良い。お酒は地酒や地ビールなどを置けば良い。つまらない機内食などより旨いし、駅弁並の人気は得られると思われます。食事や飲み物などのゴミは、販売時に専用の袋を渡して入れてもらい、飛行機を降りる出口の先にゴミ箱を用意して業者へ回収させれば、機内の清掃も容易になるでしょう。
アジアの路線では無理かもしれませんが…
Posted in ブログ評論, 1.政治・経済 | No Comments »
Posted by bobby on December 18th, 2011
久しぶりにアゴラで地球温暖化ネタの議論が始まりました。私も久しぶりにアゴラへ記事投稿しました。
人間由来の二酸化炭素排出による地球温暖化に固執する人に共通して言えるのは、見ている時間軸の範囲が直近の数百年で狭すぎるという事です。地球の歴史は、生命が誕生してから5億年以上、直近の氷河期周期が始まってから約300万年です。そして、最後の氷期が1万年前に終わって、現在は間氷期にある訳ですが、この1万年の間だけでも、気温の上下振幅は10数回になります。文明があろうとなかろうと、地球の気温はけっこう上下している訳です。

であれば、ざわざわ人間の排出した(大自然からみれば大した事もない)温暖化ガスで理由をこじつけなくても、シンプルに「自然に上下する」と考えれば良いのではないでしょうか。
ちなみに上の図のちょうど真ん中あたり(縄文時代)に縄文海進というのがあり、いまより気温は1−2度高く、海面も1−2メートル高かったそうです。詳しくはこちらを参照ください。
Posted in 環境問題と地球温暖化ネタ | No Comments »
Posted by bobby on December 13th, 2011
温暖化の影響の本質 – アゴラ・辻本
この記事は、人類文明による温暖化ガス排出に限定せずに地球温暖化を問題視しています。私は地球温暖化の懐疑論者ですので、この記事を(できるだけ科学的に)批判をしてみたいと思います。
1)0.8度/100年に特別な意味を証明するのは困難である。
地球の生命誕生から5億2000万年という時間軸の中で考えれば、地表の温度が100年で0.8度上昇する事は、科学的には興味深い事象ですが、政治家やメディアが騒ぐ事でしょうか?
2)未来の2度/100年は既成事実ではない。
「実用的な長期マクロ気候変動予測」が、現在のテクノロジーを総動員しても不可能である事は明白な事実です。(まさかそれを証明しろとは言いませんよね?)100年で0.8度の温度上昇メカニズムが十分に解明されなければ、次の100年で起きる事を理論的に予測できないからです。理屈を棚上げして、過去の温度変動を再現するモデルを作り、それで次の100年を予測する事は、ファイナンシャル・エンジニアリングによる株価予測と同じで、ただの似非科学です。今世紀末に温度が2度上昇するという(極めて信頼性の低い)シミュレーション結果に、世間が大騒ぎする事の方が問題であると考えます。
3)自然災害の巨大化は嘘である。
歴史的な大型台風は、実は1940年代から60年代の間に集中しており、それ以降、大きな台風の数は減少しました。直近の10年を見ても、2000年前半に台風の数のピーク(年間26個)があり、後半は減少しています。つまり、温暖化によって台風が大型化するとか数が増えるというのは事実と異なります。私の生まれた愛媛県の久万高原町では、1960年頃に2メートル以上の積雪があり、二階から家に出入りしたところもあったそうですが、そのような積雪はそれ以降ありません。
4)いまが地球の気候の標準点ではない。
生物が地球に出現してから5億2000万年くらい経ちます。この図は過去5億年の地球の温度変動を表したものですが、現在までの間にHOTとCOLDを何度も激しく変動している事がわかります。地球の気候とはそもそもこうあるべきだ、というのは実に非科学的な考え方です。縄文時代にはいまより日本の気温は高く、より原始的な種類の米でさえ東北で栽培されていました。その当時と今と、どちらが「もともとの日本の気候」かなどというのはナンセンスです。
5)問題は温暖化ではなく気候変動である。
もし人間の居住環境に大きな影響を与える問題があるとすれば、それは100年で0.8度の温度上昇ではありません。これは原因ではなく結果と考えるべきです。その原因は何かといえば、氷河期を生み出し、縄文海進を生み出した「自然の活動」であろうと考えるのがもっとも単純な見方と言えるのではないでしょうか。
6)気候変動にどう対処するべきか。
万歩譲って、現在の気候変動の幅が数十年単位で増大してゆくという(根拠はないが政治的には検討する価値がある)可能性を考えるのも悪くありません。であれば、我々はCO2削減や再生可能エネルギーや1年1ミリへの回帰などという不毛で不経済な対称への投資を即時止めて、長期的な気候がより安定している宇宙へ人類を移住させるテクノロジーの開発へ投資するべきでしょう。気候変動といっても、来年に全球凍結する訳ではないし、なにかをする時間は少なくとも100年くらいはあります。
宇宙には台風も洪水も大寒波もないし、太陽から遠ざかれば超巨大フレアも怖くありません。一番怖いのはコロニー落としをする人間だけです。
Posted in ブログ評論, 環境問題と地球温暖化ネタ, 釣りネタ | No Comments »
Posted by bobby on December 7th, 2011
石巻市雄勝町の現状 -住民不在の建築制限により町が消えようとしている – MRIC
石巻市が津波で浸水した地域を建築基準法第39条(*1)の災害危険地域に指定して、住民に立ち退きを迫り、高台(あるいは他地域?)へ移住させようとしている件について、「行政の横暴により町が消滅しようとしているのだ」という批判があります。もとの町に戻りたいという感情は理解できますし、どこまで浸水すれば「危険」かについては適切に判断されるべきかと思いますが、行政は住民を想定される自然災害から守る義務があると考えますので、私は基本的に石巻市の方針に賛同します。
「石巻市は、住民の意向を意図的に操作し、1cmでも浸水した地域にこの建築制限をかける方針という。このような規制がかかると、雄勝町のような小さな町はひとたまりもない」という事ですが、行政は住民の「長期的」な安全を守る為に、時には住民の非合理的かつ感情的な意見を無視したり、合理的な方向へ誘導する事が必要と考えます。というか、それが政治というものではないでしょうか。
3・11はこれから日本で起こるであろう大津波被害を行政が再検討するきっかけを与えてくれたと考えるできです。今回の例が示したように、大津波がくれば津波堤防で低地の資産や人命を守る事は困難です。都道府県は市町村と協力して地質学的な大津波の痕跡調査を行い、 周期的な大津波が来る可能性がある地域は順次、住民の組織的な強制移住を行うようにするべきです。いつか津波が来るとわかっている場所を居住地として許可し続ける事は、行政による「未必の殺人」のようなものかと思われます。必要であれば市町村が住民の強制立ち退きができるように、国会で立法するべきです。
(*1)
建築基準法第39条 地方公共団体は、条例で、津波、高潮、出水等による危険の著しい区域を災害危険区域として指定することができる。
2 災害危険区域内における住居の用に供する建築物の建築の禁止その他建築物の建築に関する制限で災害防止上必要なものは、前項の条例で定める。
Posted in 1.政治・経済 | 2 Comments »
Posted by bobby on December 4th, 2011
まずはこのビデオを見てください。SixthSenseはPranav Mistry氏が開発したgestural interface(身振り手振りのユーザーインターフェース)で、シンプルな手振りで様々な処理を行う事ができる(映像を見る限り)完成度の高そうなコンピュータ制御技術です。SixthSenseの素晴らしいところは、制御を行う為のハードウェア部分がたった300ドルで作れ、制御ソフトウェアはオープンソースで公開すると言っています。
このテクノロジーは、下記のような発展の可能性を持っています。
1)家の中の家電や照明や暖房などの操作。
2)飛行機やトラックなど大型の乗り物の操縦。
3)ミリタリー分野。
SixthSenseが音声インターフェースに比較して優れていると思われる点を列挙します。
1)音声言語と違い国別のローカライゼーションがほぼ不要。
2)音声と違い各人の癖の学習がほぼ不要。
3)音が伝搬しない宇宙空間でも使用可能。
オープンソースとして公開された後は、いろいろな企業が自社製品への組み込んで発展させ、イノベーティブな製品を世に出してほしいものです。でも、ソフトが普及する前にgoogleかAppleかMicrosoftに買われる可能性が高いのではないかと予想しています。
Posted in コンピュータ及び科学全般ネタ | No Comments »
Posted by bobby on December 4th, 2011
志村氏は、ひとたびシビアアクシデントが起きれば国土が壊滅するような原発を輸出するのは、あたかも死の商人のようだと述べておられます。志村氏にお聞きしたのですが、日本のどこが原発で壊滅したのでしょうか?もしかして津波被害を原発被害と重ね合わせる印象操作の意図でもあったのかと疑問を持つような今回の記事の内容でした。
廃棄物の処理法にしても、優柔不断な政治的リーダーが責任を取りたがらない日本固有の政治問題であって、技術的な問題とはいえません。もともと廃棄物には地層処理という明確な方法があり、他国では既に実施されています。日本で未だに実現できないのは、無能な政治家による怠慢の為としか説明のしようがありません。
Posted in ブログ評論, 釣りネタ, 1.政治・経済 | No Comments »
Posted by bobby on December 4th, 2011
米国の台湾放棄は、アジアの核開発競争につながる – 海国防衛ジャーナル
日米安保と核の傘は、核戦争がはじまれば米欧日は一蓮托生と考えられていた冷戦時代の遺物です。ブロック経済化が進む冷戦後の世界で、太平洋の向こう側にある日本の為に、膨大な米国民を核の犠牲にするような軍事戦略を、米国はいつまで維持できるのでしょうか。
海国防衛ジャーナルが紹介した記事にもあるように、米国の国内意見はつねに一枚岩という訳ではありません。経済発展して米国民に余裕のある時代には、「台湾放棄」のような意見など一笑に付されるでしょう。しかし経済が下降し続けて国内政治が乱れるような事があれば、米国が世界への関心を失い、孤立化の道へ舵を切る事がないとは言えません。
日本がこれから進むべき道を冷静に考える時、日米安保と核の傘に一方的に依存した安保戦略というのは問題はあるように思われます。
Posted in 1.政治・経済 | No Comments »
Posted by bobby on December 2nd, 2011
苦手な人たち増量中 – 北沢かえるの働けば自由になる日記
レストランで食事中に、努力していない同僚を叩く人の会話を聞いて、隣のテーブルにいた母娘が「あの人嫌ね」という会話の流れから、学歴・資格からくる待遇の差別化への違和感を切り口に、大阪の橋本行政の教育問題批判を展開しています。この記事をよんで、「ああ、こういう人が嫌われる空気が蔓延している事が、日本が衰退している根本原因だな」と思いました。どこからか、SMAPの曲(世界にひとつだけの花)が聞こえてきそうです。
私が子供の頃は、あしたのジョー、巨人の星、アニマルワン、アタックナンバーワンなど、努力して日本一、世界一になる漫画がたくさんありました。高度成長期が終わる頃までは、一番になる為の努力が評価され尊ばれる空気が確かにあったのではないかと思います。
誰もがイチローや本田圭佑になれる訳ではありませんが、それでも努力して競争する事により、結果として自分の能力や待遇を向上させる事ができます。故に、自分自身を高める為の目的として競争する事は、決して悪い事ではありません。レストランで同僚を叩いていた女性は、実はその同僚を案じていたのであり、自分の苦境を自ら改善しようとしない事が、心の中で歯がゆかったのではないでしょうか。
Posted in ブログ評論, 釣りネタ | No Comments »
Posted by bobby on December 1st, 2011
ICRPは1985年のパリ会議まで、線量限度を1年5ミリシーベルトと勧告していました。その頃に放射線医学あるいは疫学上の重要な発見があったという話はいまのところ見つけておりませんので、年5ミリから年1ミリにかわった理由は、科学的なものでも医学的なものではなく政治的な都合であったのだろうと推測します。
放射能を出す物質というのは自然界にはありふれているのですが、まとまった線量を出す物質は、人が居住する世界では基本的に人工物に限られます。そういう人工的な放射線物質を偽政者は嫌うので、放射性物質は可能な限り厳密に管理されているべきです。故に、武田邦彦氏が指摘しているように、放射線を管理する法律は現在の日本でもかなり厳しく、管理者へ資格を要求したり、管理区画を指定したり、そこからみだりに移動できないようにしたり、それらに違反して管理エリアの外側へ放射性物質をまき散らした者を厳しく罰するようになっています。年5ミリを年1ミリに修正したのは、そういう流れの中での事で、政治的な必要性があっての事だったのでしょう。
ところが今の日本は広い範囲にわたって1年1ミリをキープできなくなりました。こうなってしまったからには、1年1ミリを行政的続ける事はメリットよりデメリットの方が大きくなりました。1年5ミリに戻せば、福島の大半の農作物は問題がなくなり、除染しなければならばい場所も極めて少なくなり、税金を大幅に節約できます。
ならば政府は早急に法律を改正して、日本全土の年間線量を1年5ミリに変更するべきです。欧米露中の原水爆核実験が盛んに行われていた1950〜60年代に、欧米も日本も年間5ミリで特に問題はありませんでした。当時は問題なかったが、今は駄目な理由があれば別ですが。たとえば地球の物理定数が変わったから、とか。(笑
Posted in 1.政治・経済 | No Comments »
Posted by bobby on December 1st, 2011
福島県産米問題がもたらしたモラルハザード – 花水木法律事務所
武田邦彦氏の言葉を借りれば、基準値以上に汚染した米を、放射能汚染があった福島の県外へ持ち出す事は法律違反なのだそうです。また、基準値以上に汚染された米を食べる事は、疫学的には避けるべきと考えられています。この考えに従えば、10年米を買う、東北以外の米を買うという事は、家族を守るという目的に対して合理的と考えられます。
ところで上記の記事で検査した米とは、下記のどれを指しているのでしょうか。
1)脱穀前の米
2)玄米
3)精米
4)洗浄した精米
福島県から県外へ出荷する段階で放射能汚染が基準値を下回っていれば、米の移動に法的な問題はないと考えられます。また、スーパーへ並ぶ時点で汚染が基準値を下回っていれば、消費者は購入する事ができます。
米の表面に付着した放射能が内部へ染みこんで行くのでなければ、精米して洗浄すれば、基準値を下回る「商品」として販売可能かと思われます。
多くの人が福島県のものを買って復興の助けになりたいと言いながら、どうしたら「食べられる」ように出来るかという知恵を出さないのは不思議だと感じています。
Posted in ブログ評論 | No Comments »
Posted by bobby on November 28th, 2011
どうして政府が医療保険を提供するか – 経済101
政府が医療保険を提供した方がうまくゆく一番の理由を逆選択で説明しています。民間の場合には、保険会社が入って欲しいと願う健常者ではなく、保険料の支払いを希望する疾病者がより多く選択するという理屈です。これに対して保険を政府が提供する場合は、すべての対象者を(一定の強制力をもって)加入させる事ができるので、充分な健常者を保険加入者として集める事ができるというものです。
なるほどと思うのですが、民間の道も残されているかと思います。民間金融機関による401K型の強制退職年金積立金のような感じで、政府が基本のメニュー内容を法律で決めて枠組みをつくり、それに沿って民間保険会社が保険商品をつくって販売すれば良いのではないでしょうか。以下は政府が決めるべき必須内容です。
1)保険医療の点数と金額。
2)保健医療の適用範囲。
3)医療保険の対象者範囲。
その上で、医療保険の対象者が必ずどこかの医療保険に加入する事を法律で義務化する事で、「逆選択」の効果をキャンセルする事が可能ではないでしょうか。
また、民間保険にする事で、点数計算確認や医療費のやりとりは病院と保険会社間で行われる事になり、医療保険行政の役所と役人を大幅に人員削減できると思われます。
Posted in 1.政治・経済 | No Comments »
Posted by bobby on November 28th, 2011
私は世の中の節目節目で、流れをキックする人物に興味をもってしまうところがあるようです。プロレスはタイガーマスクから、政治は小泉首相から、経済は池田信夫ブログから見始めたと言っても過言ではありません。(笑
さて今回、大阪維新の会がダブル選挙に勝利して橋本大阪市長が誕生しました。今回の選挙で私が強く感じたのは、「壊し屋」橋本氏のカリスマによって、道州制へ向けて政治が大きく動くのではないかという予感です。大阪維新の会の他に、地方には名古屋市長の川村たかし氏と減税日本、松山維新の会、中田宏氏と日本創新党などがありますが、閉塞する地方を改革したい政治家はもっともっといるはずです。それらをまとめる強いリーダーシップがあれば、道州制を前提とした地方分権への全国的な流れが生まれるでしょう。
橋本大阪市長は、高杉晋作で終わるのか、坂本龍馬となるのか、これからが楽しみです。
Posted in 1.政治・経済 | No Comments »
Posted by bobby on November 27th, 2011
ホリエモンのライブドアをネガティブな意味で「虚業」と指摘した一零細企業経営者の「経営感覚」に違和感を覚えました。たしかに当時のライブドアが事業を拡大する為にいろんな手法を用いていたのは事実だが、検察が出てくるまでは黒ではなかったし、シリコンバレーのように投資家(融資ではない)を集める事が困難な日本のIT業界では、ライブドアの手法は苦肉の策だったと理解するべきです。
責任を取らないジャンキー(中毒者)が「ソブリンリスク」を高める – 木走日記
更に違和感を覚えるのは経営責任に対する考え方です。倒産するまで頑張って会社と心中する事が経営責任ではありません。きちんとした事業計画を立て、資金繰りを管理し、身の丈にあった経営をしていれば、そもそも会社は倒産しない。それでも経営不振で赤字が累積してゆく場合には、無謀な融資を考えるより、早めに自主廃業するのがまっとうな経営責任の取り方です。
日本の中小零細企業の経営者が無限責任を負いたがるのは、自主廃業する勇気がないからではないでしょうか?
Posted in ブログ評論, 釣りネタ, 1.政治・経済 | No Comments »
Posted by bobby on November 14th, 2011
意図的な「飛ばし」で粉飾決算を行ったオリンパスの菊川会長は、どうやら司法の手から逃れるようです。これだけの大きな金額を、悪質な手段で長期にわたり、意図的に隠蔽工作を行ったにも関わらず、上場廃止はおろか、関係者を検挙する気配もないのはどうした事でしょうか。
課徴金がいい – 弁護士早川忠孝の一念発起・日々新たなり
ホリエモンのライブドア事件の対応とは、だいぶ異なるようです。歴史ある立派な会社(と経営者)は守られて、ぽっと出の若者が経営するIT企業はよってたかって潰されるという、この国の司法のダブルスタンダードには開いた口が塞がりません。
Posted in ブログ評論, 釣りネタ, 1.政治・経済 | No Comments »
Posted by bobby on November 7th, 2011
前記事のTwitterコメントを読みましたが、放射能汚染を起こしたのは東電だから、風評被害の責任も東電が負うべしという意見は、筋が通っておらずすっきりしません。個々の人の行動が正当性(*1)を持たないからこそ「不評風評被害」と定義されるのであり、そのような不合理な行動の結果にまで東電が責任を負うべき、というのは筋が通らないと感じます。
1年1ミリを1ミリでも超えたら法律違反というのは、現在の法律では正しい認識ですが、法律違反=健康被害は間違った認識です。1ミリでも超えたら健康被害という科学的に明白な根拠があれば、そもそも1年0.01ミリあるいはそれ以下に設定されていたでしょう。健康被害を真剣に考慮するのなら職業従事者(原発作業員)の限度値を参照するべきです。それを知っているべき立場の武田邦夫氏の記事には問題があると考えます。また、被爆についてのダブルスタンダードを作って国民を混乱させているのは東電ではなく政府です。その結果、国民が過剰防衛に走り、風評被害が生じたのであれば、それは東電ではなく政府の責任を問うできです。
放射線がそこにあるのだから「実害だ」という意見がありました。放射能は自然界のどこにでもあるので、ある事自体が問題だというのは間違った認識です。逆に、そのような意見こそが風評被害を招くと考えます。ただあるのではなく、健康被害を起こすレベルである場合に、「実害だ」という事が言えます。以下にwikiの自然放射線の記述を引用します。ちなみに、1年1ミリにこだわってる武田氏などの知識人は、これと自説との辻褄を会わせて頂く事を希望します。
「人間が受ける自然の放射線による被曝の内訳は、宇宙線から年間ほぼ390マイクロシーベルト、地殻・建材などからの自然放射性核種から年間480マイクロシーベルトの外部被曝を受けている。そして体内に存在している自然放射性核種(カリウム40、炭素14)から年間ほぼ290マイクロシーベルトの内部被曝を受けている。これらに加え、空気中に含まれているラドンから年間約1260マイクロシーベルトの被曝を受けている。合わせて自然界から年間2.4ミリシーベルト前後の被曝を受けていることになる。」
放射能汚染状況に関する情報不足を問題視する人がいました。これは私も同意しますが、情報不足の責任を問うのは東電ではなく、政府であるべきです。政府は監督官庁として情報提供を強制する権限を有しているからです。それを意図的にしないのだとすれば、原子力関係の情報を管理する国際的な秘密協定でもあるのでしょうか?
(*1)風評被害そものもの是非は議論していません。個人が自分と家族を守るために行う防衛行動は、その人と家庭内においてはそれなりに合理性があると考えます。しかしながら、そのような意見が公言され、その為に貿易防衛行動が集団で行われた場合、消費者の利益と供給側(農林水産業者や企業など)の利益が背反する事は明白です。ここで問題を提起しているのは、単純に、風評被害の責任は誰にあるのかという事です。
Posted in 1.政治・経済 | 7 Comments »
Posted by bobby on November 6th, 2011
3・11による放射能汚染の風評被害について、東電が損害賠償せよという意見が有りますが、私は大きな違和感を持っています。原子炉の損壊による放射能汚染と、結果として生じた風評被害は別問題です。理性的に考えれば、東電は「積極的に風評被害を起こす」合理的理由は何もありません。物事は是々非々(*1)で考えられるべきです。
まず認識すべきなのは、風評被害の直接の加害者は誰かという事です。これは誰かといえば、それを行っている個人ひとりひとりです。しかし、風評危害を受けた農家や企業が、個々の人に対して損害倍書を請求するのは、人数も多いし、特定したり証明したりする事が困難です。ゆえに風評被害を行っている直接の加害者に対して損害賠償の訴訟を起こす事は現実的と言えません。
風評被害を行っている直接の加害者に責任を追求する事ができないとしたら、次に責められるべきは誰でしょうか。私は新聞やテレビなどのメディア企業と考えます。個々の人が風評被害を起こす事を決断する為には、その人にとっての根拠となるべき、偏向された情報源が必要です。テレビや新聞は、建前として政府の方針である「年20ミリでも安全」を支持しているように見えますが、個別的にみると大臣の記者会見で汚染水を飲めと要求して「話題」を自分で作るなどで風評被害を煽り、売上や視聴率を伸ばそうとしています。農家や企業は、新聞社やテレビ局に対して、そのような記事や番組を根拠として、損害賠償を起こす事は可能ではないでしょうか。
日本には言論の自由というものがあり、基本的に誰でも好きな事をネット上で発言できます。しかし、それが大きな影響力を持つ場合は、発言内容に責任を求められる事もあります。代表例は個人や会社への誹謗中傷で、しばしば裁判沙汰になります。「1年1ミリを少しでも超えると危険である」という主張は、個々の人が風評被害を行う主要な原因のひとつと推測されます。政府の1年20ミリはÌCRPの勧告がベースになっており政治的な根拠があります。1年100ミリ以下で人体に悪影響がある証拠が無いと、多くの科学者が述べています。このような状況があり、1年20ミリで問題ない事が結果として証明された場合、武田氏を含む、1年1ミリに固執した人達は、風評被害で民事訴訟の対象となる可能性があると思われます。
(*1)震度6の地震あるいは15メートルの津波と、福島第一原発の放射能汚染の相関関係は明白ですが、原子炉と燃料プールが損壊した原因について、東電の経営者が無過失であるかどうかは、伝わってきた情報から考えると疑うに十分な合理性があり、司法の手で調査し判断して欲しいと望むものです。
Posted in 1.政治・経済 | 16 Comments »
Posted by bobby on November 2nd, 2011
3・11以降、国の言う通りにしていれば何とかなるという時代が終わったという意見があります。広範囲に居住する国民が、福島第一原発の放射能汚染とともに暮らしていかなければならなくなった事について、「信じていた政府に裏切られた」という気持ちを持っている人は多いのではないかと思います。しかしちょっと待って下さい、私たちは政府の何を信じていたのでしょう。そして「信じる」という行為は正しかったでしょうか。
欧米の民主主義とは、国民一人一人が国や政府に対して意見を持ち、その意見を反映してくれる議員を選んで政府へ送り込み、国民の意思を反映する政策を行わせる事だと思われます。国民は選挙において、議員や政党の約束(どのような方法で結果をもたらすか)を実行する事を「信じ」る故に投票します。
その一方で日本・中国・韓国・台湾など東アジアの国々では、欧米から民主主義の思想が直接・間接的に導入されてからも、多数の国民の政治意識は低く、利己的な結果だけを「お上」に求める強い依存心が存在しているのではないかと推測します。国民は選挙において、議員や政党があなたに何をもたらすかという約束には強い関心を示しても、具体的な実現手段(こむずかしい理屈)については、長い間、興味がありませんでした。具体的な実現手段を考える代わりに、「信じる」という手段に置き換えてしまったのだと思います。
結局、3・11の悲劇を招いたのは、実現手段を政府へ丸投げして、結果が出る事を「信じる」という事を行っていた国民自身であったのではないでしょうか。
Posted in 1.政治・経済 | Comments Off
Posted by bobby on November 1st, 2011
日本の農業はすでにほとんど「開国」しており、問題は米だけなのだ。もちろん米はもっとも重要な農作物なので、農業団体が必死になるのも理解できるが、米を偏重した社会主義農政が農業を滅ぼしたことは、多くの専門家の指摘するところだ、と主張しているのは池田信夫氏です。
TPPについてのウソとホント
円高維持と米麦の輸入自由化が実施されれば、「主食」の国内流通価格がかなり低下して、国民の大多数を占める中低所得者の台所事情が確実に改善されます。ところがTPP反対派は、GDP比率で0.36%、人口比率で3%未満の農家の「既得権」を守る為に、97%の国民に我慢を強いようとしています。
これほど露骨な国民不在の既得権保護があるのでしょうか?
Posted in ブログ評論, 釣りネタ, 1.政治・経済 | No Comments »
Posted by bobby on October 30th, 2011
新刊だけでなく、これまでに出した全ての書籍を電子化する権利を渡せというんです。しかも、それに対して出版社側は拒否権を持てないというんですと怒り、嘆くのはS出版社の編集長です。というのも、アマゾンから送られてきた契約書の内容が、アマゾンに一方的に都合の良い条件で書かれているからなのだそうです。
「こんなの論外だ!」アマゾンの契約書に激怒する出版社員 国内130社に電子書籍化を迫る
記事の内容だけを読むと、たしかに「アマゾンって何様よっ!」って怒りを感じる人がいるかもしれません。でも、私から見ると、この編集長さんはビジネスの「ビ」の字も判っておられないのではないかと、逆に心配になってしまいます。
送られてきた契約内容が一方的であるので、編集長さんは、あたかもS出版社(ひいては日本の出版業界)が見下されていると感じたのかもしれません。日米出版界の文化的な違いがあるかもしれませんが、大きな相手とのビジネス交渉は、幕末の通商条約を見るまでもなく、いつの場合も不平等な条件が出発点と考えるべきです。土木ゼネコンや大手家電メーカーの下請け契約書などは不平等契約の代表例かもしれません。実際のビジネスでは、そこからどのように良い条件にもって行くかが問われるケースが多々有ります。
では相手とどのように交渉してゆくかというと、私ならこんな感じでやるかと思います。
1)個々の出版社の持つビジネスは小さいので、出版社が集まって商権を集約し、買い手に対する相対的な交渉力を高める。
2)アマゾンの競合であるアップルや国内の取り次ぎ業者を引っ張り出してきて、複数の「買い手」が互いに競争するように仕向ける。
3)相手がアマゾンとなった場合、日米出版界の商習慣の違いに詳しい代理人を立てて、交渉を委託する。
上記は作家と出版業界が一体化している場合にはそれなりに有効かと思われます。しかしながらこちらの記事を読むと、「あれれ、出版社もアマゾンの事をあまり言えないよね」的な感じですから、出版社と作家の関係に楔を打ち込む戦略で対抗された場合には、大きな異変が生じる可能性は否定できません。
Posted in ブログ評論, 釣りネタ, 1.政治・経済 | No Comments »
Posted by bobby on October 30th, 2011
野田総理におかれましては、ぜひ党内の異論をねじ伏せて、日本がTPP交渉の中で有利なポジションをとれるように、早めにTPPに参加できる環境を整えてほしいと思います、と主張するのはみんなの党の山内康一衆議院議員です。
TPPで勝負する覚悟 – 螳螂の斧
野田総理はこれまでの民主党出身総理大臣にくらべて、あまり自分の政治構想を発言されないようですが、増税路線を進める一方で、ベトナムへの原子力発電プラントの輸出支援や、TPP参加表明など、経済発展にも努力しているようですから、(総理に対して失礼な物言いをお許し頂き、)まずはどのような成果が出せるのかお手並み拝見させて頂きましょう。
Posted in ブログ評論, 1.政治・経済 | No Comments »
Posted by bobby on October 30th, 2011
世界の文明史の中で日本の居場所を考えると、私としては言いたいことがある。歴史的にも地理的にも、日本は中国大陸の周辺であって、太平洋の向こうのアメリカと同盟するのは、非常に不自然と言うしかないのだ、とTPP問題で意見を述べているのは志村建世氏です。
TPPについて考えてみた
どちらかといえば、私も志村氏の意見に同調します。日本と米国が比較的相性が良いのは、米国による戦後の対日戦略の影響が大きい為と考えます。しかしながらこの状況は、中国と付き合ってきた長い歴史と比べれば微々たる期間に過ぎません。日本人のネトウヨが、どんなに中国は嫌いだといっても、客観的に見れば米国より中国の文化との共通点の方がよほど多いと言えます。そして地理的にも太平洋の向こう側の米国より、日本海の向こう側の中国の方がよほど近いのです。
そうは言ってもいまのところ、米国と中国の二者択一をせよ、という政治的状況でもありませんから、TPP交渉にも顔を出し、返す刀で中韓台でFTA協議をするといった強かさが日本の政府に生まれてほしいものです。
Posted in ブログ評論, 1.政治・経済, 3.中国ネタ | No Comments »
Posted by bobby on October 23rd, 2011
iPhoneはGalaxy Sにくりそつ(死語)で述べたサムソンのGalaxy S(SHW-M110S)は、外見と言い、ぱっと見のユーザーインターフェースと言い、iPhoneに似ていました。でも、Galaxy S(SHW-M110S)の方が1年も早く世に出ていますから、は資料の参照ミスによる初歩的な間違いでした。間違い情報についてお詫びします。2006年に発売されたサムソンの携帯電話(スマホじゃない)で、見た目がiPhoneに似た感じの機種があったと覚えていたのですが、私の勘違いのようでした。
前の記事は上記の間違によりミソがついてしまい、記事の核心であるところの「タッチスクリーンや、画面にアイコンを並べるユーザーインターフェースもiOSが最初という訳ではありません。ジョブズがゼロからiOSを生み出したというには無理があると思われ」の説得力がだいぶ低下してしまいました。そこで、以下に補足記事を加えたいと思います。
iPhone登場以前にスマホを使っていた方は少なかったので、どんなスマホがあったのかご存知無い方が多のではないかと思われます。2007年以前にも、iPhoneの基本的な機能デザインに近いスマホはいくつもありました。
iPhoneの基本的な機能デザイン要素
1)キーボードが無く、
2)タッチスクリーンで操作を行い、
3)画面上のアイコンをタッチしてアプリを起動。
百聞は一見に如かず。2002年から2007年のiPhone登場までの間で、上記の条件を満たす、スマホの代表的なメーカーであったNokiaとHTCのモデルをいくつか選んで写真をご紹介します。iPhoneが下記のスマホに似ているかどうか、あたな自身の目でご判断下さい。
2002年 HTC XDA

2003年 HTC XDA2

2004年 HTC XDA IIs

2005年 Nokia7710

2006年 HTC XDA Nero

2007年1月 Apple iPhone

(*)今回はかなり時間をかけて調べたつもりですが、情報に誤りがありましたら、元ブログのコメント欄でご指摘下さい。
Posted in コンピュータ及び科学全般ネタ, 釣りネタ, 1.政治・経済 | 20 Comments »
Posted by bobby on October 23rd, 2011
ニセモノ業者が、商標権を有する本物業者からライセンスを取得したという場合、ニセモノに本物の商標を付けても商標法上は問題がない。しかし景表法的にはこのような表示を禁止している。ライセンスを取得しても、品質が劣るものを高品質と誤認するような示が許されるわけではないはず、と主張されるのは町村泰貴氏です。
consumer:景表法と商標法との衝突可能性 – Matimulog
本記事はなかなか興味深い事を示唆している事に気づきました。ニセモノ業者を途上国のライセンス生産者、あるいはメーカーの途上国工場と読み替えると、このような例は実際にたくさんありそうです。
上海に駐在していた時に、日本の食品メーカーのパックご飯(現地生産だが日本語のパッケージ)をよく利用していました。値段が安いので気にしていませんでしたが、日本国内のパックご飯に比べるとやはり品質には大きな違いがありました。これを日本へ平行輸入して、国産品と同じ値段で販売すると、上記のような状況が生まれるのではないかと思われます。
Posted in 1.政治・経済 | No Comments »
Posted by bobby on October 23rd, 2011
「私は、Android を叩き潰すつもりだ。Android は(Apple のiOSから技術を)盗んだ製品だからだ。そのためなら核戦争だっていとわない。この不正を正すのに必要であるなら、人生最後の日々をすべて使っても、銀行にある Apple の400億ドルをすべてつぎ込んでもかまわない」と生前のジョブズ氏が伝記の中で述べているそうです。
Steve Jobs 氏、Android OS を「叩き潰す」と誓っていた
スマートフォンの技術要素の多くは、Palm、HTC、ノキア、ブラックベリーなどが試行錯誤を繰り返しながら生み出して来たものです。タッチスクリーンや、画面にアイコンを並べるユーザーインターフェースもiOSが最初という訳ではありません。サムソンのGalaxy S(SHW-M110S)は、外見と言い、ぱっと見のユーザーインターフェースと言い、iPhoneに似ていました。でも、Galaxy S(SHW-M110S)の方が1年も早く世に出ていますから、(*1)ジョブズがゼロからiOSを生み出したというには無理があると思われます。
韓国版Galaxy S – パーム飲茶
ジョブズの現実歪曲空間は割と有名な話しですが、自分の製品に似ているものは全て「俺の技術をパクった盗作」という考え方は、自信過剰も度が過ぎて、かなりのパラノイアと言えるのかもしれません。
*1:すみません。Galaxy S(SHW-M110S)は2010年3月にアナウンスされたので、完璧に間違いです。過去資料を検索しているときに、記事の日付を間違えてしまいました。違う機種で該当するものがあるかどうかは、再度調べていますので、あとでまた記事上でお知らせ致します。
*2:「ジョブズはゼロからiPhoneを作ったわけじゃなく、それ以前にも機能的に似たようなスマホはあった」という核心部分についての補足記事を新しく書きました。核心部分について批判される方は、そちらの記事でお願い申し上げます。(2011/10/24)
iPhoneに影響を与えたスマホ達
Posted in コンピュータ及び科学全般ネタ, 1.政治・経済 | 37 Comments »
Posted by bobby on October 21st, 2011
自分がジャーナリズムやってます、とはおこがましくて言えないけれど、何かを探求する際は、自分が納得するために手段を選ばずにやることを「是」としたい、と主張するのは、木っ端ブロガーを自称するジャーナリストのParsleyさんです。
「会見ごっこ」なら「自由」でも「報道」でもなくない? – Parsleyの「添え物は添え物らしく」
ジャーナリストの本分は政府や大企業などの隠された犯罪を追求する事かもしれません。その為に政府が定めた「法」を一時的に破る事が正当化される事もあり得るでしょう。1枚の決定的な証拠写真を撮る為に、犯罪者の敷地内へ不法侵入する場合などが例として浮かびます。しかしそれは、法律を破る事による社会的不利益より、犯罪を暴く事による社会的利益が十分に大きい事が明白な場合で、更に、法律を破るしか他に犯罪を証明する事が困難である等、いろんな制約条件が付加されており、ジャーナリストの特権ではありません。
Parsley氏の発言で更に問題なのは、政府の法だけでなく、自分たちが決めた会見ルールについても同様に破って構わないという考えです。会見は「鉄火場」なのだから、緩いルールはけしからんというのは一つの尊重されるべき意見ですが、ジャーナリストは正義なのだから、ルール無視して結果重視で行こうという考え方は、昨今激しい非難を浴びている「特捜」の正義と同じような墓穴に至る道だと思います。
如何でしょうか。
Posted in 1.政治・経済 | No Comments »
Posted by bobby on October 20th, 2011
1年1ミリシーベルトの歴史をたどってみると、もともとは年間5ミリシーベルトであったものが、1985年のICRPパリ会議から、年間1ミリシーベルトになります。1988年に国連科学委員会が自然放射線の報告(世界平均で年間2.4ミリシーベルト、日本平均は年間1.4ミリシーベルト)がありましたので、その頃から自然放射線という考え方がICRPへ影響を与え始めたのだと推測します。実際の勧告で適用されたのは1990年からのようです。
自然放射線量が平地で年間およそ1ミリシーベルトだから、ICRP勧告の基準値を1ミリシーベルトにしたというのであれば、原子力発電所などから漏洩した放射線の被爆量を、自然放射線量の上に更に年間1ミリシーベルト加える事はできません。被爆量が年間2ミリシーベルトになってしまう可能性があるからです。
ICRPは、もともとは国際X線およびラジウム防護委員会( IXRPC)というで放射線医学の専門家を中心とした集まりであったものが、より広い範囲に適用する為に、原子力関係の専門家が加わってICRPに変更されたのだそうです。つまりICRPの勧告のターゲットは病院や原子力発電所などで、漏洩放射能に対する被爆量の管理が目的と考えられます。
そこで問題です。ICRP勧告の1年1ミリシーベルトは、
1)人間の被爆総量に対する許容値でしょうか?
2)病院や原発など放射線源を扱う者が、放射能を漏洩した場合の規制値でしょうか?
1)の場合には、自然放射線量の想定値が既に1ミリシーベルトより大きいので、福島第一の漏洩放射能は0.1ミリシーベルトも加える事ができません。また高地の自然放射線量は平地の2倍だそうですから、年間2ミリシーベルトの地域は除染しないと法律的に居住できない事になってしまうのではないでしょうか。
2)の場合には、自然放射線量は無視して、人工的に漏洩した放射線量だけを集計するので、福島第一から漏洩した放射線量が1年1ミリシーベルトという意味になります。しかし、両方足すと年間2ミリシーベルト(高地では年間3ミリシーベルト)になりそうです。ゆえに1990年以降のICRPの勧告が2)であるのなら、1年1ミリシーベルトは、被爆による健康被害の許容値ではないという事になってしまうのではないでしょうか。
Posted in コンピュータ及び科学全般ネタ, 1.政治・経済 | No Comments »
Posted by bobby on October 20th, 2011
日本の法律の根拠となっているICRPの勧告は、どのように作られ、どのような変遷をたどってきたのでしょうか。これを知る事で、1年1ミリシーベルトの真相に近づく事ができるかもしれないと考え、ネットをいろいろ探しまくって、財団法人高度情報科学技術研究機能のサイトに行き当たりました。以下に、概略をまとめてご紹介します。詳細は下記リンクページをご精読下さい。
一般人に対する管理基準とその考え方の推移
1)米国放射線防護委員会(NCRP)が1948年に勧告
公衆の個々の構成員に対して、超えてはならない放射線被ばくの上限値(線量限度または管理基準)を定めることの必要性を議論し、1948年に、「一般公衆の被ばく線量は、従事者の許容被ばく線量の10分の1以下にすべきである。」と勧告したことが一般人に対する管理基準の始まり。
2)国際放射線防護委員会(ICRP)が1954年に勧告
NCRPの勧告をそのまま採用。
3)ICRPの1958年の勧告
「一般公衆には小児が含まれるので、年間0.5レム(現単位:5ミリシーベルト)を適用すべきである。」と勧告。
4)ICRPの1962年の勧告
「集団全般の中には、生殖腺および造血臓器に対し、さらに低い線量を適用すべきであると考えられる小児が含まれるので、集団の個人に対する線量限度は、生殖腺および造血臓器に対して年0.5レム(現単位:5ミリシーベルト)とする。」と勧告。
5)ICRPの1965年の勧告
(1)公衆の構成員の中には放射線による危険性(リスク)の大きい子供が含まれている。(2)公衆は被ばくするかしないかに関して選択の自由がなく、さらに、被ばくによって直接的利益を受けない、(3)公衆は放射線以外の自分の職業からの危険にもさらされているという理由から、公衆の線量限度を従事者の10分の1に決めることが適切であるとした。
6)ICRPの1977年の勧告
「放射線の危険性は、公衆がさらされているあらゆる環境の危険要因のうちのほんの一部にすぎない。したがって、一般公衆が日常生活で放射線以外の危険性をどのように容認しているかに照らして、公衆に容認されうる線量限度を考察することが合理的である。」としており、その容認されうる危険性とは、職業上の危険性の10分の1より小さいとしている。その結果、一般公衆の容認する危険性とは、一生涯を通じて年あたり1ミリシーベルトの全身被ばくに相当するとしている。また、公衆に被ばくをもたらすような行為は数が限られており、最も多く被ばくする人々の被ばくを5ミリシーベルトにおさえれば、公衆の平均被ばく線量は年0.5ミリシーベルトを超えそうもないので、「前の勧告に引き続き、年5ミリシーベルトの線量限度を公衆の個人に適用する。」とした。
7)ICRPの1985年のパリ会議における声明
「公衆の構成員の主たる線量限度は年1ミリシーベルトとする。ただし、生涯の平均が年1ミリシーベルトを超えることがなければ、年5ミリシーベルトという補助的限度を数年の間使用してもよい。」という声明を出した。
8)ICRPの1990年の勧告
公衆被ばくの線量限度の選択には、(1)放射線による危険性が公衆にとって容認されるレベルを選択すること、および(2)自然放射線源からの被ばく線量の変動、例えば、居住する場所による変動などで公衆がすでに容認しているレベルを選択する方法があるとしている。前者については、正確な判断は困難であるけれども、おおよそ1ミリシーベルトをあまり超えない年線量限度の値を示唆するものであるとした。後者については、変動の多いラドンによる被ばくを除いたとしても、自然放射線による平均的な年線量は約1ミリシーベルトであり、海抜の高い地域では少なくともその2倍の線量はある。したがって、これらのことを総合的に判断して、公衆の年線量限度として1ミリシーベルトを勧告するとしている。さらに、5年間の平均が年1ミリシーベルトを超えなければ、単一年にはこれより高い線量が許されるとしている。
1977年までは年間5ミリシーベルトだったのが、1985年のパリ会議から年間1ミリシーベルトに変更されました。1988年に国連科学委員会が自然放射線の報告(世界平均で年間2.4ミリシーベルト、日本平均は年間1.4ミリシーベルト)がありましたので、その頃から自然放射線による常時被爆という考え方がICRPの中に持ち込まれたのでしょう。
Posted in 1.政治・経済 | 1 Comment »
Posted by bobby on October 19th, 2011
どんな法律にも根拠があります。日本の法律を1年1ミリシーベルトにしたのは、ICRP(国際放射線防護委員会)の勧告に準拠したのが理由であって、1年1ミリシーベルトなら「国民が安全に感じる」からという訳ではありません。ゆえに武田邦彦氏のこの記事は、基本的に読者をミスリードするものだと思われます。
法律には根拠があります・・・「安心」を得るために
武田氏は「年間100ミリ以下の被爆による人体への影響は臨床医学的に解明されていない」という事を盾にして、1年1ミリの法律遵守を主張してます。確かに法律は遵守するべきで、武田氏の意見は一般論としては正論です。しかし科学者として意見を述べるのであれば、法律の根拠を科学的に評価する事も重要ではないでしょうか。
自然界には普遍的に放射性物質が存在し、地上・空・地下に住むあらゆる生物が常時被爆しているそうです。人間が一年間に被ばくする自然放射の量はどのくらいかというと、1988 年国連科学委員会の報告では、全世界での平均値は1年2.4ミリシーベルトだそうです。(日本の推定値は年間1.4ミリシーベルト)。
自然線量
世界中に存在する自然線量の平均値が、ICRPの勧告値を既に上回っている事実を前にして、1年1ミリシーベルトは科学的に根拠があるという主張は、無意味ではないでしょうか。
追伸:
レザードックさんにご指摘頂き、自然線量のリンクを張り直しました。
Posted in 1.政治・経済 | 10 Comments »